リリのスープ 第十七章 シンとジョシュ

会場についたころには、人だかりの熱気で、押し寄せていた。
自分たちだけでなく、その日会場に集まり、食事を出そうというお店が軒をつらね、大会の関係者、そして、出場者たち、その家族友人、物見見物の人だかり、すべてが、リリとナディンを圧倒していた。
どこにいっても、会場の関係者や、知り合いがごった返している中、二人を知っているものは、運転してくれた見習いのディンだけだった。

「すごい人ですね。ぼくは、昼から親方から作業を頼まれているので、いなくなるんですが、帰りは、親方が送る手配をしてくれると思いますから」

と目を泳がせながら、曖昧に言って帰っていった。
開始11時30分には、まだ一時間以上もあった。

二人は、係りの人の指示で、待機場所へと急いだ。
その日、大会に出るのは、17組もいた。
自分たちだけでも、遠くから来ていると思ったが、州の大会だったからか、もっと遠方から駆けつけていた組もあった。
その組は、若い夫婦だった。
きっと、自分たちより、少し下くらいの年代と思われる奥さんと、同世代くらいの旦那さんが二人で、鍋や什器の準備をしていた。
その若い夫婦をみていると、黒髪をナプキンで巻いている奥さんが、せっせと手際よく働いていた。
その横で、旦那さんは、食材の具合をみるようにぼんやりした面持ちで鍋の中をみて、味見したりしていた。
奥さんの方は、せっせと働くためか、旦那さんのおっとりしたところが気になるらしく、何かとせっつくように尻をたたいてはテキパキとこなしていた。
旦那さんも、そんな風に言われるのに慣れているらしく、ブツブツいいながらも、しっかりした手つきで、鍋の中のものをかき混ぜたり足したりしていた。
ナディンも、リリも、自然と目がその夫婦の方へ、いくのだった。
若い夫婦が、可愛げがあって、ほほえましく思えた。
自分にもそんな時代があったとリリは考えていた。

二人の作業の手がひと段落したのか、ふうと額の汗をぬぐい、周りをみる余裕ができたところで、お互いの目があった。
夫婦は、とくに奥さんの方は、にっこり微笑んできた。
きっと商売なれしているのだろうと思った。ナディンもリリも、その笑顔に返した。
奥さんは、女性ということもあってか、笑顔であいさつ交わすと、こちらへやってきて、声をかけた。

「こんにちは。あなた方は、どこの町からきたの?」

「わたしたちは、隣町のシンディアからよ。あなたたちは、どこからきたの?」

ナディンがこたえると、奥さんが目を輝かせて、

「シンディア!素敵!海があって、いいところ。わたしたちは、もっと田舎の、チキルから来たの。
山ばかりのところだけど、美味しいものがたくさんあって、気に入っているのよ」

ね?と旦那さんの顔をみながらこたえた。
旦那さんは、その笑顔にこたえるように、こちらにもおずおずしたように、微笑んで見せた。
奥さんの方が、快活で、何でもこたえてくれた。

ナディンとリリは、すっかりこの夫婦が好きになった。

奥さんは、てきぱきと何でも店のことをやる代わりに、旦那さんが厨房のいっさいをやっているようだった。

「料理は、旦那さんが作るの?」

ナディンが聞くと、奥さんは

「そうなの。わたしが作るよりも、この人が作るほうが、うんと美味しいって評判なの。だから、わたしは、お店のお客さんの相手をするほうが、ずっといいの。性分にもあってるし」

といって笑った。

「あなたたちは、シンディアでどんなお店をやってるの?」

奥さんは聞いた。
ナディンもリリも顔を見合わせてから、何とこたえていいか、少し言葉を考えてから、

「あのね、実は、わたしたち旅の途中で・・・」

という話から、家も持ち物もすべてなくなって、町の人たちの好意で小屋に住まわせてもらい、そこでスープを作って市場で売っている話をした。
二人の中では、いろんなことを端折り話たつもりだったが、奥さんは興味がわいたようで、食いつきようはすごかった。

「なんて!素敵なの。じゃあ、ずっとあの町にいたんじゃなくて、旅をしながら、周っていたら、そこに行き着いて、それから一文無しになって商売を始めたっていうわけね!驚いたわ。
わたしたちも、本当は、ずっとチキラにいたわけじゃないんだけど、旅をしていてなんとなく、そこに住むことになったの。
お金のたくわえを少ししていたから、お店をやろうということになって、二人でやってきたのよ。
なんだかわたしたち似ているわね」

と奥さんは、言うと、にっこり笑って、

「わたしたち仲良くなれそう。お友達ができて、嬉しいわ」

と素直に喜んだ。
大会の開始までの待ち時間が、まだ十分にあったので、お互い準備することもなくなり話に花をさかせた。
ナディンと、リリ、そして、奥さんはシン、旦那さんはジョシュとお互いの自己紹介をし、打ち解けるまでにはそう時間はかからなかった。

ナディンもリリも、同世代のような若い女性と話すのはひさしぶりだったので、女学生時代に戻ったような気がして気分が高揚した。
それほど、シンは、快活にはっきりものを言う代わりに、相手の気持ちになって考えることをためらわなかったし、感情を素直に見せるところも、二人は気に入った。

そして、大会まであと少しというところで、シンがふと、

「ねえ、そういえば、あなたたちは結婚されているの?わたしたちずけずけいろんなこと聞いちゃったけど、もしかして独身の方かと思ったけど、二人ともシングル?」

そういわれて、ナディンもリリも黙り込んだ。
ナディンは、自分は素直に、シングルと答えることができたが、いまのこの状況で、シングルの自分がなぜ人の家の妻リリと旅をしているのかを問われたとき、なんとこたえて良いかわからなかった。
自分はシングルでも、リリの家出を手伝っている共犯者という事情が、自分の素性を明かすことに後ろめたさを感じさせた。
リリは、そんなナディンの気持ちを知ってか知らずか、こう答えた。

「わたしたちは、独身よ!と答えたいところだけど、本当は、わたしは結婚しているの。子供もいるのよ。ナディンは、独身。
二人で、旅行に行こうということになって、こっちへ来たの」

そういうと、シンは、めずらしそうに

「へー。いいお友達なのね。そんな友達って、学校を離れて結婚すると、もう、そうそう見つからないものだけど、二人は、本当に仲がいいのね。
けれど、どういういきさつで、旅をしようということになったの?
旦那さんは、もとのお家にいるのでしょう?」

と言い出すと、ジョシュが、シンの腕をつついた。
シンは、はっとして、


「ごめんなさい。事情もあるでしょうに、なんでも聞いちゃったりして」

とすぐに謝った。ジョシュは、彼女のいい味方だなと、ナディンは思った。
リリは、微笑んで、そんなシンを受け入れた。

「いいのよ。変わっているでしょ。わたしたちもそう思うもの。
家族と離れて、小屋で暮らして、そこでスープを作って売っていたの。
けれど、もうその暮らしも、この大会で終わりかも」

と笑った。ナディンは、リリの心境を思うと、どんな気持ちで終わりと言ったか、考えずにいられなかった。
きっと、自分たちの旅が終わるという気持ちだけではないと思えたからだ。
デイが、この会場のどこかに来ているのだろうか、本当にそんなことがあるのだろうか、そう思うと気持ちが沈んだ。

シンは、二人の様子が、余りにも対照的で、自分たちが聞いたことが彼女たちを困らせていると思ったのか、話題を変えた。


「そうそう、どんな料理を出すの?わたしたちはね、田舎料理なんだけど、パイ生地にボルシチのような具を煮込んだものを入れてあるの。
ちょっと試食してみる?」

シンは、そう聞いてくれた。
シンは、察しがよかったのか、きっと彼女たちには複雑な事情があるに違いないと気持ちを汲んで、それを自分が無理に聞き出そうとしてしまったことへのお詫びのような一抹の気持ちでもあった。
ナディンも、リリも、シンが悪気がないことを知っているため、その好意へ応えるように、パイをいただくことにし、自分たちも、スープをあげた。

パイは、外がさくっとしているのに、中が、とろっとしていて、ちょうどいい食感だった。中には、チキルでその時期にとれる野菜やら、果物もはいっており、全体的にラタトゥユに果物の酸味と甘さが合わさったおやつのようなものだった。

ナディンは、

「これは、美味しいわ!わたしの口にとっても合う!」

素直に、喜んだ。肉などが入ったパイは、あまり好きではなかったが、こういう野菜と果物でできたような体に優しい食べ物は、女性や子供にもきっと好まれるだろうと思った。

ジョシュは、嬉しそうに照れて、

「ありがとうございます。ぼくの力作なんです。何度も工夫を重ねてここまでの味にしたんです。だから思い入れも一番深い」

そういうと、シンも隣にいるジョシュをみた。
きっと、二人で、何度も失敗を重ねて作ってきたパイなんだろうと、思えた。
二人は、まだ若いし、これから子供も生まれていろんな苦労もあるかもしれないけれど、こうやって何か一つを二人で着々と作り上げてきた夫婦は、絆が大きい。
シンは、口が達者で頭の回転も速いが、その片方の手でジョシュのことを支えている。
いい夫婦だなと、ナディンもリリも思った。

「わたしたち、これから子供が生まれてきたら、このパイをみんなに食べさせるの。子供をたくさん作って、大きな家族にしたいのよ」

そういうと、ジョシュとシンは顔を見合わせて笑った。
リリは、彼女たちのような子供がいない頃の新鮮な気持ちには戻れなかったが、子供を生んでからする苦労を考えてみても、子沢山なのはいいことだと思えた。
子供がたくさんいることは、苦労も大変さも絶えないけれど、自分の人生の中で、これほど人に求められ愛され、必要とされる時期も他にないようにも思えたからだ。

リリは、遠く目で追った。
過ぎ去った日の小さかったコリンとバーバラが、目の前を走り抜ける幻想が流れていった。

自分は、母親失格なのだろうか。
きっと、そうかもしれない。あの子たちは、わたしを忘れてしまっただろうか。そんなことを思った。

シンは、リリのそんな姿をみて、

「きっと、リリの子供たちは、素直でいい子なんでしょうね。お母さんのスープを飲んできたんだもの」

そういうと、リリのスープを一口飲んで、「美味しい!」と絶賛した。


「こんなスープ飲んだことない。いいえ、昔に飲んだのかもしれないけれど、なんていうか、懐かしい気持ちになるのよ。とっても。
忘れていた何かを思い出させてくれるみたいな。ねえ、ジョシュ?」

そういうと、隣でもジョシュが、うなづきながら

「美味しいです。特別な材料が入っているわけではないけれど、素朴というか、言葉が選べないけど。
自分たちには、絶対に作れないスープだ。
同じ材料をもらっても、きっとこの味は出せないと思う」

若い夫婦が口々に変わるがわる美味しいと言ってくれる言葉をきいて、ナディンとリリの気持ちにも明るさが出てきた。
いまは、このスープを食べてくれる人に集中しよう。

遠くにいる家族のことを思い出すのも、これから先のことを考えるのも、後回しでいい!

そう思ったところで、大会の関係者が、出場者を呼びに来たのだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?