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わたしは、学校以外に居場所があるってことを知らなかった。もしも今のわたしなら、全く違う道を選ぶよ。

中学校という場所はわたしにとって、行きたいではなく行かなきゃいけないものという義務的で面白くないとこだった。本来であれば、問題があると先生にも相談してなんやかんやと解決に向けていくのが普通なんだろうけど、友達はもちろん信頼できる先生もなかなかいなかった。

泣きたいくらいにあのころは、周りに相談できる人がいないなかで耐えて、今にも割れそうな年季の入った古いガラスケースに入って怯えてた。

「いつか自分は、『助けて』を言えないくらい、人を信じられなくなって、しまいには声を失ってしまうのではないか」

「このまま誰も信用できずに社会に『行ってらっしゃい』って送り出されたらどうしよう」とか、「今」を解決も何もできてない状態なのに、未来のことまで頭を悩ませることになった、わたしを変えるきっかけとなった出来事は、たとえ何年何ヶ月経とうとも、怖いものは怖い。

日が経つごとに忘れていくから、とか記憶が曖昧になってそのうちね、とかそういうことじゃなく。
中学生時代が終わり、学校から解放されて同級生とも会わないで済む毎日を送れるようになったけど、心はまだまだ火傷の後がくっきり残っている。
理屈ではもう会わないと分かっていても、同級生はどこかで自分をまだ憶えているのではないか、会ってまた何かされたら、とか延々考えてしまう。

そもそも、学校行きたくないのに行き続けてたのにもわけがあったんだよ。

今は、わたしが仕事から帰ってきたら「ただいま」
を言える相手はいないけど、夕方になると人口密度が増える。

それまでに自分のやりたいことや、本日のTo Do リストに書かれてあることもこなしながらその人達の帰りを待つ。

でも、わたしが中学生のころに取りたかったパスポートが取得できなかったのは、ここにあったの。
「まるっきりひとりになる時間がない」ってことに。

わたしは自分で言うの恥ずかしいけど、頑固なほどに一度言われたことは変えない習性がある。
だから、家族が家にいて、不自然に家に籠るようになったとすると、言われるであろう言葉は、「どうして家にいるの?」だと思うから。

余計な心配を掛けたくなくて、話すこともせずに耐えていた。

周りと違うことの、何が面白いんだ?
ネタにしたいほどの話が、どこからそんなに湧いてくる? 理不尽だなぁ。そんなことを思いながら、嫌で嫌で仕方ない毎日を、どうにかやり過ごしていた。

        *  *  *

何月ごろだったかな、細かいところは忘れたけど終礼ミーティングが終わってから帰ろうとしたらひとりの男の子に声を掛けられた。
衝撃的で、あまりにも残酷な一言だった。
ここには書けないけど、わたしは言葉を失ったし
「この人、人間の心を持ってないんじゃない?」と疑いたくなる。真冬に浴びる真水のような冷たい一言だった。

マジであのとき、ひとりでも味方がいてくれていたら。取り返せない過去を振り返っては、過去の自分をぎゅうっと包みたくなる。

もしも今、昔のわたしのようにつらくて悲しくて誰のせいにもできないことで頭がぐるぐるしちゃっている人がいるのだとしたら、わたしがあなたにかける言葉は慰めでも、気休めの言葉でもないし、そんなに簡単にどうしろとかいうアドバイスもできない。

だって、同じ人間でも全然別々なんだから。
わたしは取れなかったパスポートを、あなたが取ることで心が折れないで済むのならとってもいいと思う。周りの目なんて、気にしないでもいい。

わたしはその順番を間違えた人だから、あなたには同じ間違いをしてほしくないからこうして文字にして今、伝えてる。「味方がいるよ。あなたが安心できる環境であれば、それでいいのよ」と。

大人はさ、不登校とかなんとかとか聞く度に
「近所の〇〇さんに知られたら…」とか(そういう人たちばかりじゃないけど)世間体を気にすることがあると思う。
普通でいてほしいっていう強い願いが、こどもにのしかかって結果、こどもが潰れてしまう。
本末転倒な展開過ぎない?
だったら尚更、自分らしくいれるためのお選別をしようよ。何が好きで、どんな場所なら安心できる?
不安になるときはどんなとき? 何が嫌で、何が嫌い?

一辺に考えられなくても、ひとつずつで構わない。
ぐちゃぐちゃな固結びになった紐を解いて、快適な旅に出かけよう。

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