見出し画像

蛍光ピンクの小さな優しさ

手づくりの、おむすびをもらった。
それも、ふたつも。

そのおむすびたちはなぜか蛍光ピンクの派手な色を
していて、小さな海苔が中途半端に巻かれている。

ラップで包まれたピンク色のおむすびは、どちらも
歪な形をしていて、完成品の一歩手前、本当はまだ
できあがっていないけど、あなたがこのタイミングで
きちゃったからもうあげるね、というような状態で、
いかにもおむすびの途中経過という感じだった。

わたしは自分が買ったお弁当の入ったビニール袋に
そのおむすびたちがころんと投げ込まれるのを、
なんだろうこのおむすびは、と思いながら眺めていた。

今日のお昼のこと。

何を食べようかなと、会社近くの飲食店が並ぶ道を
一軒一軒、覗きながら歩いていた。

すると右手に、5段くらい下がる階段を見つけた。

目を凝らすと、白いのれんに薄い字で、店名らしき
ひらがな四文字が書かれている。

どうやら、飲食店のようだ。

店内が真っ暗で、地上からはほとんど何も見えな
かったのだけど、手前のテーブルにお弁当のような
ものが四つほど並んでいるのが見える。

そのお弁当の中身は上からだと見えないので、
階段を降りて中身を確認しにいく。

すると、さっきまでは全く姿が見えなかった
割烹着を着たおじさんが、左手に立っていた。

「これ、なんですか?」

じろじろお弁当の中身を確認して無言で立ち去るのは
さすがに失礼かなと思い、声をかけてみる。

「親子丼だよ!」

やけに威勢のいい、張りのある声が飛んでくる。

それだけでもう、何かの勢いに押されてしまい、
お弁当を買わずに引き返すことなんてできないと
悟ってしまうような、力のこもった声だった。

本当はお肉よりお魚が食べたかったのだけど、
ここは乗り掛かった船、というか降りてしまった
階段、というか、とにかく自分の好奇心に従って
買ってみよう、と腹を括った。

「500円だよ!」

やけに楽しそうなおじさん。そして、声が、大きい。

「…だから、これ、持っていきな!」

大きいのに、マスクをしていたからか早口だった
からか、一番大事な言葉を聞き逃してしまった。

おじさんの大きな手の中には強烈なピンク色の物体
が身を潜めていて、それらは次の瞬間、お弁当を
入れた袋に軽々と放り込まれた。

おむすびをくれた理由がよく分からなくて、
それでもとりあえずはお礼をと思い、ありがとう
ございますと言いかけたところで、また威勢のいい、
おじさんの

「彼氏にでもあげな!」

という声にかき消される。

返事をしようと思ったときには、もうおじさんは
店内にいたもう一人の店員と話し始めていた。

慌ただしいおじさんだったなあ。

それにしても、このおむすびは一体なんだったん
だろう。

というか、この色、一体何の味がついているん
だろう。

もしかしてお米が少ないとか、買ったお弁当に
何らかの欠陥があるからおむすびをくれたんじゃ
ないか、と思い、恐る恐るプラスチックの蓋を開けて
箸を刺してみたけれど、お米は充分に敷かれていた。

ただ、食べ進めていくうちに、「ん?これは親子丼
というより、卵丼…?親がいないぞ…」ということに
気づいたのだけど、

もしかするとおむすびに気を取られ、親子丼と卵丼を
聴き間違えたのかもしれない、と思うことにした。

お弁当だけでも結構お腹がいっぱいになったの
だけど、このピンク色のおむすびの謎を解き明かさ
ねば、という使命感のもと、片方のおむすびの包み
を開ける。

(もう片方は、隣に座っている先輩に譲った。)

匂いはあまりしない。強いて言えば、所々から
見えている高菜のつんとした匂いがする。

一口かじって、ほんのりピンク色に発行していたの
は、どうやら大量の明太子とお米を混ぜたからだと
知る。

食べ進めていくと、ピンク色のお米の粒と明太子、
高菜が雪崩のように押し寄せてくる。

仕方がないので、最後は一気に流し込む。

おじさんの豪快さ、力強さからは想像できないほど、
というかそれらをもっとおむすびを握るときに生かしてよと思うほど、かなり優しく握られたおむすび
だった。

帰り道、混雑する電車の中で、揉めている人たちが
いた。

肘がぶつかったとかなんとかで、二人の男性は
二駅分、ずっと睨み合っていた。

わたしの頭上でそんな戦闘を繰り広げないでくれ、
と祈るように縮こまっていたときに思い出したのは、
お昼にもらったおじさんのおむすび。

電車はかなり揺れるから、自分もどちらかに触れそう
になる。

だけど、ここは耐えなきゃだめだ。動くな、自分。

突然目の前に降りかかってきた悪意にじっと耐え
ながら、静かにあのピンク色の小さなおむすびを
思い浮かべていた。

ホームに電車が滑り込んで、止まる。
シューッといって、扉が開く。

睨み合っていた男の人たちは、どちらも同じ駅で
降りた。

ふう、と誰にも聞かれないように息をつく。

突然、悪意にさらされることもあるんだな。 
理由のない好意が、存在しているのと同じだ。

どちらも突然目の前に降ってきて、わたしを試す。

だけど、できることならいつだって好意に包まれて
生きていたい。悪意に塗れるのなんて、いやだ。

自分が与えるなら、あのおむすびみたいに、
理由はわからないけれど、人の心を丸く、
あたたかくするものがいい。

今度またあのおじさんに会ったら、おじさんの
大声にかき消される前に、おむすびのお礼を言おう。

そして、またあの親子丼(卵丼?)を、買おう。
心に決めて、ホームの階段を力強く駆け上る。

なんだかさっきより、足取りが軽くなった気がした。

いただいたサポートは、もっと色々な感情に出会うための、本や旅に使わせていただきます *