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私の中の先生というもの

まったく良い思い出がない訳じゃないくせに、思い出そうとすると苦しくなる。

それが私にとっての「学校」である。

その中での「先生」という大人とのやり取りは……中々苦いものだ。

「恩師」という言葉をちょこちょこnoteの世界で目にする。
そして大抵、それ関連の記事を読むと「そんな、先生実在してたんだ…」と思う。(まぁ、先生に限らないんだけれどね)

生徒に慕われるような先生はフィクションの中にしかいないと言いたくなるような、そんな人にしか出会わなかった。

『いや、先生に熱を持たせられなかった私が「生徒」として「不出来」なのだろう。』

そう、皮肉が頭を掠める。
いや、本当にやりがいのない生徒だったろうよ。私は。

大人になった私ならもう少し「先生の気持ち」も汲めたであろうと思いながら、ある時の出来事を記事にしてみる。

私が出会った先生を、私の目線で語るだけなので、先生が悪人なわけでもないし、先生という職業の人を責めているわけではないことを先に書いておく。



私は小学5年の頃に1度男の先生を泣かしている。正確にはあっちが勝手に泣いたんだが。
それは担任のK先生だった。

あの人はたぶん、熱くて悪い人ではなかった。
けれど、熱くて真っ直ぐな正義の人ゆえ、私との相性が抜群に悪かった。

山登りが好きだったこと、涙もろいこと、スポーツが好きだったこと、案外覚えているもんだ。

あ、あと算数というか数学得意なんだと思う。
彼が嬉しそうに作り出した算数プリントゲームで泣いたのは私だ。おかげで算数は(いや、そうなるまえからずっと)大嫌いだ。


彼が本気で怒っていたのだって、胸を痛めたからである。彼は正義に従って、熱く、熱く生徒を思っていたのだろう。
今ならそう思うが、当時の私は沸々と煮立っていた。
そう、煮立っていた鍋に彼は一番入れてはいけない焼け石をいれた。

その日は友達が友達に注意され、K先生にまで注意れるという出来事があった。
さらに、廊下ですれ違ったときにも後追いで何か言われたのだ。確かに、悪いのは友達だったが、言い方が納得できなかった私は彼に突っかかた。
そんな私を見て彼はこう言った。

「どうしたんだ。なにかあったのか。君は素直な子なのに。君はそういう事を言う子じゃない。今日の君は、君らしくない。」

プッチン…。と音がした。
らしい?らしいだって?先生は何を見ているんだ?クラスがあんななのに?はぁ???

私の中の沸騰したお湯は、注意された友人の怒りの熱量をあっという間に通り越して吹きこぼれていた。

なにしろ、その日のそれだけに怒っていたわけではないのだから。

私は5年生になってから教室に流れる派閥争いのような空気を感じ取っていた。
私の仲良くしていた子はモノをハッキリ言うタイプで冷めていたので、先生の言うことをしっかり聞くタイプの子たちから密かに疎まれていた。
女子同士のやり口は陰険だ。
それはけして、大人に見られることなく進む。
けれど、私からすればよく観察していればわかることなのだ。
「みんな仲良くしましょう」だとか、「一致団結しよう」だとか、元気よく、明るく、前向きに、がんばる先生は私にとって「何もわかってない」「何も見えていない」「それでいて理想ばかり押し付ける」どうしようもない大人という感じだった。
周りの子達も、上辺だけで相手を判断し、集団で糾弾してくる。誰と誰が仲いいだの何だのうるさくて仕方ない。
私はみんなと仲良くしたいだけなのに、なんとも煩わしくてイライラしていたのだった。


そして、先生が贔屓して何時も褒めているのは先生の言うことを聴く子であって、そうでなくて、何かしら言いたいことのある子を「間違っている」と叱るその感じも、私的にとんでもなく許せなかった。
結局、この人はお気に入りを可愛がりたいだけなのかみたいな。もう少し子供っぽくそんな事をおもっていた。

そして、極めつけは解りやすく虐められていた子の話で先生が泣きながら、虐めていた男子達を叱り(確か蹴りもした。まぁ、あれは体罰だけど必要かな。今思えば)熱く、熱く虐めは良くないと語って聞かせてきたくせに、その子が虐められなくなったら終わりかよって思っていたのだ。

そうだ。子供心に思ってしまったのだ。
『なんだ。ただのパフォーマンスか』と。


「先生は何もわかってないっ!!」

廊下でそう叫んだ私のあまりの怒りっぷりに先生は

「わかった。放課後、二人で話をしよう」

と言ってきた。
もう、私は臨戦態勢なわけで沸々と鍋をさせたまま放課後をむかえた。
友達は心配そうに「私、もう気にしてないよ。あいつらがいい子ちゃんなのは今に始まったことじゃないよ」などと言ってきたが
「いい。思ってること全部いってくる。」
とだけ言って、放課後先生のいる隣の教室に向かった。

その後、何を話したか実はあまり覚えていない。
先生は私の話を聞いてくれようとはした。
私は感情的になると、自分の中で納得できない事を説明するのがど下手になる。普段も下手なんだけど、知能指数が下がる。もとから低いのに下がる。

強すぎる感情は大抵涙になってしまうのも悔しい。
泣けばいいと思ってるだろうという言葉にどれだけ悔しい思いをしてきたか。

まぁ、私はとにかく先生が気がついていないであろうイジメ(と呼ぶには微妙な気がする)の事を話した。
「先生は、知ってるんですか!!クラスの中でイジメがあることを!!」
「何もわかってない!!それなのにそんな事を言われるのは意味がわからない!!」
的な。

多分、怒りに怒ってるから、もう、支離滅裂。
先生は一生懸命に「言っていることはイジメではないのではないか。相手にも言い分があるのではないか」ということ「冷静になるように。今朝の出来事(注意されたこと)は間違いなくあなたの友達が悪いのはわかるよね?」等を言ったあとに「君がそんなことを考えているなんて思わなかった。よく考えてみる」的な事をいった。先生は泣いていた。

私は、その言葉におとなしくなった。
先生がわかってくれたからじゃない。
見切りをつけたからだ。
この大人は何も解っていない。 
そしてこの先も解ってくれない。
この人は何もわからないままだ。
そう感覚的に思ってしまったのだ。

今思えば、私の支離滅裂な説明で伝わるわけがなかったのだが……。
でも小学5年生の私は驚くほど冷めた目で彼を見たのだった。

そして、私に「部活いける?大丈夫?」と聞いてきた彼に
私は「部活いく。休まない」と涙目のまま、部活に行った。

次の日は普通に過ごして、それからも普通。
ただ私のもともと低い授業やる気メーターがマイナスになったくらいだ。

その結果かは知らないが、本来なら5年生の先生は6年生に持ち上がるはずなのに変わった。
まぁ、なんというか私がキレずともクラスが問題だらけだった気がする。
きっと父兄の間でも「このままでは」というのがあったのではなかろうか。

K先生は無念だったろうなぁと大人になった今思う。だって6年生を受け持つのって、卒業式に携わるから。あの熱くて真っ直ぐな先生の事だ。自分が受け持った生徒を2年間見守り、旅だちの際には涙を溢して見送りたかっただろう。

しかし、変わった。そして、その変わりに担任になった先生がこれまた最悪な(最も凶悪かもしれない)ハートの女王さまそのものみたいな女で、この人の事を考えると胸が苦しくなるので、これは何時か……かけたら………



私は多分、ハッキリものを云う子なのだ。
大人しい容姿に、普段は子供らしく無邪気に絡んでくるくせに、たまに爆発する鋭い言葉は大人達を突き刺していたに違いない。

そういや、K先生に涙をこぼさせるキッカケになった友達に「お前は大人にも言わなくていいことまでハッキリいうから心臓に悪いと思ってた。つーか馬鹿なの?お世辞使えよ。その方が楽だろ。頑固だよなぁ〜」と言われた。
私は「へ?私そんな事言ってる?うそー?!でもそう思ったんだと思う…」なんて感じであまり覚えがない。

生意気な子供の私にとって「先生」はいつも「何もわからないくせに、とにかく偉そうな人間」というものになってしまっていた気がする。

今なら多少はわかる先生達の気持ち。
大人も色々あるよねぇ。しかも、エスパーじゃないしね。
私の足りなさもわかる。  
けれど、やはり、私のであった先生達は「恩師」と呼ぶことのできない「ただその時に先生という名前でいた人」だ。
それが、本当にたまに、たまにかなしいだけ。


柔らかなときに出会う大人はとても大切だと思う。
先生に限らず。
子供の頃の私は、今思い出しても、ただの一人も「恩師」と呼べない。

まぁ、そもそも大人だとか子供だとか考えない私だったし、誰の言葉にも結局さいごは揺るがなかったので、どんな素晴らしい言葉も通らなかったかもしれない。

そんなふうに何処か苦しい「大人」「先生」との繋がりを持ちながら大人になった私は、noteで恩師と呼ばれる人の事を読んで救われる。

『あぁ、良かった。私の出会ったのがあれだっただけだ。世界は広い』

と。

まとまらなくなってきた。


子供の柔らかな心に届く言葉や態度は
真っ直ぐであれと思う。

そして、私みたいな子供はもう少し、そうね、もう少し許してやれ。周りを。
と思う。

ほんとに纏まらない。着地なし。

とにかくさ、
たまに苦しく思い出すとき

『あー、一人でもこんな気持ちで大人になる子が減るといいな』

と思うんだよ。

今回はたまたまふと思い出しただけで、べつに辛いとか苦しいわけではないです。

あーだめだ!!めっちゃ長い。
ここまで読んでくれた人有難うございます

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。