毒親イントロダクション

私は、母の奴隷でした。母の言うことがすべてで、当たり前だと思って生きてきました。だから、何でも母に従ってきました。従うことは必然でした。それは、思春期を超えても、そうでした。母が「違う」と言えば、「違うんだ…。」と思わざるを得ませんでした。でも、「違うんだ…。」と思いながらも、私の心の中の、何かが、ちくちく疼くのです。きっと、小さいけれど、私の大切な自我。そうです。私は、一人の人間なのです。決して、母の従物ではありません。でも、私は、母の従物として育ちました。母が好きなものは、私の好きなもの。母の幸せは、私の幸せ…。私は、母のコピー。母の手足…。今は、こうやって、客観的に文字に起こせるけれど、これまでの私は、「これが当たり前。」という境地にいたので、「なんか、変だな、なんか、生きづらいな…。」と思っていても、それが、母との関係性に起因していたなんて、気づくこともありませんでした。長い、長い、心療内科でのカウンセリングを経て、ようやく、「ああ、私の親はいわゆる『毒親』だったのだ。」と気付けたのです。気付いてからは、気持ちが楽になりました。何より、「私の感情は、私の物であっていい。」と思えることが、うれしかったです。今までは、「こんな風に感じてはだめだ。」とか、「こんな風に考えてはだめだ。」と、自然に湧き上がる感情を否定し続けてきました。でも、母のマインドコントロールが解けてからは、自分の心の中から自然に湧き上がる感情を、「良いんだよ、その気持ち、大切にして、良いんだよ。」と思えるようになりました。今思えば、自分が、感じる思いについて、良いも悪いもないはずなのですが、これまでの私は、常に母親が思い描く基準に従って、「良い」「悪い」を判断していたようです。母親と同じ気持ちの時は、苦しくないのですが、違った時は、自分の存在を消したい位、辛い気持ちになりました。やっと、母親と離れることで、自分の健康を取り戻しつつあったのに…。

母親が、認知症になりまして…。要介護状態になりました。私の方には、都合構わず、「辛いから、家に来い」と、留守電が入ります。相変わらず、私は母の手足です。今までの関係性を維持しつつ、認知症という病気がさらに輪をかけて、「あなたは、私…」という幻想を、母に抱かせているようです。

これから、少しずつ、母のこと、うちのこと、色々、ここに書き記していきたいと思います。

「女性が、介護をするべき」という風潮…。もっと言うと「嫁よりも、気兼ねなく頼める実の娘が介護をするべき」という風潮…。

その裏で、とんでもない家族の問題を抱えているケースがあること、必ずしも、母娘の介護が幸せな結末を迎えるとは限らないこと。

少数派かもしれません。コンセンサスが得られるような内容ではないかもしれません。でも、「こんなケースも実際、あるんだよ。」ということを、赤裸々に書いていきたいと思います。

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