読めていたものが読めなくなる日
これまで違和感なく追いかけてきたはずのnoterさんの記事が読めなくなる瞬間がある。
ある時から違和感を覚えて距離を置いていたけど、ついにその違和感が隠せないほどに強いものになってしまった。
読んでいて頭が痛くなるような、またある時はエネルギーを消耗してしまうような、そんな感覚があるのだ。
その日の私の気分次第では、会ったこともないのに、わかったような言葉を頭の中に浮かべてしまう。
自分でもイヤなやつだなとは思う。疲れてるのか、体調が悪いのか、それが関係しているかもしれないとはいえ、本当は考えたくもないギスギスした言葉を浮かべてしまうのだ。違和感から目を背けようと蓋をしているうちに歯車が軋むようになって、とうとう噛み合わなくなってしまったのだと、そんな事実を突きつけられてしまったようで。
私のもとから離れていった人たちも、去り際にこんなことを思っていたのだろうかと、思いを巡らせてしまう。
「あぁ、旅立つ時が来たのか。来てしまったのか。」と、これで何度目かわからない、そんな一抹の寂しさを抱く。
この世界は『諸行無常』。人間の心もまた、常に流れるように移ろいゆくもの。
それぞれの時間を過ごすなかで価値観も少しずつ変わっていくし、その時の体調で感じ方も変わる。だから、たまたま私の調子が悪いだけという可能性もないとは言わないけど、移り変わりの時が近付くと、こういった体調の悪さをもってタイミングを感じ取るのだ。
心苦しい気持ちはある。けど、出会いがあった以上、別れはいずれ訪れるもの。それが今か後かという違いなだけ。
だから、これでいいんだ。人はこうやって自分にとっての居場所を少しずつ移りながら生きていくものだ。私たちがこれまでそうしてきたように。
今の私の居場所は他のところにあると、天の声が私に訴えているのかもしれない。
できればもう少し大切にしていたかったけど、無理に合わないところにいようとしても、それはお互いのためにはならない。
逆に、離れることがお互いのためになることもある。私たちにとって、今がその時なのかもしれないと、流れゆく外の景色を見ながら考えていた。
私が変わったのか。相手が変わったのか。それともお互いが違う方向に変わってさらに距離ができてしまったのか。それはわからないけど。
今までありがとう。
お互いが変わり続けた結果、いずれまた引き合う時が来るのか。それとも、本当にもう二度と関わることはないのか。それもわからないけど。
どうかお元気で。
駅のホームからそれぞれ違う方向へ向かう電車に乗るように。
そんな言葉を心のなかで浮かべた、ある日の朝の話。
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