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連載小説:『七瀬は誰にも探せない』第十一話

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第十一話:『影の上でも飛べる虫』


 と言えど、アタシは自分の身に危険は微塵も感じてはいなかった。アタシよりも陽介と七瀬。ルイは陽介を消したがっている。ルイの中で煙たい存在になっている七瀬も、いつルイの中で標的になるか分からない。実際のところ、今回の件で七瀬に対するルイの考えを後押してしまったような焦りも感じていた。アタシの存在も、ルイに教えてしまった七瀬の目的も、ルイを逆なでしてしまった可能性は大きかった。自由になりたいと言ったルイの言葉の意味は今でも分からない。だが、陽介と七瀬の存在が[お荷物]だとも取れる。今までルイが二人を守って来たことを考えると、脅威であった父親がいなくなった時点で自由なはずなのに。遠くに一人逃げればいいものを、ルイはなぜに二人を消すことを考えているのだろうか。

「ごめんスズ……ちょっと休ませて」
 ハンドルを切った七瀬は、道沿いにゆっくりと車を停めた。これで5回目だ。
「七瀬、アタシが言うのもおかしいけど、今日は移動するのやめてゆっくりした方がいいよ」
 七瀬は静かに首を横に振った。
「時間がないの。大丈夫、少し休めば大丈夫だから。ごめんスズ、珈琲取ってくれる?」
 アタシは助手席側に置かれたゴミ箱を覗いた。
「これで4本目だよ七瀬?コーヒーなんていつも飲まないじゃん」
 この日の七瀬は明らかに疲れていた。アタシのことで心配をかけたこともあるが、それだけではなさそうに見えたのだ。七瀬は横になるのを拒み、目を瞑ることもしない。休むことを避けているようだった。
「スズは心配症なんだから。本当に大丈夫よ。私のこと心配する暇があったら。。。」
 アタシの額の傷口を覆うように手を乗せる。
「自分の心配しなさい」
 笑顔を浮かべた七瀬が儚く見えた。力がなさそうに、それでも優しさを込めて笑う七瀬に心が痛んだ。

 思い返すとルイが同乗してきてから、七瀬は疲れやすくなっていたような気がする。ルイのことで気を病んでいることや、今朝の出来事でアタシがそれに拍車をかけてしまったことを考慮しても、やはり変だった。眠りにつくのが早くなっていたり、ルイの物音でも起きない深すぎる眠り。万が一陽介を起こせたとしても、ルイがいる限り七瀬は休まらないのかもしれなかった。
 七瀬は陽介を守りたい。アタシは七瀬を守りたい。ルイは陽介も七瀬ももう守りたくはないのだろう。陽介は?陽介は一体どうしたいのだろうか?アタシは最後のコーヒー缶を空け、そっと七瀬に手渡した。
「七瀬、ちょっと散歩しない?」
 停車した道端の奥に、海へと降りる道筋が出来ていた。
「車出してから、浜辺に降りずにずっと走り続けてたじゃん?アタシ外の空気が吸いたい」
 この日、アタシ達は浜辺に一度も降り立つことなく車を走らせていた。
「あっ。。。」
 ハッとした七瀬はこの時初めて、そのことを自覚したようだった。右手で頭を押さえながら、何かを思い出そうと両目を左右に泳がせている。正直アタシは、七瀬がアタシの怪我を思って浜辺に降り立つのを避けているのではないかと考えていたりした。が、今の七瀬を見て、やはり何かがおかしいと感じた。
 アタシは七瀬の手を掴み、浜辺に向かって歩き出す。
「もしかして、ここが陽介の思い出の場所だったりしてね」
 茶化し気味に言っただけだった。その裏で、ここに来るまで飛ばしてしまった浜辺が、もし七瀬の探している浜辺であったのなら。。。ゼロではない可能性を指摘してしまった気分になり、七瀬が裏を読まないことを必死に願っていた。

 浜辺に降り立ったアタシ達は、手を握ったまま海を眺める。七瀬の手にキュッと力が籠ったのを感じて、アタシも強く握り返した。
「なぁー七瀬。ルイを警察に届けて、それからまた旅続けてもいいんじゃないのか?」
 七瀬には酷な提案だということは分かっていた。だから顔を上げて、七瀬を直視することが出来ずにいた。
「警察はルイを追ってる。でも、今までのことを考えると、正当防衛も考慮されると思うんだ。だからルイは心配しなくても大丈夫だよきっと。それに、ルイを陽介と七瀬と一緒にいされるのは、アタシ危険だと思う。アタシはどんなに頑張っても七瀬と血は繋がれないけどさ。もしもアタシじゃなくて、今七瀬と一緒にいるのが陽介だったら、陽介はどうしたいって思うのかなって……そんなこと考えてた」
 小さな虫が砂の上を飛び跳ねるのが見えた。
「陽介を起こすことが、果たして陽介にとって良いのかどうか、私にも分からないのよ。本当はね、怖いの私」
 握っていた七瀬の手がほどけ、七瀬はゆっくりと波に向かって足を出した。
「私と瑠偉は、陽介を守るために生まれてきたようなものだから。守るべき人が眠りについたままで、私達を傷つける人も消えてしまった。存在する意義が見出せなくて、ただ怖がっているだけなのよ。瑠偉はきっとそんな私を見抜いてる。陽介に母の言葉を届けたいっていうのも、結局は私がその言葉を感じたいだけなのかもしれない……」
 [強くなれ]それが七瀬の母のメッセージだった。でも。。。
「強くなんかならなくていいんだよ七瀬」
 七瀬を背後からぎゅっと抱きしめた。
「アタシ七瀬と一緒にいるようになって、ようやく本当の強さを学んだ気がしてるんだ。怖かったり不安だったり、本気で心を痛めたりした時にさ。我慢したり、歯を食いしばるんじゃなくて、怖いよ。痛いよ。って自分で認められることや、口に出来ること。涙を流すのは弱いからだって思ってたけど、流せるのも強さなんじゃないかなって思う。七瀬は弱さをもっと出していいんだと思う。もっと、人を、アタシみたいな人間でも頼っていいと思う」
 口にしながら涙がこぼれ落ちていた。
「七瀬は助けを……求めて、いいんだと、、、思う」
 七瀬の腰に回した腕を、七瀬が強く抱きしめた。
「助けてって。。。私言える、かな?」
「絶対に頷くからアタシ。絶対」
 砂浜に重なり落ちた二つの影の上を、無数の小さな虫たちがせわしなく飛び跳ねていた。

 車に戻ると、七瀬は素直にアタシの提案を受け入れてくれた。まだ日は沈んではいなかったが、七瀬が休むと言ってくれたことにアタシは心底ほっとした。
「なんかね、寝ちゃったら陽介みたいに起きれなくなるんじゃないかって。スズがいないと気づいた今朝からずっとそう思ってたの。でも、、、必ず起きられるって今は思える」
 七瀬は運転席で、閉まりそうな瞼の隙間から微笑んで見せた。アタシは、軽く頷くとそっと後部へのカーテンに手をかける。
「七瀬が起きる時には、ちゃんとここでグーグー寝てるから大丈夫」
 頭をクイっと横に振り、扉へと七瀬を促した。七瀬はふらつきながらもカーテンに手をかけ、そっとアタシの頭に右手を置いた。今日一度も瞑らなかった目を静かに閉じ、頭上に置かれた右手をアタシの頬に滑らせた。
「ありがとう。スズ」
 七瀬の右手が暖かくて、優しくて、七瀬の手にり寄るように頬を乗せた。
「お休み、七瀬」
 カーテンの後ろに隠れた七瀬の後ろ姿は、アタシがずっと浜辺で見てきたものと何一つ変わらない、大好きな七瀬の背中だった。


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