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今はまだ、満開のふたりを待ち侘びて




わたしが取り憑かれたように誰かに恋焦がれるときは、大抵その理由を言葉で説明できない。

好きなところを並べ立てることはできるのだけど、いくら言葉にして目の前に並べてみたところで、それらはわたしの「好き」を半分も説明していない、と思う。

以前わたしがどうしようもないくらい好きな人がいたとき、それを知っていた友達が、「言葉で説明できないから、好きな気持ちが深まって、コントロールできなくて諦められなくなっちゃうんだろうねえ」と、困ったような慈しむような表情で、呟いていた横顔を思い出す。



たしかにそうだな、と思った。

「好き」の理由が説明できるなら、「嫌い」になる理由だって、同じように説明できてしまえば、諦めはつく。

理由が説明できないから、言葉にすることができないから、わたしはこの気持ちに取り憑かれて、身動きが取れなくなっている。

どうしようもなく好きな人ができてしまうと、もう、理性では、どうにもならなくなってしまうのだ。





だけど、彼はそんなことない、と言った。

わたしがまだ、目の前にいるその人を、好きになる未来がくるなんて全く想像もできなかった、初めて2人で会った夏の夜。

カウンターで肩を並べて、たわいもない話をした。

会話の内容はほとんど覚えていないのに、どうしてか彼の、「俺は、好きな人を好きな理由、説明できるけどな」という言葉だけは、ずっと頭に残っていた。

その言葉を聞いたとき、口では「へえ、そうなんですね」と言ってみたけれど、心の中では、「あ、たぶんこの人は、わたしとは違う世界で生きている人なんだろうな」とわかって、少しだけ胸がすうすうするような心地がした。



彼の好きな人は、どんな人なんだろう。
そこにはどんな、理由があるのだろう。

そのときはただの好奇心だったはずなのに、今となってはその疑問が、全く別の形の想いの上で、行き場もなくふわふわと彷徨っている。





彼との関係性に未来がないということは、その夜が終わる頃に、あっけなく知らされた。

彼はそのことを隠す気もさらさらないようで、朝ごはんはパン派なんだよね、と言うときと同じリズムで、家に帰ったらその人が待っているんだよね、ということを、告げた。

取り残された朝方のタクシーの後部座席で、あ、そうなんだ、と淡々とした気持ちで状況を理解したことを覚えている。

そのときはまだ、これが単なるアクシデントで、これからの人生においては、小さな小さな点として刻まれる、すぐに忘れてしまうような夜なんだ、と思っていた。

それでよかったし、そうなるのは自然なことだ、と思っていた。
これは始まりなんかではなく、ちょっとした事故だったんだ、と。



だけどどこで間違ったのか、気づいたら、それは点ではなく、立派な線になってしまっていた。

彼の長い人生にとっては、数ある線のうちの一本なんだろうし、その長さも、他の線と比べたら、もはや点に見えるくらい短いものなのかもしれないけど。

けれどいつしか、できることならその線が、他の人よりも長くあって欲しい、長くなれないのなら、せめて太い線になって彼の人生に刻まれたい、という欲が、芽生えはじめていた。





もうこれ以上、この線をずるずると引っ張ってはいけない。自分の淡い期待を押し込めるようにしてそう言い聞かせた。

だけどそんな理性は、この感情の前ではあまりにもあっけなく、すぐに崩れ落ちた。ふと気づいたら、あと少しで線は一周しそうなところまできていた。

新しい季節の匂いが風に乗って鼻先に届くたび、わたしたちは、次の季節も一緒に過ごせるのかな、という思いがふつふつと沸いてきた。

駅の改札で「じゃあ、またね」と手を振って別れるとき、もしかしたらこれが最後の「またね」になるのかもしれないな、と頭の隅で思った。



それを知るのは、今はまだ少し怖かった。だから、いつもそのまま振り返らず、誰よりも早く、吸い込まれるようにして下りのエスカレーターに身を滑らせた。

最後の瞬間くらいは、彼にわたしの後ろ姿を見ていてほしい。そんな強がりが、わたしの弱い心を、かろうじて支えていた。





「お疲れ〜。来月は、いつご飯行こうか?」

はじめの頃は毎週のようにきていた彼からの連絡は、最近では月に一度に減ってきている。

もうそろそろ潮時なのかな、と思った頃に、スマホの画面に短い文章と軽快な絵文字が表示される度、ほっとしている自分がいる。



前に、「そっちからは全然連絡してこないよね。もしかして遠慮してる?」と、聞かれたことがある。

そのときは、「え、別にしてないけど」と冷たく返事をしてしまったことを、今となっては少し後悔する。

あの頃のわたしだったら、遠慮しなくていいの?と、無邪気に聞けたような気がする。そんなことを口にしたら、彼はなんて答えたんだろう。

連絡を待っているばかりなのも、彼の都合のいいように扱われているみたいで嫌だし、かと言ってこちらから連絡しすぎるのも、このぎりぎりの想いが伝わりそうで悔しかった。

そんなことを考えている時点で、もうわたしに勝ち目なんてないのは、わかっているのだけど。





「じゃあ、次は14日にしようか。場所は考えておくね。」

わたしが挙げたいくつかの候補日の中で、彼が選んだのがホワイトデーだったというだけで、心なしか浮き足立っている、自分の単純さにはもう慣れた。

ここまできたら、もう、楽しむしかない。そう割り切ってもいた。



ホワイトデーが終わったら、大好きな季節がやってくる。

あたたかな日差しを浴びながら、彼と一緒に桜を見ることができたら、もうそれだけで幸せなんだろうな、と想像してみる。

いつか読んだ小説の中の2人は、「次に桜が咲いたら、会うのはもうやめよう」と決めて、最後に会う約束をしていた日の前日に、予想よりも早まった開花宣言があって、結局そのまま会わずに日常に戻っていった。



わたしたちは、どうなるんだろう。

桜のように、儚く短い命なんだろうか。春がくる前に、この恋は散ってしまうのだろうか。

わたしの日常はもう、彼の存在なしでは非日常になりかけている。

終わってしまったらきっと、もとの日常に戻るのではなくて、新しい日常を一からつくり始めることになるんだろうな、と思う。





いつか散ってしまうことは、わかっている。
それは、どんな恋だって同じはずだ。

だけどこの恋ほど、常に終わりを意識して過ごすことは、これまでの人生では、経験したことがなかった。

だけど、いや、だからと言った方がいいのか。

彼と過ごす時間、些細な一言、仕草、表情、一緒に見てきた景色は、どれも胸にしまっておきたくなるくらい煌めいていて、愛おしかった。

いつも不思議と、寂しさよりも、喜びで全身が満たされていた。



どうか、今年は彼と一緒に桜を見ることができますように。心の中で、静かに祈る。

今はまだ、見頃を終えて儚く散る姿より、先のことなんて考えず、今この瞬間、溢れんばかりの喜びをたたえて咲き誇る、その姿を美しいと思っていたいから。




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