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なんのはなしでしょうね

夢の中で
「だから、他人の道は他人のものだから歩くときは静かに通らないと。どうこうしようとか無理だから」
と口に人差し指を当ててシーッとする。
わかったんだか、わかってないんだが、相手は頷いて去っていく。

noteの住人との相関図的なものが大きな模造紙で張り出されている薄暗いテント小屋で、私は『まぁ、電子の海なんてこんなもんでしょー』と思った。

というのがほぼ溶けた夢のいちぶ。


寝る前に、布団の中で倒木するのは土が削れるから?根の力がなくなるから?と考えていて
『どっちも』と結論づけたら
『そっか。人間もおなじだねー』となった。

人工物ばっか建ててると、保水力をそのうち失うよ?
便利ってそういうことだから、人間もおなじだねー。


スマホのメモにあった謎の1場面物語を載せてみたり。
《君に私の生き方は出来ないよ
だってこれは宇宙式なんだもの。

1つの星に縛られて
神々なんかに大きい顔させて
そんな魂で
この生き方をしようとしたら
あっという間に壊れちゃうよ。

君が信じてやまない
現実が待ってる。

さぁ、行きなよ。

さようなら。

君はここを憶えていられない。 
そういうものだよ。》


スピリチュアルは好きな方だと思うけど(世の中のイメージのスピリチュアルという言葉にあるものは好きではない) 
『氣がどうのこうのだから、セミナー受講』とかは苦手。
誰かに入り口まで案内してもらうってのはありだと思うけど、どうしてその人の道ばっか歩き続けているんだろ?って思ったりしている。
誰かの歩いた道は確かに危険は少ないかもしれないけれど、そもそも道の形をしだした時点で、それらとは違ってきているのに。


私が10代とか20代の頃に到達した辺りを 
たぶん、到達しだしてて
私はまた少し先を進んだのかなーとか思ってる。 
『今そこなのかぁ。それ、だいぶ前に過ぎたとこー』みたいな。
そういう感覚があるんだけど、ほんとうは、それくらいゆっくりかけて来る場所だったのを、駆け足で来ちゃったので深く味わってないっていう。


自分でも自分のこと『あれ?おかしいな?』って思う。だって、どうにもおかしいもの。
今回はローテンションなおかしいを詰め合わせてるけど、ハイテンションなときは、もう心底おかしいなって思うもの。
曇り空も悪くないと思う。


夏休みの宿題をチラホラ白紙で出すことへの罪悪感なんて、ほぼ無かった。
あんなの怒られないためにやるだけで、そうでなければ1つも手を付けない。
怒られるのは力の消耗が激しいから避けたい。
小学生辺りはもう少し現実を生きていた気がするが、やはり、何処か現実を生きていない私がチラホラ。
『現実を生きる』というのが人間は当たり前と思ってるらしく、私みたいのは、まぁ落ちこぼれ…いや、落ちても溢れてもないか。最初からド底辺か。落ちて怪我したりしなくていいのがいいなーって思ってたもんね。中学生の時から。
滑落を恐れ、それでも山頂を夢見て、アタックするのが健全な精神だとしたら、私は超絶不健全である。


あーわたあめー。

べっ甲あめがすきなのだから
ザラメでつくる綿あめもすきなわけです。

べっ甲あめは冬の思い出なきがする。
足元から凍えるような冬の空気。
何処か色の抜け落ちたような景色。
いつもと同じだろうに、かたく感じる地面。
寄り添う鳩達も彫刻のようなかたさを感じる。
自分の鼻が冷たいこと、息が白いこと、耳がキーンとすること、屋台の煙の温かさ、色とりどりの飴。

はとはと、はとはと。
はとはとはとはと。

わぁ!ぴよちゃんのあめー!!

多分それくらいだったものの中に
質感として残る季節。


身体が覚えていることもある。
カードキャプターさくらかな?
映画、また上映されるって。
我が家DVDあるし。
映画リアタイしたもん。小学生の時。
下敷きとかもってたもん。
当時、さくらちゃんの髪飾りのレプリカが欲しかったなー。高かったなー。
…まてよ。今なら買えるんじゃね?大人の財力で買えるんじゃね?
『……おいおい、まてよ、大人の私。』
はっ?!子供の私??
『いい年したオバサンがあれつけてどこ行くよ?』
…くっ、正論っ!!



ねぇ、ねぇ。
これ、なんのはなしでしょうね?
いやいや。
こちらが聞きたい、#なんのはなしですか ?


曇りで仕事でローテンション。
それでもkoedananafusiはkoedananafusiでしたとさ。








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