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その違和感の正体は


会社に行きたくないと思うようになってしまった。


昨夜までは会社に持っていくお昼ご飯も用意して、今日に備えていたというのに、なぜか今朝になって妙に頭がボーッとしている。

朝食も、いつもは食べられる量をボウルに入れたはずが、一口か二口食べただけで「うっ」と胃酸が逆流してくるような違和感があった。少し休んでも食べられる気がしなかったので、もったいないと思いながらも残してしまった。


その、少し休んでいる間にテレビの天気予報を見ていて、ふと口を衝いて出た言葉が、



「今日行きたくないな . . . 」



これだった。


頭がボーッとした状態。吐き気の一歩か二歩手前ぐらいの不快感。

そして、仕事で会いたくない人の話し方や名前が脳裏をよぎる。

体調も関係しているとはいえ、どうやら本当に会社に行きたくなくなってきているらしい。


なぜ今月になって急にこんな気持ちになりだしたんだろうと私自身も不思議なくらいだ。

身の回りで起きた大きな変化からくるストレスが仕事のストレスと重なって、私自身の活力を奪っているのだろうか。

ここ最近の業務量の多さからくる疲れが取れていないのだろうか。


理由は自分でもよくわからないけど、今日は仕事のことを考えられる状態ではないことは自分の体が一番よくわかっていた。

いつも家を出る時間ギリギリまで待ってみて、ちょっと気分が楽になったように感じたり、また悪い状態に戻ったり。そんな不安定な状態を行ったり来たりしながら迷っていたけど、外をボーッと見ている自分自身を俯瞰して、余力がないことだけはわかった。


今日は . . . 休んだほうがいいかな。

このまま行っても余計に足を引っ張ってしまうだけだ。



なんだよ、仕事が楽しいって。

『仕事が楽しい』なんて本当にあるのか。

そんなものは幻想ではないのか。


聞かされる度に私が苦しんできた言葉まで脳裏をよぎっていた。

思ったより事態は深刻かもしれない。


外をボーッと見ながらいろいろな言葉が脳のなかで渦巻いていて。

そして . . . 今日の私は、いつも家を出る時間に家を出ることができなかった。



いまの仕事自体は嫌いというわけではない。

いまの世の中に役に立っている実感はあるし、仕事内容そのものも、高度ではなかったとしても、私には合っている。催促されることなく、丁寧に取り組める環境であるなら、これに匹敵する天職もなかなかないと思う。


職場の人間関係自体も"概ね"良好だ。

私が体調不良で休んだ時にも「だいじょうぶ?」「生きてる?」と心配してくれた人たちもいる。私に対してパワハラをしてきた人や、陰湿な仕打ちをしてきた人がいた、社会人生活を始めてからの数年を思えばだいぶマシなほうだ。

それでも、合わないと感じる人は何人かいる。できることなら顔も見たくないと思うほど、特に合わない人が一人。


先週は業務量が会社全体のキャパを越えていたのもあってピリピリしていたので、その人と危うく喧嘩になりかけた。その場では私は可能な限り冷静を装っていたけど、いまでもその時のムカムカが時折顔を出す。相手が感情的になって周りを乱していたことに心底腹が立っていて、本当はガツンと言ってやりたかったのだと思う。『木を見て森を見ず』な相手の勝手な言い分と感情的な態度を前に、何度手を「バン!!」と叩きつけてやろうかと思ったか。


その人が原因になっているのか。それとも、これまでもストレスは感じていたけど、身の回りの変化からくるストレスと先週のドタバタとストレスが原因で、それが一気に表に出てきたのだろうか。


この前も休んでしまったし、休み癖がつきそうで自分でも気が引けるけど、今日は仕事のことを考えられる余力がない。


. . . そろそろ次を考えるべき時期なのだろうか。

明日を生きられるかわからない状況に陥っている人たちが多いこのコロナ禍で、仕事があるだけでもありがたいという気持ちはもちろんある。

でも、こんな状態が続いてしまうのであれば、これから先も続けていくことは難しい。


じゃあ、他に私に務まる仕事があるのだろうか。

そして、それよりも前に、私を拾ってくれる場所などあるのだろうか。経歴だけ見たら私のような人間を嫌がる企業のほうが圧倒的に多い。

だからといって自分ひとりでなにかができるようなアイディアもないし、実績も、スキルも、あるように思えない。仕事としてやってみたいと思っていたことは、既に門が閉ざされてしまっているも同然だ。


書類選考。面接。

またあの拒絶の悪夢に身を投じなければならないと考えると憂鬱でしかない。

履歴書は手書きがいいだのなんだのと求職者に要求をしておきながら、企業は求職者を平気で傷つける。人の気持ちなど考えていない、"効率化"のために作られた『お祈り申し上げます』と書かれたテンプレートを、今日も企業は誰かに送っているのだ。場合によっては、誰かの命にとどめを刺しかねない『お祈り』になるなんて考えもせずに。ただ淡々と、今日も送っているのだろう。考えるだけでみぞおちのあたりが痛くなってくる。


いずれいまの環境からは抜け出さなければならなくなることは日々感じていた。その問題と向き合わなければならない時がいずれやってくることも。とうとうその時がやってきたということなのだろう。


また心が落ち着かない日々が始まりそうだ。


でもその前に、いまは眠りたい。

目を閉じて、なにも考えなくていい闇に身を任せて、眠りたい。



※今回の内容にスキは不要です。


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