ボディタッチが不快になった。

小学生の頃にはすでに母に対しての不信感はあった。
兄からの一方的な暴力に対しての黙認。
目の前でそれが始まっても一時的に止めるだけで根本的な解決はしようとせず、母が仕事で家を出てる時にどれだけ酷い仕打ちを受けているか、どれだけ泣いても止めてくれないということを打ち明けても、全く気にも止めず俺が大袈裟にものを言っているということで簡単に流された。

祖母に兄弟関係を話す時は何故か兄弟喧嘩が多いと話していた。
俺は兄に対して一発もやり返していない一方的な物であったにもかかわらず。
その暴力が小学生の域をすでに出ていたにもかかわらず、俺の意見に対してはことの経緯も知ろうとせず面倒くさがりながらアンタも悪いと適当にいなされた。

小6後半で兄に対してビビりながら一発やり返したことがあった。
小学六年間で植え付けられた恐怖心からやり返せなかったが小6では体が大きい方で自分にも自信が出たのかへなへなのパンチを腹に一発打った。
お互い寝転ぶようにもみくちゃになって顔面を膝蹴りされた。
右目か左目かにあざができた。
そのすぐ後にクラスで写真撮影があったが、白黒で撮るという今考えれば意味のわからない趣向のせいでしっかりと記録には残っていない。
が、それでも目の周りが不自然に黒いのはわかる。
時間が経った今母に見せても光の加減だと言われて終わるだろう。

なぜこんなにも自分が一方的に殴られたことを覚えているのか。
忘れた方がいいのに覚えていたいという気持ちもあるのか。
それは俺以外の身内が覚えていないから。
妹たちはまだその時は幼く現在は何も覚えていない様子。
兄はあの時のことを一切話さない。
母は適当に流す。
これではあの時の俺の苦しみや寂しさ、悲しなやるせなさを蔑ろにされたようで、悔しくてしかたがない。
あんな仕打ちを受けて何もなかったことにされるのが本当に悔しいし、それをなかったことにしてニコニコした顔で良い母の振りをして体に触ろうとしてくるのが異様に気持ち悪い。

家族間であれば普通のボディタッチも母への不信感でとてつもなく気持ちの悪いものに変わった。
そのせいで昔から人と肌が触れた瞬間に不快感を感じるようになった。
高校生の時に友達に指摘されて気付いた。友達に対しても不快感を感じてしまうようだ。

母はできれば無かったことにしたいという考えも無意識のうちにあると思う。
母は子供の悩みを昔から軽視している。
俺は小学生の時には顎関節症や歯軋りを発症していて無自覚にもストレスがあった。
俺がストレスという言葉を使うと母は子供の癖にと笑ったのを覚えている。
中学ですでに不眠症になり、顎関節を持ち、歯軋りが酷くとも、精神的な物を母は軽視した。


母は自分のために忘れたい、世間体のために無かったことにしたい。
俺は絶対に忘れない。
幼い時に抱いた不信感は一生消えない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?