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新年度・初任者。もう辞めたくなった教師は多いかもしれない。

【想定している読者層】
・辞めたくなった初任者段階の教員
・教員の働き方に興味がある方


1.結論

 辞めるならできるだけ後悔なく辞める。次の人生に今の人生をつなげるビジョンが描けるとなお良い。自分を責める必要は無い。

2.辞める事は悪いことではない

 自分の人生・自分の生き方・自分の在り方等をを決めるのは自分次第です。どんな職に就いているのか、どれだけ稼いでいるのか、どんな人生を歩んできたのか或いは歩むことになりそうなのか、こういったことは、「自分の価値」と結びつけると辛くなることが多いです。価値とは無関係だと割り切れると少し楽になるかもしれません。

 ただ、実際にそんなことは難しいことですよね。無能な感じ、劣等感、誰からも必要とされていない感じ、孤独感、行き場のない感じ、生きていけなくなる恐怖等、色々な感情がうずまいてくると思います。

 そうは言っても、一つだけ、現実的な事を書いてみると、「教員は、たくさんある職業の中の一つでしかないし、別に偉くもなんともない。」ということです。

 教育公務員なので、偉そうな感じはあるかもしれませんが、その辺の平社員です。給与の安定はありますが、副業もできなければ昇給も年功序列です。給与的な部分だけみても、別に大金持ちにはなれません。せいぜい、普通に車を買って、家も買えそうかなといったぐらいです。

 辞める事を推奨するつもりはありませんが、辞める事は悪いことではありません。ただ、その後の人生は自分次第というだけことです。多少冷たい言い方になっていますが、心身が壊れるくらいなら、辞めた方が良いと思います。こじんまり生きる事も、悪くないですよね。

3.辞めようかどうかという悩みを仕事にいかす

 大学を卒業して、はるばる教員になって、いざ働いてみたら、かなりしんどかった。こういった経験は、おそらく初めての人が多いのではないかと思います。

 このような経験は、仕事に生かす事ができます。子ども達は卒業や進級、就職、進学等、大きな環境の変化を体験します。そして、教員は「環境の変化があっても子ども達が困らないように教育の力で対応する仕事」でもあります。

 つまり、今のその教師を辞めたいと言う気持ちを、子ども達は、子ども段階で深く味わう可能性が大きいのです。教師という大人に耐えられない出来事は、当然、子ども達にとって、より深く耐えられない出来事です。

 もし、辞めたいと言う気持ちが引っ込んで、教員を続けていけるようであれば、その経験を子ども達に伝えてみてもいいかもしれませんね。

 とはいえ、今困っているのは、辞めたいと思っている教師自身だと思いますので、最初は、子どものこととは分けて考えた方がいいと思います。「辞めない理由」が欲しくなった時に、少し参考にしてもらえたら嬉しいかなと思って書いてみました。

 とにかく大事なのは、自分の心身が壊れない事です。

4.周りのせいかもしれない

 教員になって数日の間に、大量の会議を経験すると思います。担任に当たったら、「保護者から何を回収するのか」「保護者にすでに渡っている配布物はなにか」「受け取るお金、支払うお金は何か」「クラウドサービスのアカウントは使えるのか」「この後の行事の準備はどうすればいいのか」「教材はどこにあるのか、どうやって手に入れるのか」等々、いろいろな事前準備をする必要がでてきます。

 「時間割はどうなっているのか」「子ども達の出欠はどうやって管理されているのか」「テストはどういうタイミングで行うのか」「成績評価は学校で統一された何かがあるのか」「手当の申請はどうやればいいのか」「勤務時間の管理はどのようにされているのか」「緊急時の対応はどうなっているのか」

 あげていけばきりがないです。

 で、こういった事を誰も教えてくれなかったり、一緒に考えてくれる人がいなかったり、声をかけてくれる人が居なかったり、部分的に仕事を肩代わりしてくれる人が居なかったりすると、それは辞めたくなって当然です。

 これは、周りのせいだと思います。組織的な問題だと思います。

 ただ、悪者探しをしても徒労に終わるだけなので、ここで考えるべきは「自分が無能だからというわけではない」というです。

 他にも、使っていい冷蔵庫とか、ポット(お湯)、ゴミ箱、こういったことも教えて貰えない人がいるかもしれません。そうすると、職員室に居場所がない感じがだんだんとしてきますよね。

 周りの先生も忙しそうで、声をかけにくいし、自分の席の隣や正面、後ろの人達が怖かったりすると、もう無理ですよね。

 こういうのを「あなたの問題」にしたい人が山ほどいます。「自分から動け」とか言ってくる人達ですよね。そして、そういう人たちは「頼らざるを得ない状況を作りつつも、頼れない状況に追い詰めること」が得意です。

 だから、「あなたは悪くない」と言い切れるのです。

 ここで悪いのは相手ですし、問題は相手が持っています。

5.大学のノリでは仕事は無理

 ただ、大学のノリで仕事をしていくのは無理です。

 例えば、大学では独創性に優れた授業、新規性のある何かを取り入れた授業、自分が考える先進的な授業、完璧に計画だれられた授業、地域資源をふんだんに活用した授業等、こういったものを提案できる学生がよい成績を取る事があります。

 ただし、現場でそんなことを考えている時間はないし、独創的な授業は求められていないし、学生が考えるレベルの優れた授業は現場感覚と解離していることもあります。

 まずは、何の工夫もない無難な授業。指導書に書かれている通りの授業。それをやってみるのが良いと思います。運転免許取り立てで、レーシングカーを乗りこなせないのと同じです。まずは、教科書通りの安全運転をすると良いです。発問も重要ですが、まずは、子どもを追い詰めないように心がけるだけでいいでしょう。

 そして、子ども達とやり取りして、子ども達を理解して、その理解に基づいて授業を工夫していく方が良いです。その工夫も、一般的な工夫で十分です。むしろ、一般的な工夫が優れた工夫です。

 授業の計画も教科書会社が出している計画や、各自治体が出している計画を使いましょう。

 特に、義務教育では、教科書が結構優れているので、あまりなにも考えず、教科書にそって、教科書の内容をさらっていくのがいいと思います。

 結果的に「やることやった」となります。

 義務教育ならば、「やらないとならないこと」があるので、「やることやった」というのは100点だと思います。

 仕事はそれでいいのです。

 黄金の三日間だとか、はじめの一週間だとか、私からは付け焼刃にしか見えません。実際は私にはどうすることもできない所、最初に出会ったときに子どもが持った私への印象が全てです。

 こういう「やりかた」は下手をすると虐待的になります。
 とりあえずそれでやってみて、できたかどうかは気にしない。

6.生徒理解に理論を持ち込むのは10年後でいい

 子ども理解にあたっては様々な理論がありますが、とりあえずそれをするのは10年後でいいと思います。

 というのも、他人に対して理論的枠組みを使うのはとても難しいものです。使うなら自分に対して使えばいいのです。

 例えば、各種発達理論、発達のカスケード、発達障害といったものから、学習理論、教育心理学、社会心理学などもありますが、普通は使いにくいものです。

 生態学的システム論、コンボイモデル、アタッチメント理論、ICD、トラウマの三角形、脳科学、精神病理学といったもの等々も、そうそう使えないでしょう。

 理論的な理解が難しいので、理論的な理解に基づく取り組みであるソーシャルスキルトレーニング、ピアサポート、SEL、SGE等、各種心理教育も普通無理です。

 学会や研究会が主催する研修会に出席して、2年くらい体験したほうがいいでしょう。聞きかじりで、学生同士でやったことがある程度の経験で実践しても、薬が毒になるだけです。

 要するに、できなくていいし、できたところでお金が多くもらえるわけでもないし、むしろ大変な思いをするだけです。無理しなくていいのです。一流の教員になろうとしなくていいのです。ひとにぎりの教員になるのは、はじめから一握りの側にいる人達だけです。

 例えば、私(ななちよ先生)は、心理検査を実施できますし、実施してきましたが、学校に検査キットはありませんし、教員の立場で検査することはありません。要は、無駄スキルです。ただ、検査の解釈はできるので、何も知らない教員よりは理解力があると思います。それでも、本を一冊読めば、それなりに追いつかれるものです。

 さらに、私はトラウマを専門としていますが、トラウマという言葉自体が他人をぎょっとさせるものですので、ほとんど公言してません。要は自己満足です。

 専門性は、それが何らかの技術であるならば、すぐに埋まるものですし、どうせ数年後には廃れます。だから、焦って何かしようとする必要は一切ありません。現在のすぐれた実践は、3年後、ゴミになっているかもしれません。

 ただ、なんらかの介助や特定行為をする必要があるのであれば、早く技術を身に着けるに越したことはないでしょう。子ども達の命に直結するものは、最優先で身につけましょう。エピペンとかね。

7.やりたいことはできない

 多くの人は、何らかの理想や「こうしたいな」「ああなりたいな」というものがあると思います。そして、それを叶えるだけの能力も持っていることもあるでしょう。

 それでも、やりたいことはできません。それが普通だと思います。

 理由は、「やりたい事ができる環境が、自分に与えられるかどうか」は自分にはどうすることもできない問題だからです。とてつもなく優秀でも、それをいかんなく全て発揮できる環境にいるかどうかは別問題です。

 与えられた環境で頑張った人が、遠い将来、「やりたいことができるようになる、かもしれない」ぐらいなものです。

 日本はそういう社会だと私は感じます。

 完全に実現しようとするなら、起業するか何かしかないと思いますが、それが近道かどうかは未知数です。

8.それでも使い物になりたい

 さて、すこしくどい感じで書いてきましたが、「誰にでもできて」「一人でできて」「学校の動きを一年間見通せるようになり」「必要な手続きもわかる」「お金や物の動きもわかる」そんな作業が一つだけあります。

 これはほとんどのひとがやりませんし、教えてくれる人はあまりいないでしょう。でも、非常に簡単です。

 それは、「去年行われた職員会議のレジュメ(表紙・議事一覧等)」を一年分入手することです。校務PCで資料を集めるだけです。

 もうすこし詳しく知りたいなら、「議事録」と「自分が担当する学年・学級の経理簿」を探しましょう。データで保管されていれば、普通はアクセスできるはずです。

 なんの行事が、いつ動き出すのか、そして、必要な物はどうやって手に入れるのか、だいたい分かります。

 入手するレジュメは1年分でいいので、せいぜい紙20枚程度です。

 この作業をやって、見えてこないものは、「学校が保管している道具類のありか」くらいなものだと思います。それは、自分の足で情報を稼ぐしかありません。

 稼ぎ方は、なんでもいいので「設営と後片付け」に積極的に参加することです。行事でも会議でも、来校者対応でもなんでも。自分に関係なくても、「何か出しますか?」「これ、どこにしまいますか?」と言われて悪い気持ちになる人はいないでしょうからね。

 

9.仕事の適性は有るし無い

 仕事に向き不向きは有るようでないです。
 子どもが嫌いでも、教師の仕事をこなすだけであればできます。嫌いな事が態度や表情に出て、子どもや保護者から嫌われても、授業はできますよね。人からそうやって嫌われても仕事を続けられるのであれば、続ければ良いのです。それが、その人の人生だと思いますし、その人と出会う子どもの人生もまた他人の人生です。

 仕事デキる人間にならなくていいのです。

 適性はなくたって、仕事はできます。
 実際に、それで仕事をしている教員は多いと思います。

 初任者が周りからのフォローを受けられなくて辞めたくなるくらい追い詰められるのは、周りに適性の低い教員が多かったせいでしょう。

10.教員は誰であったて同じ

 私(ななちよ先生)は、どの学校でも働けますし、トラウマを専門にしていますが、子ども達や保護者にとってみれば実際どうでもいいことだと思います。良くて「ないよりはまし」くらいかもしれません。

 私はもちろん大きな学会に所属していますし、研究もしていますが、そんなことはどうでもいいことなのです。

 保護者にとって大事な事は、自分の子どもが元気に登校して、帰ってくることです。

 教員は事を荒立てなければいいのです。

 子ども達も、学校で楽しくすごせればいいのです。私が「どの学校でも働けるかどうか」なんて、ゴミみたいなものです。全部専修免許であろうとも、何も関係ない、飾りですらないのです。専修免許状は、私の個人的な趣味でしかないのです。

 そんなことよりも、いつも機嫌がよく、穏やかで、否定しない大人として存在している方が、1000倍有効です。

 さらに言うと、どの教科を得意としているかですら、どうでもいいことです。子ども達が見ているのは、教員の得意分野ではなく、教員の表情です。

 
あくまでも「教員は仕事の一つ」です。

辞めずに死ぬより、辞めて困った方がいいと思います。

続けることが最善ではありません。