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連載小説:『七瀬は誰にも探せない』第十五話


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第十五話:『メッセージ』


 ルイは父親殺害を自白し、その日のうちに逮捕された。

 アタシはというと、ルイが出頭した警察署に保護され、体中にあった傷の為、病院に検査入院させられる羽目になった。名前を言うのを頑なに拒否していたが、警察の調べにはお手上げだった。ルイの供述、身体検査に病院履歴。アタシへの虐待が明るみに出たことを受け調べを進めた警察は、父親が傷害事件で既に捕まっていたことを教えてくれた。母親も虐待隠蔽いんぺいやネグレクトにより罰せられるということもあり、未成年のアタシは児童福祉施設に入所が決まった。
 とはいえ、殺人犯と時間を共に過ごした者として、沢山の聴取も行われた。アタシは決して誘拐されたのではなく、七瀬に助けてもらったこと。七瀬に、陽介、そしてルイ。それぞれが父親にされたこと。母親のこと。ルイが父を殺したこと。そしてそれには深い理由があること。知ること全てを話した。七瀬と陽介が、未だ名もなき海にいるかも知れないことも。
 刑事はアタシの話を黙って聞いていてくれた。この人なら七瀬を探し出してくれる。そう信じていた。だが、アタシに突き付けられたのは一枚の薄っぺらい[診断書]だった。
ー 頭部外傷による錯乱・記憶障害の可能性
 刑事はアタシの話を一通り聞いた後に、語り始めた。
ー 逮捕された緒方陽介。殺害された緒方成人の「一人息子」だった。
 彼の供述と、アタシの供述はほぼ一致するが、「七瀬」と「瑠偉」という人物はアタシの記憶錯乱から生まれた産物、もしくは逮捕された「陽介」がアタシをあざむくために演じていたという見解だった。車内から見つかった指紋は二つ。アタシのものと「陽介」のもの。DNA検査でも同じ結果だった。

「違う!!あれはルイだ!」
 身を乗り出しながら、何度も刑事に突っかかった。七瀬の話し方や仕草、利き手から好きな飲み物まで、アタシの知る七瀬全てを語る。洋服の好みに、声のトーン。思考から表情の癖まで全く違う三人。出頭したのは「陽介」ではなく、紛れもなく「瑠偉」なのだと。
「七瀬という人物の性別は?」
 アタシはこの問いに答えることが出来なかった。答えたくもなかった。アタシの葛藤を絶つように、アタシと過ごした日々を語った「陽介」の供述が、アタシの知る七瀬、瑠偉、陽介の三人を合わせたものとして辻褄つじつまが合っていると刑事が言った。
「生物学的に男性であるのならば、やはり我々の見方で間違いない」
 この瞬間、この世から、七瀬と瑠偉の存在が抹消された。

 これが、アタシが突き進んだ先でたどり着けた、[行き止まり]という最終地点だった。どんなに強く願っても、最後まで「陽介」の口から七瀬と瑠偉の名が語られることはなかった。

 七瀬と瑠偉が架空の人物であることや、逮捕されたのが陽介などと、アタシには理解できないようなことが、真実として正式文書に記されてゆく。いや、理解できないのではなく、真実ではない事柄だらけだ。アタシは記憶障害も錯乱もしていない。何を見落とし、何を届けてしまえば真実がこのように曲がるのか。納得のいかないアタシは刑事の元を何度も訪れ、七瀬を探すように頼み込んだ。だが、刑事に手渡された「陽介」の写真を見た時に、初めて自分が大きく揺らいだ。
 「陽介」の逮捕写真。髪を後ろで結い、微かな笑みの上に浮かぶ切れた瞳。ルイに間違いないと確信した次の瞬間、あるものが目に飛び込んだ。旅館の畳の上で、はっきりと目にした七瀬の額の傷。アタシと同じ場所の傷が写真の中の「陽介」に刻まれていた。これは、七瀬?アタシはずっと、七瀬とルイになり切った「陽介」と時を過ごしていたのか?アタシが知る七瀬が音を立てて崩れて行くような気がした。
 この日をもって、アタシは刑事の所へ出向くのをやめた。正直、何を信じたらよいのか分からなくなっていた。それでも、アタシの中で生きている七瀬の姿、ルイがアタシに言った最後の言葉。そこには真実しかなかったと、ずっと信じることだけはどうしてもやめることが出来なかった。


 アタシは「陽介」の裁判のある日は法廷へと足を運んだ。傍聴できた時には必ず最前列に座った。受け答えをする「陽介」の声を聞き、表情を読み取る。何度繰り返し見ても、被告人席に座る「陽介」にルイの姿しか見えない。法廷に立つ「陽介」は紛れもなく、アタシの知るルイだった。
 判決は懲役九年三カ月。母の亡骸と並ぶように埋められた父親の遺体は、殺人及び死体損壊・遺棄罪として処理され、アタシを救った二週間でさえも未成年者誘拐罪で起訴された。父親の元を離れることが可能だった「陽介」は、なぜに自らをいさましい状況下に置いていたのかと問われた。この時「陽介」は、思い出の砂浜で涙を流したルイと同じ目をしながら何も言わずに、ただ遠くを見ているだけだった。
 誰が「陽介」であったとしても、アタシには分かる。父親を殺した動機も、埋められた場所の意図も。逃亡と結論付けられたアタシ達の旅の真相も、全部。全ての答えは形に出来ることのない、アタシを含めた四人の心の中にあるのだと。法廷で言葉に詰まるたびに「陽介」もまた、その瞳で遠く海の底に沈んだ心を眺めていた。

 
 一礼をして「陽介」が法廷を後にするため歩き出すと、間を入れずに傍聴人たちが次々に席を立ち、開かれたドアへと流れ出す。アタシはじっと席についたまま法廷を後にする「陽介」を目で追いかけていた。何も期待していなかった。目が合うことや、微笑や、そんなものが欲しかったわけではない。ただ「陽介」を最後まで見送りたかった。身体の前で手錠で繋がれた「陽介」の両手を包むことは、、、もう出来ない。
 その時だ。
 多分、私以外誰も気づいてはいなかった。「陽介」本人でさえも。弁護士と会話する「陽介」の『右手』がアタシだけに送ったメッセージ。身体の前で繋がれ項垂うなだれていた右手。その親指がゆっくりと手の中に折られ、その親指を包み込むように残りの四本の指がそっと握られた。

 この時、アタシは全てを理解した。

 七瀬も、瑠偉も陽介も。辻褄が合わない話に行動、抱きもしなかった疑問に違和感。やっとすべてが理解できた。
 七瀬、瑠偉、陽介……三人とも確かに存在していた。忘れることのできない四人旅。アタシが過ごしたのは、間違いなく三人との時間だった。今の今まで見えなかった、一つの『体』に存在した『三人の人格たち』と。

 そして、もう一つ分かったことがある。
 七瀬は誰にも探せないと言ったルイの言葉は間違っていること。


 七瀬は誰にも探せない。

 そう……『アタシ以外には、誰にも』。



最終話→


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