人格の解離下で葛藤が起きないとはどういうことか / 解離性同一性障害(多重人格)
久しぶりにコラムでも。
解離性同一性障害とは人格に同一性がみられない障害のことです。
ひとりの人間のなかに複数の人格がみられ各々の価値観や思想のもと活動します。
以前からのコラムで、葛藤がみられる場合は解離は起きていないと説明してきましたが具体的にいうとどういうことか、という話を。
人格同士は体感的に他人同士です。
私の場合記憶の共有はできますが、他人格の記憶を自身の記憶として完全には認識できません。
そのため体験もそれに対する心の反応も人格それぞれによって違います。
たとえば、東雲が恋愛事で悩み葛藤していますが、それをシオンはどうとも思っていません。
むしろ面白がっている節があります。
これは東雲という人格内では葛藤が起きひとつの人格であるものの、シオンは葛藤せずまったく別の感覚で体験を処理しているということです。
葛藤がみられる東雲はひとつの人格でありそれ以上解離を起こしていないということです。
また葛藤していないシオンがまったくの別人格であるということでもあります。
さらに東雲が解離を起こした場合、悩みが基となる新たな人格が増え、東雲は葛藤しなくなる場合が考えられます。
もしくは東雲が悩みを抱えたまま解離分離し、新たな人格が増える場合が考えられます。
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実際の現状は微妙なところです。
東雲からいづるという新たな人格が増えました。
いづるは少なくとも東雲が悩んでいたような葛藤をしているようには見受けられません。
おそらく悩むことよりも生活を維持することを優先したため、悩みごと東雲を切り離したと思われます。
現在はいづるが表へでて悩み(東雲)を押さえているような状態です。
人格が発生したばかりの頃はまだ安定せず、自分が何者であるかも不明瞭であることが多く経過観察中です。
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今回は、人格の葛藤についてお話ししてみました。
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