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風と歩く #デザインフェスタ

「どこか遠く。それでいいんです。決めないほうが。終わりのないほうがね」  『帽子と来客』 吉田篤弘

 明確さというものは、宝石のようにいつだって僕らを魅了しようとしてくる。
 試験の点数、年収、身に着けているブランド。誰にとっても公平に現実を可視化してくれるそれらは、あたかも自分の価値を代弁してくれるようで、その自分の外にある判然とした何かに依存してしまいたくなる。

 明確な結果を追い求めようとしたならば、そこに至るまでの過程もまた、きっと明確なものにならざるを得ない。今日中にあれを終わらせる、来週までにあの仕事を片付ける、今年が終わるまでに昇格しなければならない。

 それはきっと、充実したことではある。
 けれどもそれは、唯一の解だろうか。

 目的地を決めずに、あてどなく歩き、たどり着いた場所で楽しめることを楽しむ。

 そんな別解も、この問いには在るのだろう。

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 横道に逸れる、というか、横道から入るような書き方がすっかり癖になってしまった。書きたかったのは、デザインフェスタに行ってきましたというお話であった。

 このイベントに参加するのも、そろそろ両手の指を使うような数になってきた。毎回、多種多様な作品が並べられるこのお祭りは、なかなか飽きを感じさせない。

 面白いもので、色々なクリエイターの作品を見ていると、色々な傾向があることがわかってくる。

 例えば、その時々のトレンドをテーマにしている人は、結構な数がいる。去年であれば、レジン作家が多かったり、今年であればハーバリウム作家が多かったり、なんていう風に。ハンドメイドのイベントに顔を出していれば目新しさは無いのだが、初めて見る人にとってこれらは、とても美しい。いろいろな人に価値を押し広げるという意味では、トレンドを追うというのも一つの大正解だ。

 それとは対照的に、世間の関心を意に介さず、自分の好きなものを作り続けているような人がいるのも面白い。とても精巧な好々爺面の被り物マスク作家が居たり、宝石から作った短刀を作る作家が在ったりする。僕なんかは、これこそハンドメイド、というかクリエイターの神髄だなあなんて思ってしまう。決してお店に並ばない、並んでも売れないような商品にこれだけ情熱を注ぐ人がいるという事実に、感動をも覚える。自分の価値観を持つという生き方の、お手本のような人たちだ。

 これはちょっと悪口めいてしまうが、一つのジャンルに拘泥してしまうような人気作家を見るのも面白い。昨年は大行列を絶やさなかった作家のブースが、今年は閑古鳥が鳴いていたりする。覗いてみると、クオリティは以前と同じかそれ以上だが、作品のレパートリーが前回と変わっていなかった。年に2回のイベントとはいえ、お客の飽きは早い。過去の成功と訣別できなかった人の背中は、偉大な作家であるがゆえに、他の作家のそれよりも寂しい。


 僕は作品を買うとき、結構作家と話をする。
 話上手であったり口下手だったりと差異はあるけれども、素敵な作品を作るような作家全員に通底して感じるのは、飄々としていて、どこか余裕の雰囲気だ。

 「寂れたものが好きで、だから動かなくなってしまったロボットを作ってみたんです。このロボットの足はもう無いんですけれども、それでもどこか幸せに見えるような表情になったのは不思議です」

 「ステンドグラスの儚さが好きで、それで花を作ったんです。光が当たれば綺麗に儚いし、当たらなければ、寂しく儚い。面白いですよね」


 今の時代に、あてどなく放浪するような旅人という生き方はなくなってしまったけれども、もし今でもそんな生き方があれば、この作家さんたちは、そんな生き方をしていたのではないかな、と思ってしまう。

 彼らは、どこかに辿りつこうという泥臭い意思とは無縁に見える。
 ただ足の赴くまま、目の奪われる景色の方向へ歩いていく。

 
 明解さも素敵だ。けれど同じくらい、不明瞭さも素敵だ。
 その日暮らし、風のまにまに、鳥のように生きるのもよい。


 そんなことを思った、今年のデザインフェスタでした。
 作家の皆様、お疲れさまでした。

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