石板掘れない私の哀しさ

11年前にもらったメールを何度も読み返し、携帯端末を買い換える度に新たに保存しクラウドにも保存していると言ったら、あなたは笑ったけれど、私にとっては非常に大切な宝物なので笑わないでください。
それでも私が死んでしまったら、あなたから貰った言葉は全て銀色の端末に閉じ込められたまま誰の心も震わせること無く永遠に沈黙の湖に沈むのだと思うと、私は苦しくなってしまう。
ああ、石板を掘る技術があったなら!
私はあなたの言葉を世界に刻みつけるために残りの人生を過ごしていることでしょう。それができないから、文章を書いたり楽器を弾いたり、しているのです。

15歳の頃に別れてから数年間、会えない時間が続きました。
だって私達は列島を貫く山脈に隔たれた場所に住んでいて、付き合っているときも会えるのは年に二度、それぞれ習い事の合宿の三日間。出会ってから別れるまでに分かち合った時間はのべ二週間にも満たなかったのです。

あなたを好きになったことで私は世界を知りました。
出会える日を心待ちにしながら見上げる星空の奥行きを。
草原を吹き渡る風の色や香りを。
移りゆく季節のひとつひとつがあなたを思う心と共にあって、それは渦中ではじれったいほどに鈍重な歩みだったのですが、過ぎ去ってしまえばきらきらと輝きを放つのです。
人は忘れやすい生き物です。会えない時間にあなたの笑顔や声を幾度も思い返していると、あなたはどんどん薄靄の向こう側へ遠ざかっていってしまいます。それが悲しくて、思い出したいけれど思い出したくなくて、もどかしさに臍を噛む思いでした。

あなたに突然メールで別れを告げられたのは、互いの受験が終わって久しぶりに連絡を取り合った日のことでした。
「別れよう」
そんな素っ気ないメールを寄越したあなたに、
一週間後に合宿が迫っているというのにどういうつもりなのだろう!
とか、
私だってあなたに対しての気持ちは薄れかけてたけど会えば思い出すと思って耐えていたのに!
と、ひとしきり憤った後に、哀しみは訪れました。
私の涙を受け止め続けてきたぬいぐるみは、そんな夜も黙って私の頭に潰されていました。
付き合っていた時のあなたは私に対してとても心を開いて接してくれていたのに、
別れてから対峙したあなたは、私の視線を避け私の進路を阻まないよう姿を隠していてなんだか卑屈でした。私は心にぽっかりと空いた穴からさらさらと砂が流れていくような心地がしました。
しょうがないのです。会えない時間がふたりの間に積み重なり、そこに受験とか家族の問題とかがどんどんと降ってくれば、互いの姿なんて見る余裕は無くなります。受験勉強のために連絡を控えようと言い出したのは他でもない私なのですし。ただ、私は自分のことで精一杯で、その先の未来を見通して、どうしたいか伝えられるほど想像力がなかった。

誰のせいでもない、しょうがなかったんだ。
合宿帰りの新幹線、涙が止まりませんでした。
ただ、あなたを思う時間は一秒一秒がどうしようもなくきらきらと輝いていて指先で触れられそうなくらい鮮やかだったのに、それが全て無駄だったのかとはどうしても思えなくて、でもあなたにとっては忌むべき過去になってしまったのかと思うと、すごく悲しかった。

それから二年後、久しぶりに参加した合宿であなたは私に向かって気まずそうに挨拶をしました。私達が付き合っていたことを知る友人たちは、さり気なく私達を伺っています。気を使わせたくなかった私は、あなたと友人として振る舞うことを決めました。その時は私には新しい恋人もいましたし、何よりも私自身とても魅力的な女の子であることは自覚していたので、せいぜい別れたことを後悔すればいいとも思っていました。

けれど、合宿の夜に友人らと集まりトランプや何かをしているときに、私は徐々に思い出していました。
言葉の選び方や、お互いの利き手や、好きな歌。
何で忘れていたのだろう。あなたに惹かれた理由を。
あなたは全然変わっていない。私にとても近しい人。
そしてこれからもずっとそばにいて欲しい人なんだ。

合宿の最後の夜に呼び出したのは、そんな私の気持ちを知っておいてほしかったからです。
「私は、あなたと付き合っていたことを後悔していない。付き合ってくれてありがとう。よければこれからも友達でいてほしい」
涙をこらえながらそう伝えた私に、暫く躊躇った後に意を決したようにぽつぽつと自分のことを語ってくれたことを私は忘れません。
薄暗い自販機のブースで並んでソファに座る私達を、自販機の光が照らします。機械の稼働音が通奏低音のように空気を震わせていました。そこは初めてキスを交わした場所の真下で、なんだか不思議な心地がしました。

あなたの性的指向を打ち明けられ、私が恋愛対象から外れていることを知った時、私は悲しかったけれど、それ以上に嬉しさを噛み締めておりました。
私はもう、差し伸べた手を掴んでくれる人がいるなんてもう信じていませんでしたから。
感情のやりとりは綱引きみたいな技巧的なものだと薄々感づいてもいましたし。
だってやっぱり、私はあなたが好きだったけれど、学校の友人らが休日に恋人とプリクラを撮ったり、一緒に登下校しているのを見て、そういった付き合い方に憧れを抱かないわけではなかったのです。
でも、その夜にあなたに触れられそうな距離であなたの声を聴きながら、私とあなたの心が溶け合って共鳴するような感覚を味わったとき、
それは両思いというのとはちょっと違ったけれど、確実になにか新しいものが生まれているのだとわかったのです。

合宿を終え帰宅する時、先に出発する新幹線に乗り込んだ私をあなたはお見送りしてくれました。
「私、あなたを好きになって良かった。きっとあなた以上に好きになれる人なんて、私の人生にはいない。私にとってあなたはとても大切な人よ」
涙を落とさないように必死に笑った私の顔はとても無様だったと思います。
こらえていた涙は、その晩にあなたから送られてきたメールを読んでいるうちに溢れて止まらなくなってしまいました。

あなたはこの話をする度に、
「なんでそう、過去の話ばかりするのかなぁ。今も時は流れていて、そこで俺たちは新しい時間を積み重ねているのに」と不思議がります。
でも私にとっては過去ではないのです。幾層にも重なった私の心の中で、いつまでも色褪せずに私を支え続ける確固たる輝きを有しているのです。

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