あの頃の日々。

まだ彼女の誕生日には早いけど。
ちょっと話させてくださいな。

昔はお酒の年齢制限なんかも緩かった。
そもそも私は、幼稚園の頃から母親に居酒屋に連れられて行ってた人で、つぼ八のもずくで喉をつまらせて死にかけたことがある。

中学不登校時にも近所のおばちゃんとなぜかカラオケやら居酒屋やらに行ってた。
不登校って言ってもいじめとかあったわけじゃなくてむしろまわりもなんで?って感じで。
私はただ、自分が誰なのかわからなくなって、なんで存在してるのかがわからなくて、そうしたら身動きがとれなくなったくち。

そりゃあまぁ、身内には責められまくった、さぼるなって。
兄には髪の毛捕まれてベッドの縁に頭叩きつけられたり首占められたり嘲られたり、散々だったし、母には泣きながらベッドから引きずり出されて叩かれながら何でだってせめられたし。
ああ。父親は無関心。なんとも感じなかったみたい。同居の父方の祖母も私が日中家にいても不思議とも思わなかった程度にどうでも良かったみたい。

それでも友達はいたし、むしろなんか目が覚めて起きたら知らん子が家にいて溜まり場になってた。

なんだっけ。話を戻そう。

そう、昔はお酒の取り締まりに緩かった。
私は十五の頃には既に呑んでた。
彼女とも、居酒屋で呑んだり彼女の家で呑んだり、ああ、彼女のお兄さんからの差し入れでちょっと良いお肉でしゃぶしゃぶパーティーなんかもやった。

彼女も双極持ち。当時は鬱病と解離性同一性障害って診断だったみたいだけど、どう考えても双極性障害。
ワインボトル一瓶空けてべろべろで死にたいだなんだ夜中に電話してきたりだとか、朝起きたら知らないうちに味噌汁が用意されてただとか。
彼女は憑依型で後ろに憑いてるという人が代わりに作るのだと言ってた。
ONE PIECEのチョッパーの回を朗読され続けた時はさすがに面倒くさいなって思った。

寂しがりで遊ぶことが好きな人で、いつも率先して計画立てては仲間内みんなで遊びに出掛けてた。
高校も行かず、入った専門学校でもうまく行かずな私を心配していたらしいけど、それでも青春臭いことは彼女から教わった。

カルアミルクの味を覚えて、レモンサワーか食事に合うことを知って、お腹が減ると機嫌が悪くなる私にクッキーやら売店で買っては「ほら食べな」と勧めてくる。
彼女の家に行くときは必ず買ってくれる焼き鳥があって、私はそれを食べながら彼女のあとを歩いた。
その背中を覚えているよ。どんな気持ちで見てたかも。

ラケルってオムライスのお店を知っているだろうか。
私はそのお店がいたく気に入って。
会うたび毎回連れていってくれた。
お焦げのごはんがたまらない。
今では店舗も減ってしまったみたいだけど、たまたま店舗のある近所に引っ越した時があって、必ずお焦げのオムライスを頼んだ。
他に食べたいものもあったのに、迷った挙げ句に注文するのはいつもそれで。次こそ他のメニューを食べようと毎回思うのだけどね。

私が初めて自傷したときも、サンジくんのぐるぐる眉毛みたいだとか言われた。
サンジ、知らんがな。当時の私は彼女の熱烈な話を聞いていただけでONE PIECEを読んだことがなかった。
ただたしかに今思うと線香で焼いた模様はサンジの眉毛だった。
それももう今は消えている。

命日になった日の三日後にね。
会うはずだった、遅くなったけど私の誕生日を祝おうって。
プレゼントはONE PIECE。布教活動かよ。
それもご親族が後片付けの際に棄ててしまった。

あー、ナンジャタウンとかもハマってよく行ったな。
あれ、なにかを育てたりだとか、中毒性が高い仕様に成ってるの。
記録が残るからまた行きたくなる。
しかもくじ引きとかあって、入場料が割引になる。
当時本当にハマった。
一度、気分が悪くなってバックヤードに収容された時があったけど。それでもめげずに通った。
仲間内で行くと飽きなかった。

楽しかったな。
彼女の家の近所の神社さんにお参りに行ったりとか。
不思議な話を楽しそうに話す。
不思議なこともこの世界にはあるのだなと知る。
教えてくれたのは彼女。

楽しいことの側にはいつもいてくれた。
自分なんて要らないくらいに人を大切だと想えた。
幸せになって欲しかった。

きっと彼女も思ってる。
私に幸せになれって。

知ってる。
ふふ。

知ってるよ。


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