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もっと評価されるべきと思いながらも、『知る人ぞ知る』ままでいてもらいたいジレンマ


今月の初めにふらっと立ち寄った本屋さんで偶然見つけた『少年と犬』。

馳星周氏の名前は知っていたけど、小説は実際に読んだことがなかったので、これもなにかの縁かと思って手に取った本だった。



そんな『少年と犬』が直木賞を受賞したという話を少し前に聞いた。または目にした。

なにをもって受賞となるのかは私にはわからないけど、久しぶりにやめ時がわからなくなる(先が気になって仕方がない)一冊だったので、最後まで読んだ一人としては、受賞したのも納得のいく作品だった。


個人的に幸いだったのが、直木賞受賞というバイアス(偏見)がかかる前に読むことができたことだ。受賞と聞くと、「受賞しているからにはさぞ読み応えがあるんだろうな」と、読む前からハードルが相応に上がる。

これまでも、最優秀賞受賞と謳われている読み物でも、まったくかすりもしないものもあった。その度に肩透かしを食らったような気分になった私は、そういうバイアスがない状態で読みたいと思うようになった。


もともと、一度見てしまうと見え方が変わってしまう『肩書き』のような類が嫌いなタイプなので、むしろなにも書かれていないほうが好感を持ちやすい。


そして案の定、直木賞受賞という話が出てからは、本の帯も『直木賞受賞』という文言が大きく追加されたピンクの帯に変わったほか、著者の他の本の帯にもその文言が追加されていた。(さらにはご本人の顔まで帯に載っていた。そこまでするの。)

ご本人も、「直木賞を受賞したら近所でバレた」と言っていたのが記憶に新しい。


なんだろう。個人的に好きな作家やクリエイターの方を追いかけていると「もっと評価されたらいいのにな」という気持ちがある一方で、このまま、『知る人ぞ知る』状態であり続けてもらいたい気持ちが共存している状態になる。


こうしたきっかけで一躍有名になると、その片方が叶って嬉しい反面、もう片方が失われてどこか寂しい気持ちも生まれる。

「私の見る目は間違っていなかった」という気持ちは確信に変わるけど、それと引き換えに、新しいステージに旅立っていったんだという現実を突きつけられる。


いままでその人を近くに感じられていた場所からの旅立ち。または、『知る人ぞ知る』枠には収まらなくなった、一種の喪失感。


後に残る寂しさの正体はこれなのかもしれない。


著者の作品を愛読していたわけではないけど、長い間名前は知っていたので、思い入れは他の作家よりもあるほうだと思っている。


これを機に、これまで以上に多くの人の目に触れることになるんだろうと思うし、『直木賞受賞』という実績が次の作品に対するプレッシャーになるだろうなということは想像がつくけど、これからも追いかけていきたいと思う。



ちなみに、肝心な本についてだけど、個人的には一読の価値ありと思っている。


馳星周氏が監修した別の作品でも見られた傾向として「現実は優しいものではない」「一度黒に足を踏み入れた者は白に戻ることはできない(ハッピーエンドは許されない)」といったものがあった。続編を作ることを考えず、一作で完結させることを前提に書いているからかもしれないけど、十何年も前に見たこの傾向はこの小説でも共通していた。


つまり、どういうことが言いたいかというと、登場人物はなにかしらの不幸に遭うか、事情によって犬(多聞)と別れるか、引き離されることになるのだ。

そもそも、多聞が行く先々でもある方角に顔を向けて、その方角に向かいたがっている様子が描かれていることから、登場人物は多聞とずっと一緒にいられるわけではないと薄々感づけるようになっている。


表紙の絵から漂う、どこか悲しげな雰囲気からなんとなく想像がついた方もいるかもしれないけど、この物語はハッピーエンドの物語ではない。しかし、「ここでつながってくるのか」と思う展開も忘れた頃にやってくることも含め、最後まで読み手を飽きさせない構成はさすがのひと言。やめ時がわからなくなる、引き込みの手腕は健在と感じた。


タイトルになにか惹かれるものを感じた方は、一度読んでみてはいかがだろうか。直木賞受賞という帯がいまはつけられてしまっているけど、それよりも前に買ったひとりとして、自信をもっておすすめできる一冊だ。



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