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『DREAMER』‐第四話


ギギギィ…

ドアの開く音が聞こえ全身が凍り付く。

動けない…動けない…動けない…

ゴツッ…ゴツッ…ゴツッ…

音が大きくなる度に、自分の血管を打つ波が早まって行く。

ゴツッ…ゴツッ……


目の前で止まった二本の脚…水がぴちゃぴちゃと溢れ出るバケツ…

震える自分の足はガクガクと大きく揺れ動いて止めることが出来ない。

『くっくっく…』

湿り切った暗い部屋の中にこだまする不気味な笑い声。


髪を掴まれ濁った水面に映る顔は、バケツの淵を掴む自分の手で震え波立ち歪んでいる…

『怖い…怖い…また…ころ…される。。。』


ガクガクと震える手足は固まり微動だに出来ない…髪を鷲掴みにされた瞬間、バケツの中に貼った水が揺れた。。。

ばちゃりと零れ出る水の中で、固く閉じていたはずの口から空気がぽつりぽつりと顔を撫で出ると、

がはっ…!!

一気に大きな泡が漏れた。

自分の体内から空気が抜けて行くと同時に、大量の水が流れ込んでくる。。。

苦しい、、、

藻搔けば藻搔くほど空気が溢れ出て、息を止めることが出来なくなったその時に、大きく水を吸い込んだ。

ゴボッ!!!

強く髪を引っ張られ引き上げられると、胃の中から溢れ出た水を床にぶちまける。

ウゲェー!!ゴボッ…ゲホッ…オエェェェーーー!!!!

吐いても吐いても出てくる水に息が出来なくなり、目からも耳からも水が溢れる。水に交じった胃液がどろっと自分の手に糸を張り、やっとの思いで吸い込んだ一息の直後…大きな力が自分の頭をまた水面下へと押し込んだ。。。

必死に抵抗するも、苦しさが絶頂に達した時…ジタバタと動かしていた手足から力が抜けていった。。。と共に、苦しさが意識と共に薄れて行く…

意識はもう体を離れかけて、小指が…意志とは関係なくピクリ…ピクリと動く。。。

遠くで…あの不気味な笑い声が…掴まれている髪を通して伝わり…自分の浸る水を静かに揺らす。

濁る水の中で…ぽこっと口元を去った最後の泡が…眼球にぺたりと張り付いた。。。






プハァ―――――!!!はぁ…はぁ…はぁ…はっ。。。はぁ…

こっ、呼吸が…はっ、はっ…

すぅーっと思い切り吸い込むと、喉の奥で何かがべったりと張り付くような感覚を覚えて胃がごつっと食い込んだ。
一瞬止まった息をどうやって吐き出すのか分からなくなって、僕は頭が真っ白になった。。。
咄嗟に右手を前に翳し、思い切り胸をドンと打つ。。。

クハッ!!!

はぁ…はぁ…はぁ…。。。。はっー…はぁー。。。はっ。。。

窓の外を小さな雀がすぅーっと飛び去るのを見て、やっと夢と現実の境目を見つけた。でも、荒くなった呼吸を鎮めようとすればする程つっかえる。恐怖も苦しさも静まるどころか、呼吸をする度にそれは徐々に大きな波となって押し寄せてきた。

苦しくて、苦しくて…ぎゅっと握りしめた左手。。。そこには弓月のファイルがぎゅっと掴まれていた。
そうだ。。。
ゆっくりと目を閉じて深呼吸をする。
弓月のファイルをそっと胸に抱いて、ふぅーっと息を吐く。

寝そべる僕の胸が徐々にリズムを刻み始めると、一挙に疲れを感じて僕は眩しい光を腕で遮りながら再度眠りに落ちて行った。。。


§


「弓弦!!日曜だからっていつまで寝てんのよ!!!」

うっすらと開けた目に飛び込んできたのは弓月のドアップだった。

「うわぁーーー!!!!」
驚いた僕の反応に弓月までもが飛びあがる。

「ちょっ、ちょっと!!!驚かさないでよ!!!」
じりっと後づ去った弓月の顔は少しばかり引きつっていた。

「おっ、お前 僕の部屋で何やってんだよ、変態!!!」

「なっ?!何言ってんのよぉ!!!もう、お昼過ぎだよ!!!お母さんが弓弦叩き起こせって!!!」

壁にかかった時計に目をやると針は12時をとっくに回っていた。


二度寝…したのか。。。?

「とにかくさっさと降りて来て!お昼待ってるんだから!!」
ぷいと向きを変えてドアに向かう弓月の手を、僕はがっちりと掴んだ。

「弓月…ノート、持ってきてくれないか?」


振り返った弓月の口角が、わずかに…ほんのわずかに上がったような気がした。



§


朝食というのには遅すぎる今日初めての食事を済ませ、僕はさっさと自分の部屋でノートを広げた。
友達との買い物をキャンセルしようか否か最後まで唸っていた弓月だったが、僕がノートを書き上げないからには何も進まないしと、お気に入りの赤いバッグを肩に出かけて行った。母さんも午後から久々に高校の友達と出かけてくると、家にパジャマ姿の僕だけが取り残された。いつも周りで物事が動く中ノートと向き合う僕に穏やかな時間が漂う。

しかしながら、何かおかしい。。。

何かが おかしい

朝食を食べている間もずっと、この感覚は拭いきれないでいた。
今朝見た夢に対してなのか、今日の自分自身に対してなのかさえも分からない。けれど、なにか こう…しっくりこない。

目の前に開かれたまっさらなページ。
書こうと思えばかけるけれど、自分の中で素直に書き出していく事の前にしなければならないような…そんな事が。。。ある…様な。。。

「顔。。。洗うか。。。」

誰もいない部屋でぽつりとつぶやいてみた。


変な感覚が抜けないまま、結局着替えや髪のセットまでし終えた上、何気なく自分の為に冷たいカルピスまで用意した。
いつもだったらすぐに飲み干してしまうコップをわざわざ自分の部屋まで持ってきて、丁寧にコースターまで用意し、ノートの隣にコトッと置く。
鉛筆をさりげなく握ってみる、が握った途端にクルクルと回したくなる。

「んーーーー、、、だめだ」

ドサッと自分の身をベッドの上に放り投げた。

書きたくない訳でもない。
思い出せない訳でもない。
でも、
なにかつっかかる。

ぐぐーっと背伸びをすると枕の横にあった弓月のファイルがドサッと床に落ちた。伸ばしきっていたと思った体をさらに伸ばし それを拾い上げると、大量の新聞の切り抜きにメモがハラハラと落ちてきた。
弓月がこんなものを作っていただなんて…ただの興味本位で赤ペンを握っていたのだと思っていた自分が情けなくなるほどだ。
胸の上に落ちたものを翳しながら目を通す。



これは、、、確か…初めの方に夢に見たやつだ…
「集団リンチ暴行死事件」

あっ…これ…弓月が僕の夢の事を知るきっかけになった事件…
「朝の駅公衆トイレで女性刺殺」

僕は…この犯人の気持ちなんて知りたくもない…
「実の母親を殴り殺した40歳容疑者の生い立ち」

これは…今でも体の痛みよりも、心の痛みが残ってる…
「育児放棄か?幼児虐待の末5歳児餓死。母親逮捕」

この女の表情はお面の様に冷たかった…
「不倫相手宅に乗り込み子供の前で不倫相手を刺殺。子供は無傷」

これは…なんか。。。訳も分からず。。。あっという間だった。。。
「もみ合いの末、線路に突き落とされた男性 特急電車にひかれ即死」

殺される夢の中でも…これ以上の恐怖も痛みも。。。本当に僕の中から抹消したい事件
「医学生バラバラ殺人事件」

そして…
ぺらっと最後の頁を捲ると、そこには
「交際のもつれが原因か?女性殺害後、犯人自殺」
何枚もの切り抜きがぺたりと張り付いていた。いままで、テレビの報道は何となく聞いていた物の、こうしてまじまじと眺めたことはなかった。
ー 結婚間近とされていた二人に何があったのか?
ー 友人らも悲しみに暮れる。
ふと、まだ赤ペンの書き込まれていない最新記事に目をやる。。。

ー 勘違いが招いた悲劇か?

戸田さんが何だか同じような事を言っていたような。。。そこには警察による双方の携帯電話の履歴から割られた証拠に、記者が友人証言などで得た情報を照らし合わせたような”仮定”が書かれていた。
恋人兼犯人へのプレゼントを買う為、仲の良い男友達に相談に乗ってもらっていた被害者。それを目撃していた犯人。そこに持って、被害者の為にサプライズを隠そうとする友人たち。。。戸田さんの言っていた「誤解」とはこのことなのだろうか…。

とにかく僕が感じ取った「感情」には当てはまっていた。
すごく、すごく好きだった。
愛していた。。。と。


反動をつけて起き上がり、僕は今朝見た夢の事をも忘れ、弓月のファイル一つ一つに目を通し始めた。


§


何時間経ったか分からない。。。
ただ、一つづつ事件の背景を見てゆくと自分の中から初めて「納得」という感情がポコポコと浮かび上がった。それは、犯行動機とか、僕が夢を見る謎についての物ではない。記事を読みながら、あぁ。。と声を洩らす自分を第三者的に冷静に見た時に初めて気づいたこと。

『だから…あの時 そう感じたのか。。。』

という事だった。


集団リンチの事件。。。あの時には、男たちに次々と殴られ、蹴られ、自分の骨が折れる音を聞きながら、ただサンドバッグ化してゆく身体を必死で庇っていた。口から吐き出される血がそこら中を赤く染める中、被害者の目に何度も映っていたのは真っ白に揺れるものだった。当時真っすぐに夢と向き合えなかった僕には痛みを思い出すので精一杯だったが、今なら感じられる。。。「逃げろ」という強い想い。

死亡した男性には一緒にいた女性がいた。記事によれば、白いスカートを真っ赤に染めながら被害者の蘇生を試みたというこの女性もまた詐欺・窃盗・幇助犯ほじょはんの疑いでのちに暴行を加えていた男たちと共に逮捕されていると知ったが、僕には知ったこっちゃない。身をもって感じられたのは、被害者が何かを必死に守ろうとしていた事。。。そして今、守ろうとしていた物がはっきりと掴めた事だった。


僕はさっと立ち上がり、開かれたままのブラックノートの前に座った。

『事件心情』

やっぱり。。。なんだか、これ大切な気がする。。。

僕はその後、今まで読み返すこともしなかった自分の文章に 鮮明に残る記憶を照らし合わせながら、被害者の心を綴って行った。











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