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トマトハウス1棟から始まった七久里農園


ビーツを栽培中の伊藤貴裕社長


 株式会社七久里農園の誕生は2005年に遡ります。

「トマトが好き」

というシンプルな思いから始まった農園は、トマトハウス一棟から17年の時を経て、1.7億円を売り上げる堅実なアグリ企業に成長しました。

前回の記事↓

 今回は、七久里農園の伊藤貴裕社長のインタビューをお届けします。
 

 

伊藤社長のことを教えてください。


  私は元々愛知県の出身で、実家は農家ではありませんでしたが、子供のころから農業をやりたいなと思っていました。最初に農業に目覚めたのは、小学校5年生くらいの頃です。親の知り合いが農業をやっていたんです。山奥でとても田舎でしたが、そこに行った時に見た自然に興味を持ちました。
 
 カブトムシとか、普通に飼うのでは無くて、堆肥の中にカブトムシの幼虫がゴロゴロいたりとか、そこらじゅうにワラビが生えていて、簡単に獲れるとか、畑の中に川が流れていたりとか…
 
そういうものを見て、「本当にいいところだな、農業やりたいな」と思って。
 
 自然そのものが好きだったんです。
 
 中学校くらいの頃は「バイオテクノロジーブーム」だったんですよ。
それで、バイオテクノロジーを勉強したくなり、大学は農学部を受験したけれど落ちてしまって、理学部に入ったんです。
 で、ふてくされてしばらく遊んでいたのですが、そうは言ってもこのまま働いても仕方がないなと思って、もう一度農業のことを勉強したいと思い、大学院の試験を受けて農業の大学院に入りました。
 

大学院で有機農業を勉強をされたんですね。


 
 はい。大学院では、有機農業(堆肥)の勉強を始めたんです。
大学院に入る前から、有機農業がいいなと思っていたので、そこで堆肥の勉強をしました。 その後に入った名古屋にある大根を作る農業法人も、堆肥をきちんと作っている会社だったので、そこで働きたいなと思い大学院卒業後に就職しました。
 
 そこで4年間働いて、その間に奥さん(友子さん)と結婚しました。奥さんは、同じ愛知県内のトマト農家さんで働いていました。結婚をきっかけに、独立して「自分達で農業をやろう」と決心しました。その時に、何を作っても良かったんだけど、トマトを食べるのが好きだったことから「トマト農家になろう」と思いそこから出発しました。
 
 



桃太郎トマト


トラックに乗って突撃訪問で農地探し


 
 独立するには農地を探さないといけないと思い探し始めました。

農地の探し方っていうのが、車でドライブしながらハウスを見つけては
 
「農業をやりたいんですけど農地空いてませんか?」ってトマト農家を見つけては勝手に入って行って話しを聞いてもらうんです。

 夏のトマトを作りたかったので、最初は愛知県の山の中や、トマト産地で有名な岐阜県を中心に農地を探したんですけど、なかなか条件の良いところがなくて、 たまたま飯田に来た時に
 
 「一棟ハウス空いてるからあそこでやればいいんじゃないない」

と紹介してもらって、本当に何の計画性もなくして

 「ここ空いてるからじゃあここで始めよう」みたいな感じで、すぐに農業を始めました。

 私は当時30歳、奥さんとその時生まれたばかりの0歳の娘を連れてきて
農業を始めたけれど飯田にいる方々に「大丈夫かな」とだいぶ心配はされましたね(笑)

(農業は)そんなに簡単にパパッと始められるようなものなんですか?

 一般的にはそんなにすぐには始めないですよね。
自分の中では農業やるということは決めたんでやると決めたらすぐ動くみたいな感じですぐ始めちゃいましたね。

農業の知識とノウハウはあった状態だったんですか?


 農業の知識はそんなにないんだけど、農業法人での経験があったので、農業がどういうものかってのはわかっていました。作るものはその場所によって変わるので、長野県で農業をやるにあたっては周りの人に聞けばいいかなみたいな感じで、あまり深くは考えずに誰かに聞けばいいかな、なんてそのぐらいの感じでした。
 
 

トマトハウス


最初はトマトハウス1棟から始まった


  元々一棟のハウスでは食べていける面積ではなかったんですけど、1年やったらその翌年にはもう一棟、近くのハウスを紹介されて、3年目にまた別の一棟のハウスが開空いたんでそれを借りました。
 
ハウスは大体3棟くらいあると食べては行けるんだけど、その後も
畑やハウスが空いているという話があるとすぐ借りちゃうんですよね。
 
 そうして借りていくうちに、人が足りないので、アルバイトを頼んで、その後は正社員っていう形で、畑が広がりながらスタッフも増えていき、会社にしたのが10年前でした。
 
 

「遊休農地」を借りて地域に貢献


  田舎なので「遊休農地」がすごくたくさん出てくるんですが、今でも農業委員さん達が会社に来て、「ここも空いたのでやってください」って来るので、紹介してもらったら、すぐにも「いいですよ」って言って借りますね。
 
 長野県外のよそから来ているっていう負い目みたいなものがあることもあり、来た話はなるべく断らずに引き受けることにしています。
 


従業員は何人いるのですか?

 今は社員とパート、外国の特定技能の子とかも合わせると20~30人近くいます。ここら辺では小さい農家が多いので、ななくり農園は大規模な方ですね。

土をならすスタッフ


全国各地から農業好きがやってくる。


  今のスタッフは、地元の人が多いですけど県外から来てる人も何人かいます。関西や関東、愛知県から来てる人もいるし、農業が好きで来る人が多いですね。大所帯の農園なので、経営的なところは常に気にしていますが、スタッフが成長していくことが大事なので、栽培方法や水やりなどはある程度任せて野菜のプロになれるように任せています。

 
 今回は、七久里農園が誕生して今の姿に成長するまでの物語をお伝えしました。次回は、伊藤社長の農業にかける思い、こだわりをお伝えしていきます。