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かつていた娘の存在が上書きされてしまうほどのショックってー。

「お前が好きになった男の名前を彫ったせいで、母さんが壊れた。あれからずっと、母さんは壊れたまんまだ、今もずっと。『時代も変わったしさぁ』とか『そんな大変なことしたかなぁ?』ってずっと不貞腐れてればいい。母さんには会わせない」。

そんな言葉をかけられ、「どうでもいいんだけど…」と力なく笑うケンタ。

ドラマでケンタマニアな野田翔子は、「ここに自分が存在している」のにそれ自体をなかったことにされている母親と「やり直したい」「このままでずーっといるのもあれだしさぁ、せめて仲直りしたい」と、遺産相続だ放棄だの件も含めてお兄ちゃんと話し合っていた。

わたしはドラマを見ながら、ケンタとケンタのお兄ちゃんとの成り行きがどうなるか、また違う意味でドキドキしていた。

ちょっとだけ抱いた微かな期待。
「会えるよ、お前にその気があるなら」って言ってあげて! ー わたしの期待も虚しく、返ってきた答えはNO。

今でこそタトゥー=ファッションの一部だとか
ケンタみたいに軽いノリで、とか
その場の雰囲気に合わせて、とかで入れる人も珍しくはないんだろうけれど、ひと昔前の世代の人から見たら、「金髪ジャラジャラのゴツい兄ちゃんがやること」とか、「ヤンキーがやること」みたいな固定観念があったんだろうね。

しかも、好きな絵柄を入れるならまだ「好きやから入れたの」で説明つくことが、好きな人の名前ってどうなんだ ー って、お母さんやケンタのお兄ちゃんの言い分はそこにもあるんだと思う。
本当のことはわからないし、確かめる術もないわたし達には想像するしかないけどさ。

お母さんやお兄ちゃんのショックも、全く理解できないわけではないけど、ケンタのショックも相当だったんだろうね。

「娘はいなくて息子ふたりだけです」ってことになって“無”にされた自分の存在だったり、ケンタがタクシードライバーとして働いている車にせっかくお客さんとして乗車してくれたお兄ちゃんにでさえも「お前なんかに大切な命を預けられるか! 代金は置いてくから降りるぞ!」と何もしていないにも関わらず雑に扱われる悲しさや虚無感。

それ以外にも接客としてわざわざケンタからお客さんに話しかけたのにも関わらず、「そういうのいいんで」とにべもなく言われてしまうことや、
大好きなラジオ番組「エレキコミック」をかけてたのに「止めて貰っていいですか」なんて言われてしまう。

お客さん相手だから多少しゃあないとは言っても、お客さん自身が不機嫌だから、とかそんな理由でだとしたらケンタが可哀想になってくる。

誰であれ、人が人として見られなくなっちゃうっていうことはほっとかれることとか、罵声を浴びせられるよりもヘタするとキツいのかもしれない。

キツくて悲しくて、その思いが強過ぎると「何のために自分は…」なんて考えにいつなるかわからない。

ケンタも若葉も
親子でうまくいかなかった分を、友達みたいに接することのできるサチや親代わりの邦子(サチのお母さん)に求めてるのかな? って… そんなこともふと感じた。

うまく言葉にできる術を、わたしは何も持っていない。

文字にポチポチ、言葉を打っているだけで考えが整頓されるだけに過ぎなくて…
言葉にならないところや、あえてしない部分、言語化したいけどわたしの頭ではどうにもできないところは、どんどん溢れて零れ落ちていく。

わたしがわたしでいられるためにできることは、声もない、音もないこのnoteという世界に
どれだけの思いを持って来られるかな、ってことだと思う。

使命とかタスクとか
そんな何か壮大なものじゃないけど
わたしはわたしの感じたことを
まだまだこれからも置いていきたい。
いいことや悪いことも含め全部ね。

ただ、自分の意識していないところで
「言葉」というわたしの大好きなツールを使って誰かを悲しくさせるのは嫌だから、何度も何度も確かめながら投稿していくよ。

時間はその分かかるかもしれないけど
どこかで誰かがひっそりと見てくれてることを信じて活動を続けるね。


ドラマの感想文が途中から独り言に変わった、
わたしの何でもないつらつら日記。

気持ちが変わらないうちに世に放とう。

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