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教員は辞めても良い。退職は自分の価値を下げない。

【Information】
・1記事2000文字以上あります。
・気軽に書くことを意識していますので、記事の根拠を示すような引用は少ないです。
・記事内容はやや偏った視点から書いています。

【想定している読者層】
・学校に関心のある方
・学校関係者の周囲の方
・退職などに興味のある方


1:要旨と結論

 初任教員や教員としてやっていけるのか悩んでいる人達にとって、今は教員としての自信をなくす時期です。教員を辞めたくなることがあると思います。個人的には辞めて良いと思います。

2:ななちよ先生の自慢

 まず、鬱陶しいことを書きますが、少しだけお付き合いください。

 私はすこし目立つタイプの教員なので、特定のワードで検索されてしまうと、絞り込まれる可能性があります。そのため、情報を出さないように気を付けています。

 例えば、「トラウマを専門としている教員」というだけでも、絞り込まれる可能性がありますし、これまでに書いた記事内容からも、絞り込みは可能だと思います。

 そしてさらに、人を見下す意図はありませんが、結果的にそうなってしまう自慢として、「私は一般的な教員よりもはるかに早く昇給しています」
 昇給の幅が毎年広いのです。

 つまり、この業界への適応が良いと思います。

3:自慢しかしない教員

 以上に私の自慢話を書きましたが、この話の重要なポイントをたくさん書かせてください。

 私がいくら自慢したからといって、
 ①「あなたの能力」は下がりません。
 ②「あなたの価値」は下がりません。
 ③「あなたが私より能力が低くなる」こともありません。
 ④「あなたの教員としての適性」も下がりません。
 ⑤「あなたが私より子ども対応が下手になる」こともありません。
 ⑥「あなたが私より昇給しない」こともありません。
 ⑦「あなたは誰かに指導されなければならない」こともありません。
 ⑧「あなたが特殊な専門性を身に着けなければならなくなる」こともありません。

 他人の自慢話を聞くと「自分が特に気になる点」を自動的に拾い上げてしまい、その結果、自己肯定感が下がるのです。ただ、現実的に考えると、「あなたの現実」は何も変わらないのです。

 人の話を聞いたからと言っても事実上何も変わらないので、「急にデキる教員になる」こともありません。

4:私が自慢した理由

 これは「そうなりたい自分になれそうな感触がある」から「人に聴いてもらいたくて」言っているだけです。ただし、「なれそうな感触」は私の独りよがりな感覚にすぎません。人から見たときに、「そうなれそうには思えませんけど?」と言われる事の方が普通でしょう。

①私は「人とは違う」ことを主張して目立ちたいのです。
 特別な人間になりたいという未熟な感覚がまだあります。

②私は心理を専門とした教員になりたいのです。
 それは個人的なものにしかすぎない教育観から来ています。さらに言うと、教科の指導力がないし、怒れないので、教師として生き残るには、「教科指導と生徒指導で勝負しなくて済むように、無能でも勉強しておけば、専門用語を使って分かってる風に語れる生徒理解に全振りするしかないだけ」ということです。

③私はお金持ちになりたいのです。
 目立ちたいけど、授業と生徒指導と部活動で勝負できない私は、分掌業務を着実にこなしながら、必ず自分の意見を持つようにしています。教師集団(職員室)では、自分の意見を言う教員は少ないので、自然と私の意見が通りやすくなります。そうすると、昇給させる人としてスポットライトが当たりやすくなる、ただそれだけです。要するに、なんか頑張らなくても良い資料を丁寧に作成しているだけです。

 そういう気持ちが、自慢に結びつきます。
 そして、いつの間にか他人の自己肯定感をむしばみます。

5:教員は「生き残るもの」

 教員という仕事は、あり得ないレベルの超ジェネラリストを一般人に対して要求してきます。

 なので、教師を続けるか、辞めるかという視点で考えるのも良いのですが、「どうすれば生き残れるか」という最低ライン的な発想で、教員という仕事に向き合っても良いと思います。

 辞める前に、病休や年休を全て使ったり、使える権利を使ったり、管理職に包み隠さず相談したり、教育局的な行政機関にも相談を入れたり、自分が思う事を正しい手段を用いて実現してみるのもおすすめです。

 周りの教員も生き残ってきたので、「生き残る手段」を身に着けています。その手段の部分だけ見ると、どうしても比較してしまい、「自分は何もできないダメな教員なんだ」と思ってしまう事になります。

 しかも、教員は「教えたい生き物」なので、あなたに対して何か教えてくることがあるでしょう。いわゆる「クソバイス」です。

 同僚性だの、ソーシャルサポートだの言われていますが、とどのつまりは傾聴です。そして、傾聴は、普通の人には「できません」。

 辞めたくなった教員は、クソバイスの被害者かもしれません。

6:自分をコピーしたがる人

 心の専門家としての訓練を受けている人でさえ、自分の事はよくわかっていないはずです。

 自分の事を良く分かっていないと、自分のやり方を「ひとまず誰かにやってほしい」などと思い始めます。

 高圧的な人や、教えたがる人、「私はあなたより分かっている」等と個人的な経験を振り回しだす人など、色々な人がいますが、

 「自分じゃない人間は自分より下だ」と、手を変え品を変え主張しているのです。

 自分の言葉で他人を語れない事が起きたり、自分の言葉が他人の口から出てこなかったりした時に「あなたの価値を奪いにかかる」のです。

 教員という集団が、あなたの価値を奪いにかかるのであれば、「あなたは、その人が生き残るために利用されている」可能性もあります。

 だから、見限っていいでしょう。

 教員を見限って教員を辞める。

 そして教育が腐っていく。

 それで、いいじゃないですか。

 辞めなくて良い人間が辞めなければいならない職場なんて、どうせ淘汰されます。そういうものに巻き込まれる前に、賢い選択の一つとして「退職」「転職」があるのです。

 ただ少しお金に困るのもいやなので、期限付きや時間講師で食いつないだらいいと思います。正採用ではない強みは、ある程度こちらから働く場所を選べるという事です。

 そして、嫌なら辞められるということです。

最後までお読みいただきありがとうございます。