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「私の人生あがり」と思った日

アイスはハーゲンダッツ、服はこのショップで選んでもらって、電子機器はAppleの新商品が出るのに合わせて買い換える。迷ったらこの人に相談して、住むのはお勧めされたこの街、私はこういう性格だからこれが合っている。

選択肢がいくらでも存在する時代。選択の自由があるいうことは、時として不自由だ。何かを買うとき、住むところを決めるとき、働きはじめるとき、数々の決断のタイミングで選ぶことの楽しさよりもストレスが強調されたことはないだろうか。

状況を分析して考慮して、選択肢を丁寧に吟味して。そうした上で選択しようとすると、触れてしまう情報量が多すぎて疲れ果ててしまう。そんな、次々やってくる問題に立ち向かうため、冒頭のように、とりあえずの答えを色んなところで用意した。それは、これまでの私の人生の集大成であった。言い換えるとつまり、周りで当然だったことや、誰かのおすすめや、よく覚えていないところからの情報に依った不確かな答えだった。「大人は何もかも正解を持っている」と思っていたし、人生はそういう答えを見つける旅なんだと思っていた。いつか解くなら今解いてしまおう。そうして気がついたら、20代前半で人生あがっていた。

深い思考を介さない、反射的に出てくる答え。自分の中で「the定番」と思えるような判断基準。そういうものに私を任せると、なんのストレスもなく選択を繰り返せるようになった。

歳を重ねるということは、「the定番」が増えていくことだと思う。私が急いで用意したいくつもの答えに近いものを、これからは時間をかけて経験的に体得していくことになるのだと思う。けれど、それをすべて手に入れたところで、人生の正解を知っていることにもならないし、人生があがったことにもならない。

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「ゴールなんてない、人生は、ただ毎日を幸せに生きていくだけだよ。」

面倒に感じていた沢山の選択肢は、私の幸せを願った誰かがくれた愛の形だったのかもしれない。この言葉にそう気付かされる。心の向くほうを選んで、幸せに生きていくことを願ってもらっていたのかもしれない。

とりあえずの答えを用意したとしても、私を見失うだけだった。試験と違った。解いたら終わりじゃなかった。

その先に見えないところまで続く、幸せな毎日のために、私は選択するのだった。



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最後まで読んでいただきありがとうございます。こうして言葉を介して繋がれることがとても嬉しいです。