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Y字路を進み始めた私たち


出会いはすなわち別れの始まり。

その別れが訪れるのが次の瞬間なのか、明日なのか、1年後なのか、死ぬ時なのか。

タイミングはそれぞれ違えど、出会いは別れとセットだ。


人間は、別れを迎える時に、それぞれの人生の中に名前を刻んで去っていく。


ある人は、風が吹けば消えてしまうような砂場に木の枝でそっと書いて去っていく。

またある人は、花束の中にそっと手紙を添えて、渡しながら笑顔で去っていくか、見えるところに静かに置いていってくれる。

さらにまたある人は、「これこそ俺が誇るアートだ!俺自身だ!」と、スプレーで壁に落書きを残して去っていく。


中には、カッと目を見開きながら、逆手に持った刃物で深く刻んでから、力任せに足蹴にして去っていく人もいる。


別れにもいろいろな形がある。


あっさり訪れる別れ。

痛みしかない別れ。

名残惜しくも温かい別れ。

宿命によって無理矢理引き裂かれる、望まない別れ。

長い時間をかけてようやく訪れる別れ。


全てが円満な別れになるわけではない。
むしろ、円満に迎えられる別れのほうが少ない。


別れの前から別れが始まっていることもある。


いつからすれ違い始めたんだろう。

いつから違和感を覚え始めたんだろう。

いつから相手の発する言葉ひとつひとつを辛いと感じるようになったんだろう。

いつから「もう離れたい」という気持ちを押し殺そうとするまで相容れなくなったんだろう。


時計の針は戻らない。

針が音を立てて進んで同じ場所に"戻る"たびに、私たちの心もそれぞれの方向に進んでいる。


まだ出会うには早すぎたのかもしれない。

私たちの中にある"時代"がお互いに追いついていなかったのかもしれない。

あるいは、お互いに何らかの学びをもたらして、役目を終えたのかもしれない。


真相は半分しか分からない。「ありがとう」も「ごめんなさい」も、相手がいない今は、どう頑張っても半分までしか満たせない。


私たちは、Y字路に辿り着いて、違う方向を選んだ。


「じゃあ私(俺)、右だから」

『俺(私)は左』


「それじゃ』


ただそれだけかもしれなくても。他にやりようがなかったとしても。


時間という風が吹くにつれて、相手が残していったはずの名前すらも風化して、ぼんやりと残る影しか思い出せなくなる時が来るのかもしれない。


それでも、人生におけるこのタイミングで何かを考えるきっかけになったのであれば、きっと、短い間でも関わる意味はあったんだろうと思う。


今はそれぞれの道を選んだとしても、引き寄せあってか、お互いにまた顔を合わせて、「あの時は合わないって思ってあの道を選んだけど、わからんもんだね」と笑い合える日が来るかもしれない。人生というのはわからないものだ。


出会うのが早すぎたのであっても。

次に会うのが来世であっても。

本当にもう二度と会うことがないとしても。


とりあえず、今は、さようなら。

また言葉を交わすかもしれないその時まで、お元気で。




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