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連載小説:『七瀬は誰にも探せない』第十三話


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第十三話:『一筋の涙が語るもの』


 かすむ視野の周りに睫毛まつげが見える。くすんだ白だけが真ん中に浮かび上がっては、睫毛が落ちて瞼の裏に黒を見る。これをどれほど繰り返しただろうか。睫毛が視界から消えるまで、ずっとアタシはくすんだ白が光なんだと思っていた。ラジオから流れる音楽が徐々に大きくなり、車の天井を見上げていた頭を動かすと、見慣れた横顔がぼやけて浮かび上がる。
「七瀬……」
 ぽつりとつぶやいて目を閉じた。記憶を戻すことよりも、今感じる安堵感に身を寄せていたかったのかもしれない。
「まだ寝てろ」
 その声に、重い瞼を押し開けた。運転席でハンドルを握っているのは七瀬ではない。髪を結い、窓に寄りかかるように片手で運転する姿。
「なんでアンタがここ座ってんだよ……」
 焦点がまだ合わない視線を懸命に運転席に戻そうとしたが、瞼がいうことを聞いてくれなかった。
「運転できないはずじゃ……」
「いいから寝てろ!」
 確かにルイの声だ。
「陽介……陽介は?」
 朦朧もうろうとしながらも記憶の糸を手繰り寄せる。なんの返事もないままに、ラジオから流れる歌だけが頭の中に反響していた。
「陽介の思い出の浜辺に行きたかったんだろ?連れてってやる。だから寝てろ」
 ルイは何を言っているのだろうか。なにがなんだか分からない。七瀬も陽介も、アタシも。身体が重く、頭がぐるぐると回り、アタシは瞼に逆らうのをやめた。


 次に目を開けた時には、はっきりと車のサイドミラーに映る自分の姿が見えた。初めて目にする毛布にくるまれた姿は、まるで蓑虫だ。襟元を引っ張ると砂が大量に零れ落ち、体中がべたついて気持ちが悪かった。アタシはドアを開け、外に出ようと試みる。足を毛布から出すと、焼けるような痛みがした。とりあえず砂を軽く払い、着替えに手を伸ばす。体中の痒みと痛みを押して、シャツを脱いだ。切り傷や擦り傷は痛んではいたが、塩水のお陰で綺麗になっていた。ジーンズをやっとの思いで脱ぎきり、脱皮した蛇の皮のように床に投げ捨てる。着替えている間に、少しづつ記憶を巻き戻してゆくと、途端に車内で着替えをする自分の大胆さに気づいてしまった。幸いルイの姿は見当たらない。隠れるように身を縮め、急いでズボンを履き窓の外を覗く。そこには木々に囲まれた砂浜に、透き通った青い海が広がっていた。
ー ルイは?七瀬?陽介?
 アタシは思い切って後部座席の仕切りを軽く叩いた。
「七瀬?」
 返事はない。アタシはドアを開け外に出た。そういえば、ルイが陽介の浜辺に連れて行くと言っていた気がする。ここがその浜辺なのか?
 きめ細かな砂が敷かれた浜辺。水の中から突き出た幾つもの岩。海中にあるその根元まではっきりと見えるほどの透き通った水。その群青色に映り溶け込んでいるのが空の色なのか、浜辺を囲む緑なのか分からない。ゆっくりと岸辺に歩み寄る。海中の砂にほんのりと色を添えていることで、やっとその存在に気付けるほど水は澄みきっていた。アタシが見ているのは本当に海なのだろうかと疑うようなの静けさ。手を砂の上に乗せ指を動かしてみる。なめらかな砂が指の間を這い上がる。まるで砂丘のような砂浜は、踏み込むとキュッと音を立てた。アタシはわざと擦り歩き砂を軋ませた。静かな海に響く砂音。七瀬のようなあの海とは全く逆の姿をした浜辺。
「面白いか?」
 ふと顔を上げると、木陰に座りながら海を眺めるルイがいた。闇の中で見たルイとは全く異なる表情にハッとした。血は争えない。睨むでも、笑うでもなく、じっと遠くを見据える横顔。髪が縛られていなければ、いつも車内で眺める七瀬のようだ。ただ、低い声にジーンズ姿。これらがアタシにルイであるとはっきりと認識させてくれていた。
「海に……見えねーよなぁ。こんな近くに木が沢山生えてるし」
 独り言のように淡々と続ける。
「砂は小麦粉みてーだし。こんなに綺麗なのに、誰も知らないって世の中どうかしてる。。。」
 目の前にいる人物は、自らの手で父親を殺した殺人犯である。だが、あんなにも怖さを感じたアタシでも、今のルイが悪人だとは言い切れないでいた。七瀬と同じ顔で何を言われても今のアタシは何も怖くないというのもあったが、それだけではなかった。ルイに怒りが全く感じ取れない。穏やかになった声のトーンは、どことなく陽介に似ていた。アタシはゆっくりとルイの座る木陰に歩み寄り、隣の木の根元に腰を下ろした。
「陽介と七瀬はどこ?」
 ルイは瞬きせずに海を見つめている。
「ねぇ、陽介と七瀬は寝てるの?」
ルイの左手が砂を掴み、返したその手を広げた。砂がみるみる地面へと零れてゆく。
「アイツ、陽介を起こすことにかたくなになって。聞く耳持たずに俺を締め出して。。。」
 砂がなくなり宙に浮く手を力なく地面に落とす。
「陽介、陽介ばっか……お前は?俺は?どうなるんだ?って。。。もう、どーでも良くなって」
 あざけり笑うように、息を一つ吐きだした。
「だから昨日、俺が陽介を起こした……」
 問いへの答えではない。なぜにルイがこのことを語り出したのか分からなかった。だが昨日の浜辺が七瀬の探していた場所だと、この浜辺に降り立つまで思っていたアタシは、陽介を起こしたというルイの発言を不思議に思った。
「起こせたの……?」
 ルイは左の口角をかすかに上げながら鼻で笑った。
「いつだって起こせたよ。無理やり引きずり出せば良かっただけ。七瀬はくだらない願いを込めて、ここまで辿り着こうとしてたけど」
 頭を木の幹に倒し、ルイは天を仰いだ。
「ほんと、くっだらねー。いつ起こしたって、壊れたもんは壊れたまんま。遅かれ早かれ、、、陽介は消えてたさ」
 遅かれ……早かれ……その言葉に不安がどっと押し寄せた。ルイは両腕で片足を胸に引き寄せた。
「もう一度だけ聞く。陽介と七瀬はどこにいる?」
 ルイは大きく一度溜息をつくと、首をひねり、真っすぐにアタシの目を見据えた。無表情なルイの瞳は、この海よりも静かだった。
「俺が……消した」
 ルイが。。。消した?
「それ。。。どういうこと……だよ」
 怖い。暴力を振るわれた時よりも、ルイと初めて会話した時よりも。想像できないくらいの怖さが、アタシの心の中で渦を巻き、轟音ごうおんを立てながら迫ってくる気がした。ルイの唇に一ミリも動いて欲しくない。聞きたくないのに、全身がルイの返答を待っている。
「陽介は、自分の存在を終わらせたがっていた。お前もいたから分かるだろ。七瀬は、どんなに抱きしめても、寄り添っても、陽介は救えないってやっと分かっちまったんだよ。だから陽介と一緒に終わらせるって。俺も一緒に道連れにしてな。前に言ったろ。俺は、もう……ごめんだって」
 呼吸が乱れ、胸が小刻みにひくつくのを、止めることが出来ない。心の中に蠢いていたものが一気にアタシの身体中に放出され、アタシを内側から溶かしていくように思えた。
「陽介も、七瀬も……殺したって、、、いうの?」
ルイは目を瞑りながら両腕を地面に投げ出した。
「なんとでも言ったらいい。アイツらは消えたんだ。もう、どこにもいないんだよ」
「ふ…ふっざけんなぁ!!!」
 アタシはルイに覆いかぶさり胸倉を掴んだ。七瀬が、もういないなど信じられるはずもない。信じたくもない。昨日まで、アタシと笑っていた七瀬にもう二度と会えないはずはないんだと。ルイは抵抗もせず、じっとアタシを見つめている。七瀬と同じ顔でじっと。
「嘘だ、嘘だ!!!全部嘘だぁ!!!」
 ルイの胸を何度も何度も殴った。ルイの胸を殴っているのに、殴るたびにアタシの痛みが増していく。
「七瀬を……返せよぉ!!」
 唇が切れるほど強く噛み締めながら、ルイの瞳に自分の瞳を写した。が、アタシは反射しているだけだ。ルイの心は、瞳に映るアタシを通り越した遥か海の上を、彷徨っていた。
「二人をなんで助けなかったんだよ!なんとか言えよルイ!」
 瞬き一つしないルイの瞳から一筋の涙が流れた。
 何も言わず、抵抗もせず、この砂浜に寄せる水のように透き通った涙を零した。その涙で全てを悟れとでもいうのか!と声を荒げたい半面、悔しいくらいにルイの心が全て読めてしまえそうな涙に、アタシの心は引き裂かれそうになっていた。

「いないんだよ、もう。。。俺、一人しか」

「ざけんなぁ……」
 アタシは、七瀬を消したルイの胸に顔を埋めて泣きじゃくった。



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