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「幸せそうでいいね」の違和感

私はこのセリフを言われることが昔からとても多いです。
会社とかで行う適性検査でも「ポジティブ」「協調性」といった言葉がずらりと並びます。

ですが、「幸せそうでいいね」と言われるたびに違和感というか、素直に喜べない自分がいます。

それは私がひねくれているからでしょうか。
そうではないと信じたいので、なぜ違和感を感じるかきちんと言葉にしてみたいと思います。


まず1つ目は、人それぞれ感じる幸せが違うという点です。
あなたにとっては、あなたから見る私の状態が幸せなのかもしれませんが、もしかしたら私にとっては幸せじゃないかもしれない。

ちなみに、私は幸せの沸点がとても低いです。

幸せの沸点とはこの瞬間に幸せに感じる!みたいなことです。(怒りの沸点はよく使いますね)

私の場合、「きれいな目玉焼きが焼けたとき」や「雲一つない青空だったとき」にとっても幸せに感じます。自然とにまにましてしまいます。

でも、他の人にとっては何でもないことだったりしますよね。
人によって幸せに感じることはそれぞれ違うのです。


違和感を感じる理由の2つ目として、「じゃああなたも幸せに感じるように努力したら?」と思うからです。

(やっぱりちょっとひねくれてるかな・・・)

なんだか「幸せそうでいいね」という人って、羨ましさや嫉妬感に溢れている気がするのです。

自分の現状に満足いってないのなら、自分が幸せに感じられるよう努めるべきではないでしょうか。

別にこれは気持ちの問題だと思うんですよね。
現状をどうにかして変えるというよりは、いかに今の現状を受け入れて、有難みを感じれて、幸せだと思えるか。みたいな。

私は、そんな風にして小さなことにも感謝し、幸せを感じています。


今日は、ずっと感じてた違和感について note に吐き出してみました。

ふう。すっきり。

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