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無難じゃない色のネイルを塗る

久しぶりに、ブラウン色のネイルを塗った。

今は仕事もしていないので、爪に自由な色を塗ることができる。仕事をしていた時は、一応司書で、教育関係の職場だったので、塗るとしても目立たない色しかできなかったのだ。薄ーいピンクとか、半透明とか。

そもそもなんで、教育関係や公共施設勤務だからと言って、真っ赤なネイルをしてはいけないのか?よく考えると、何故なのかわからない。青や紫や緑の爪をしていても、貸出返却をきちんと行い、利用者の問い合わせに誠意をもって対応すれば、それで何の問題があるというのか。

と思いながらも、ひたすら日本社会で育ち、生きてきた私はそんなことができるはずがなく、たまーにピンクの半透明のネイルをするくらいだった。

どうしてできなかったのか。それは、普通この職に就いている人はこんなネイルしないですよね、という“常識”があるからだろう。働く側にもあるし、私が利用者だったとしても、カウンターの人が真っ赤な爪をしていたらびっくりする。

自由な色の爪でかまわない、と思っている私ですらびっくりするのだ。それはなぜか。

そもそもの原因はやはり、日本の教育にあるのだろう。

例えば、どうして授業中に水やお茶を飲んではいけないのか。なぜほとんどの小学生は、皆同じようにランドセルを背負って通学するのか(これ、少なくともうちの学区ではランドセルは規定ではない。なのに、そうなのだ)。

なぜなら日本の学校という場所には、普通はこうというものに合わせる、という空気が蔓延しているから。

学校に行っている間に、普通はこうというものを刷り込まれて、空気を読むことを身につけさせられ、それに従わなければ、居心地の悪いことになると暗に教え込まれるからだ。

そしてそこで育った子どもたちが大人になり、作った社会は必然的に、同じような場所になるだろう。

かくいう私も、大したことはできていない。自分の息子にだって、いわゆるザ『ランドセル』を買った。重いしかさばるのに、あの機能的とはいいがたいランドセルを。

でも、小さな小さな反抗、くらいはできるかもしれない。まあ、これくらいなら…という範囲で、人とは違うことをやってみるとか。

人とは違うけれど、自分はこれがいいと思うこと、を探していきたい。


久しぶりに、いつもと違う色のネイルを塗ったことからそんなことを思った。世の中が少しずつ、変わっていくといいと思う。

So many men, so many minds.

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