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活気と生を感じる国🇧🇩🇮🇳

  年始(1/5〜15)に父の故郷であるバングラデシュと、友人のいるムンバイに行ってきた。10日間だったけど、改めてバングラデシュもインドも私のホームだなと感じた。私は日本で生まれ育った日本人であるけれど、やっぱり半分はバングラデシュ人。

 あの活気に包まれると、生きていると実感できる。ダッカ(バングラデシュの首都)、ムンバイで会った人たちも刺激的で、会うとワクワクする。活気で溢れる空気とそこで出会った人たちが大好き。だから、やっぱりまたインドに帰りたい。海外にいたいなと思った。

 この10日間で何を見て何を感じたか、もっとタイムリーで書きたかったけれど、色々あり過ぎて何から書いて良いのか分からなかった。そのためバングラデシュから帰ってきて3週間以上経っているのに、ここで文章が止まっていた。でも、今日は書いておきたいことがあるので書いてみようと思う。バングラデシュのある親戚について。

ある親戚の女の子

 その子の名前はマイラ。私の父のいとこの子供。4歳か5歳くらい。私にとっては人生で3、4回ほどしか会ったことのない遠い親戚なのだが、父方の親戚達(バングラデシュの親戚達)にとっては久しぶりに生まれてきた子供であるため、親戚一同で溺愛していた。

 その子がとにかく手のかかる、元気が有り余っている子だった。よくインドの友人やバングラデシュのいとこ達から「インドの、バングラデシュの子供は騒がし過ぎる。」と聞いていて、インドに住んでいた私も同意見なのだけれども、格別だった。
終始動き周り、叫び、人のものを欲しがり、食べ物を投げ、叱ってもお構いなし。3週間前のバングラデシュ滞在でこの子に会うたびに、次は何をするかとハラハラしていた。

 それでも彼女は愛くるしくて、大きくてかわいい目と笑顔を見ると思わず写真を撮ってにっこりしてしまっていた。騒がしくても、言うことを聞かなくても許してしまう。かわいい。ついつい甘やかしてしまうのも理解できる。
私の母が「コーラン(イスラム教の聖典。バングラデシュの親戚達は家庭教師をつけてもらいコーランを学んでいた)を習えばきっともう少し落ち着く。」と言っていたのを聞いて、「将来どんな子になるのかなあ。」とぼんやり考えていた。

 しかし、今日、その子が亡くなったと知らせを受けた。母親とリキシャに乗っていたところ、リキシャから落ちて、車に轢かれてしまったらしい。
3週間前に会った子が亡くなったなんて信じられなかった。3、4回しか会ったことがなかったからか、なおさら亡くなったという実感がなかったのだけど後からじわじわと感じるものがあった。
あんなに幼くて元気だった子がもういないなんて。きっとこれから先もマイラのことを思い出すと思う。


死がより身近にある国

 バングラデシュ、インドは子供が亡くなる確率が他国に比べてとても高いらしい。子供の頃に「バングラデシュでは子供が一歳になる前に亡くなることが多いから、一歳になったら誕生日を盛大に祝う」と聞いたことがある。
その時は「何それ、ちょっと大袈裟だな」くらいに思っていた。でも今、この歳でバングラデシュに来て、インドにも住んでみてそれが本当だと理解できる。この両国は死が身近にあると思うから。

 今思えばそれを連想させる場面に何度も出くわした。爆発があったとか、大きな事故があったとか、そんな大層なことじゃない。ごく普通の日常生活の中で。

 例えば、バングラデシュ、インドでは渋滞がひどく、信号がない大きな道路がたくさんある。その渋滞の中リキシャに乗っていて、「(リキシャから)落ちたら終わりだけど、簡単に落ちるな」と思ったこともあるし、車通りの激しい信号のない道を徒歩で横切る時も、「何か間違えば簡単に人生が終わってしまうんだろうな」と考えたことがある。
だからマイラが亡くなったと言う実感はまだないのだけれども、リキシャから子供が落ちて亡くなると言うのは簡単に想像がつく。

 そしてインドの雑多な街の中で、私は死んでいるのか生きているのか分からないくらい縮こまって倒れている(寝ている)人、痩せ過ぎな物乞いの子供やその親、死んでしまっている犬等を見た。そのすぐそばには勤め先の立派なオフィスビルや、たまに遊びに行っていた大きなショッピングモールがあった。距離は近いのに全く違う世界。

 バングラデシュもインドも、日本から見るよりずっと急速に発展が進んでいて、想像していたより暮らしやすい。それでも、日本では普通見ないような光景をたくさん目にする。

 「あの活気に包まれると、生きていると実感できる」と私が強く思うのは、街や人の賑やかさやエネルギーだけでない、死とか極限のような空気を日常の中で感じたからなのかもしれない。

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