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アルコール依存症になりたくなかったので、アルコール依存症外来に行った話(1)

アルコール依存症専門医の先生は小一時間ほどの診療ののちにこう言った。

「南々井さんは、今の時点でアルコール依存症とは言い切れないけど、間違いなくアルコール依存症予備軍ではあります」

そして、微笑みを携えてこうも付け加えた。

「だから、そうならないうちに、こうして専門医の元を訪ねるのは素晴らしい判断でしたね」

そう。私は「正気のうちに」「正常な判断が下せるうちに」

健康で家族みんなで幸せな月日を1日でも長く過ごし、

生涯、楽しい日には楽しいお酒が飲むことができるように、

アル中だった父や母のようにならないために、

家族のために、

自分のために、

心療内科の「アルコール依存症外来」の門を叩いた。

41歳の誕生日を迎える、ほんの少し前のこと。

すでに他界している私の両親はアル中だった。

父なんて筋金入りで30代には肝臓を壊し、52歳でアルコール性の肝硬変で死んだ。
私が高校卒業したばかりの18歳のときだ。

父は当然高血圧や糖尿病など各種合併症を患い、歯もボロボロ、30歳前で総入れ歯だった。

父は、テキスタイルデザイナーだったのだが、繊細で心が弱い人だった。

いわゆる酔って暴れる昭和の頑固親父みたいなタイプではなく、芸術家肌の趣味人、自由人で、家族のことは愛していた。
ただコンプレックスが多く、臆病者だったとも思う。

まあ、でも体を病んで尚、死ぬまで20年間酒を飲み続けたのだから、人間としては救いようもないし、同情の余地はない。

一方の母。
アル中が直接の死因ではないが、体は蝕まれていたと思う。
彼女のアル中歴も20年に及ぶだろうか。

基本的に家事や育児を愛する陽気な人だったが、私が高校生のころには夕方缶ビールを飲み出すと、いっさいのまともな会話ができなくなった。

つまり、私たちきょうだいが学校から帰ったころにはその状態なのだ。

目がすわり、呂律もまわらず、口を開けば陰険に絡んでくる。

関わらなければいいだけなので、私も兄や弟も、放っておいた。
そのせいで、家事がおそろかになるということもなかったし、外で問題を起こすということもなかった。

静かに何かを呪いながら1人で酔っ払い、そして翌朝になればいつもの朗らかな母だった。

ただ、こんな経験もある。

何が理由だったのかは忘れてしまったが、学校から私の成績か生活態度について苦言の電話があった。
そのとき「母は酔っ払っていて対応できない」と同じく当時高校生だった兄が電話対応をして、教師にギョッとされたことがある。

その経験は、1度や2度じゃないな…。
苦言の電話が弟の学校からの場合もあったし。

母は「お酒やめなよ」「飲み過ぎだよ」と咎めるとキレるわかりやすいタイプのアル中だった。

あの姿は見事に私の反面教師となり、その後私が夫から、ほんの少しでも飲酒量を咎められると「いいの!ほっといてよ!」と言いながら、当時の母の顔が浮かび、息が詰まるような感覚があった。

いや、そのおかげで、私は受診をする決意ができたのだから心に引っかかったままでよかった。

私には、まもなく4歳になる娘がいる。
だからこそ強く思うのだ。

「ああは、なるまい」

私の飲酒歴について、心療内科医かつアルコール依存症専門医の先生からこう尋ねられた。

「はじめてお酒を飲んだのは何歳のときですか?」

これ、なんて答えればいんだろう? 

と一瞬戸惑った。正直に答えたら、警察が飛び出てきたりして。
なんて想像をするまもなく、ちょっと考えた後、

「…15〜16歳です」

と答えた。
…いや、嘘だな。本当は13歳くらいのときにはカラオケボックスでカルピスサワーを飲んだりしていた。

今の時代に置き換えればとんでも無い悪行だが、昔々は本当に未成年の飲酒への取り締まりが緩かった。
まあ、それは日常的な飲酒ではもちろんなくて、いたずら程度。

※もちろん犯罪です。この場を借りてお詫びします。

医師「お酒を毎日飲むようになったのは?」

私「20代半ばです。そこから、妊娠中授乳中の2年間をのぞいて、基本的に毎日飲んでいます」

私は、ここで自分が書いてきたメモを取り出した。

【相談】
・毎日飲酒してしまうのをやめたい。
・減酒したい。
・完全に禁酒したいわけではない。

【飲酒の状況】
・毎日子供が寝た後22時から24時くらいまで。
・ビールと缶チューハイ3〜5本。気分が良くなって、必ずコンビニに買い足しに行ってしまう。
・普段は、子供が起きているうちは飲まないというルールは基本的に守っている。
・外食ではビール2杯くらい飲むことも。
・飲む理由は、元々お酒が強く、好き。
・家系的に酒好き、ほぼアル中気味で、父母は早死にしている。
 父→肝硬変(52)母→誤嚥性肺炎(62)

【毎晩お酒を飲む理由は】
・仕事と子育てが大変で、夜寝る前にほっとしたい。
・家事が苦手で気を紛らわしている。
・単純にお酒が好き。
・お酒が美味しく、楽しい。

【お酒を減らしたい理由】
・もっと仕事や趣味に時間を費やしたい。
・控えたいのに飲んでしまう罪悪感が苦しい。
・記憶をなくしやすくなった。
・外で友人と飲むと、泥酔して記憶を失うほど飲んでしまう。
・今のところ深刻なトラブルは起こしていないが、いつかやらかしそうで怖い。
・金銭的理由。
・二日酔い。

【断酒しない理由】
・健康診断などは優良。
・旅先や、友人たちとの会食や楽しいひとときは過ごしたい。
・基本的にお酒は楽しく、好き。
・人に迷惑を掛けるような飲み方はしていない。
・禁断症状などもない。

【状況】
妊娠から授乳中のまる2年は苦痛もなく1滴も飲んでいません。
朝から飲むとか、飲まないと禁断症状ということもなく、飲んではいけない日や、本当に飲まないと決めた日は、問題なく禁酒しています。
(体調不良、ワクチン接種、健康診断、ダイエット中など)
なので、周りから禁酒を勧められるなどの深刻な状況ではありません。

ちなみに、このメモを印刷して持参し渡したところ、医師の先生はすこぶる感心してくれて、ちょっと誇らしくなった(笑)

「しかもさすがライターさんですね。文章がとてもわかりやすいです」

文章というか箇条書きだから、そう褒められると戸惑うのだけど(汗)

私は気持ちを伝えるときに喋るより文章に書く方が得意なので、状況を書き連ねていったのだ。

これが「まだ正気を保っている」つまり「ゾンビにかじられてはいるが、神経に毒は回っていないので大切な人に『早く俺から逃げろ!』と言える」アル中一歩手前のだからこそ、なせるわざである。

(この例え話だと、ゾンビになるの待ったなしだからどうかと思う)

いわゆるアルコール依存症と聞くと、私たちが思い浮かべるのは絵に描いたような、最重度の「アル中」患者ではないだろうか。

・朝から晩まで酒を飲む。
・パック酒や業務用焼酎。
・禁断症状で体が震える。
・肝臓を壊していても尚飲む。
・職場の立場が危うくなり失業。
・酒をよこせとキレちらかす。
・家族にも友人にも見放され一人ぼっちに。
・借金。
・暴力事件。
・それでも酒がやめられない。
→その状態から、断酒会に参加し、生涯1滴の酒も飲まないと誓い合う。
→また飲んでしまいその繰り返し。

私は、さすがにこれには該当しない。
朝から飲まない。震えない。借金もないし、健康だ。
…家族には呆れられているにせよ、まだ見放されていない。

ただ、自分の意思で酒を減らすということがどうしても難しかった。
禁酒にまつわる本を読んだりもしたが「ふーーん。たしかに飲み過ぎは体に悪いよねー」プシュっ(缶ビールを開ける音)くらいにしか響かない。

酒のことともなると「人の話を聞き入れない」という悪い部分が露骨になり「健康診断オールA」だしというのを盾にし矛にし、戦い続けてしまうのだ。

ただ、貧弱な小市民である。
お医者さんに言われたらそりゃ背筋も伸びる。
さすがの私だって言うことを聞くだろう。
そんな自分の性格を見越して「禁酒外来」とインターネットで検索した。

ただ、懸念があった。

断酒をしたくないのだ。
いわゆる、一般人程度に飲みたい。楽しい外食や宴席で“たしなむ程度”にお酒を楽しみたい。

でも、依存症の治療って「今後いっさい手を出さない」というものではないだろうか。

薬物依存、ギャンブル依存など「治療は生涯続く。一度でも手を出したら全てが水の泡」と、TVでよく専門家が話している。

病院に行ったら一生お酒飲めないの?アル中でもないのに??

ということをぐるぐると考えながら検索していると、最近は、

「軽度のアルコール依存症の患者には、禁酒ではなく酒の量を減らす減酒治療も行なっている。その治療薬も認可された」

とネットに書かれていた。
そのためには専門医による診断と処方が必要とも記されている。
そして、なんと我が家から徒歩10分の心療内科に、アルコール依存症専門医がいた。

これは!と思い私は早速予約の電話をした。

電話口に出てくれたのは、本当に優しく丁寧な口調の受付の女性だった。
なるべく早く予約できるために、いくつも日程候補を出してくれた。

「あー。私、心療内科に電話しているんだな」

と、その優しさと気づかいに実感した。
みんな、自分の命を守るために行く場所なのだ。

私も守ってやろうじゃないか、この命と健康を。

電話を切った私は、ワクワク、ドキドキしていた。

そこがどんな場所であれ、未知の世界に飛び込むのは胸が高鳴る。

運良く予約は数日後に取ることができ、私は近所にこんな場所があったのかと思いながら、雑居ビルの中の診療所を訪れた。

ドアを開けると、ちょっとすてきなオフィスビルのレセプションのような、とてもきれいでおしゃれな空間が広がっていた。

私の他に患者はいない。

(その後、何人かの患者さんが入ってきたが、全員女性だったのが印象的だった)

カウンセリングシートの
「死にたいと思いますか?」
「自分なんてこの世必要ないと思いますか?」
「涙が止まらないですか?」
系の質問全てに「まったく思わない」に○印をし、胸を高鳴らせて番号を呼ばれるのを待った。
たぶん、私の目はキラキラと輝いている。

カウンセリングシートと私の様子を交互に見つめる受付の方に「この人、何しにきたんだろう」と思われるのかな。
そう思うと、なんだか申し訳ないような気持ちにすらなってくる。

そしてついに「23番の方どうぞ」と呼ばれ、診察室に呼ばれると、感染防止のアクリル板越しに穏やかそうな男性がいた。
「医師の○○です。今日はどうされましたか?」と柔和な微笑みを携えて、そう自己紹介をしてくれた。

「お酒の量を減らしたいんです」

私の減酒治療が、いよいよ始まる。

ちなみに、孤軍奮闘である。

ここまでの経緯を、夫にも兄弟にも友人に、誰にも相談していない。

その理由も、またいつか。

(つづく)

…本当は1回の記事にまとめたかったのだけど、さすがに長すぎるのでひっぱることにしました。治療は現在進行形です。お楽しみに。



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