お墓の木と経済的DVの話。

こんばんは。今日もお疲れ様でした。

今日から私は、三連休でして、今日は、先月から決めていたお墓参りに行ってきました。

私は、家族との間で色々なトラブルなどがありまして、お墓にはずっと行っていなかったのですが、とあるキッカケがあり、一ヶ月に一回、都合が合えば行くということを数ヶ月前から始めました。

はじめは、荒れ果てたお墓に圧倒され、お墓に眠る祖父母に対して、申し訳なく、罪悪感を感じました。
その罪悪感は、瞬く間に、こんな風にお墓を放置している祖父母の子供たちに対する怒りに変わりました。
正直、お世話をする気がないのなら、高いお金を支払って、お墓を立てる必要はなかった。そのお金で、生きている人間が愉しめばよかったのに。と思いました。

いつだって、私の家族は、私に極端にケチな生活を強要した上で、たまったお金を変なことのために使っている、そう感じます。
お墓の場合は、エゴや見栄、世間体とか、そういうことでしょうかね。
宗教心の厚い人ならば、こんなにお墓を粗末に扱わないと思いますし。

ただ、私は、私ができる限り、このお墓をきれいにしたいと思いました。
せめてもの償い。だれに?と思うのですが。

やはり、両親から虐待を受けていた私を養子に迎えてくれると言ってくれた祖父母への感謝の気持ち。

そして、幸せを願ってくれたのに、いまだ幸せになれていないことへの償い。

子孫を残せなかったことに対する申し訳ない気持ち。
そういった感情が私の中にはあります。

この先、どうなるかはわかりませんが、今、できることなので、お墓をきれいにしたいと思いました。

それは、先々月のことでした。

先月、掃除道具を持ってお墓に行き、雑草だと思っていたものが、太い幹をもった木であることがわかりました。それは、丁度お墓の後ろ側、数センチのところに生えていました。

お墓のことに全く興味もなく、詳しくもなかったので、信じられなかったです。とくに、私の祖父母のお墓は、海に近く、砂の上に建てられていて、砂を掘ると、海水と思われる、湿り気があるんです。

塩のあるところで、木が育つのか?
砂で木が育つのか?
信じられなかったですが、自宅に帰って、調べると、お墓に木が生えることは、実際起こっていることで、木が原因で最終的にお墓が傾く、倒壊するので、すぐに切り倒さないといけないとありました。

そういった経緯で、本日、ノコギリを持って木を切り倒しに行ったのですが、結論としては、幹が太すぎて、切り倒せませんでした。

1人で行うのも不安でしたので、同居している、ひきこもりの弟にお願いしてみましたが、案の定、断わられました。数年ぶりの会話でした。

このひとは、きっと、一生、このまま、変わらないんだろうなと改めて思い、ますます、辛く、不安になりました。

話は戻りまして、ノコギリなんですが、

ノコギリの歯の方が切れなくなるというか、折れそうで、もっと大きいしっかりとしたものを買わないと切り倒せなさそうです。

とはいえ、これしか武器はなく、45分間、一心にノコギリを動かし続け疲れました。

今思うと、はじめてのことで、要領が悪すぎました。

最初に、葉っぱを茂らせている、まだ、比較的細い茎を切断しとけばよかったです。そして、幹にわかりやすく白とかの油性マーカーで切る位置目印をつけておけばよかったです。

そうすれば、もっと作業しやすく、力を集中させ、効率的に作業ができた気がします。

遠回りが結局は近道的な。。。。

今回は、時間がなく、切りつけた傷に、根が枯れる除草液を原液のままかけて、サランラップでまいて、輪ゴムで止めてきました。

これで、根が枯れてくれたらよいのですが、相当、根が砂の下、お墓の下に広がっているようなので、どうかなぁ。

とにかく、今家にあるノコギリでは歯がたたないことがわかり、一歩前進です。

一歩前進といえば、もう20年も悩んでいる、自動車の運転についてもありました。

ついに、カーシェアリングに登録し、カードが発行されました。

郵送されるので、運転に反対している父に見つかったら、また、叱られるんだろうな、怒鳴られるんだろうなと、最近ずっと不安でした。

でも、そのときに、バレてしまったほうが気が楽だとも思っていたので、想定内だったのですが、

郵便局のほうから、本人確認書類が届いていますというお知らせで郵送されて、それを見た父が、別居中(正しくは、消息不明)の母に関係する銀行の書類ではないかと疑い、私に中身を確認するように言ってきました。

私は、私の名前で来ているのだから、私の書類だと言ったのですが、何かに怯えているのか、中身をその場で開封して見せろということで・・・

開封し、父にカーシェアをはじめるので、その書類だと話したところ、俺に何も言わずに何をしているんだ、と、余分なお金があるんだな、と怒鳴られました。

書くと長くなるので割愛しますが、私は、ずっと父から馬鹿にし続けられていて、自分のしたいことができない、自分のお金なのに使うこともできません。

私の住んでいるところでは、車の運転は当たり前のことなんです。
当然、車なしでは不便なので、がんばって練習したいのに、応援してもらえません。

父と一緒に練習もしていたのですが、ふつうに、駐車場や公共の場で、怒鳴られていました。それを見た周囲の人たちは、おばさんがおじいさんに叱られていると思ったんじゃないかな?

私と父は、親子ではなく、夫婦に間違えられることが多いんです。
雰囲気が親子ではないらしく、それは、自分でもそうだろうなと思います。

子供の天真爛漫さ?が私にはないんです。
DVを受けている妻って感じ。

何事も父に相談しないといけないそうで・・・・
もう私は、いい年もいい年なのですが・・・
パソコンや携帯を自分で買っただけで、驚かれ、こいつ自分でパソコン買ってるんだ、と、私よりずっと若い親戚に話していたこともあり、親戚は、対応に困っているようでした。

いつまでも、私は、10歳くらいの子供なんだろうか?
多分、そうじゃなくて、これは経済的DVなんだろうな、と今日、認識しました。

何をするにも、父の許可が必要で、私の収入額、貯金額、すべて把握されています。

なにかにつけて、私の稼ぎの少なさのせいにされるので、副業をしたり、株式投資をしているのですが、それに対しても、最初は、すごく反対し、チェックされていました。

父の真意はわかりかねますが、私としては、失敗を許してくれない環境で、毎日不安でドキドキし、憂鬱で、新しいことに挑戦しにくい、ほしいものも変えないし、したいこともできない、そういう人生で、今も、精神的に安定していないのが、普通という感じです。

休みができても、旅行にいけない。お金がかかるから。
父の許可を取る必要があるのですが、そのハードルを超えてまで、旅行に行こうと思わないというか、諦めてしまう・・・。

仕事も変わりたいし、家からも出たいし、恋愛もしたいし、結婚もしたかったし、母親にもなりたかったけど、いまだ、できない。

母は、シェルターに行って、誰かに助けてもらったけど、私にもDVを受けたと話していて、私は、DVなんてしてないし、作り話をしていると憤りを感じ、母の代わりに祖母の介護をして、大変なことは、一切触れられず、いい年をして、母に依存する娘として仕立て上げられてしまって。
私としては、私も精神的、肉体的、そして経済的DVを母から受けていたんだけどなぁ。

だから、シェルターに行こうという気にならないし、シェルターに行ったら、父に叱られるだろうな〜〜〜。

誰かを傷つけたいとは思わない。
ただ、穏やかに暮らしたい。
できれば、ふつうの人と同じように、みんながしていることがしたい。
唯一、できそうなのが運転。
まずは、運転からはじめようと思っています。





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