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性別不合とトイレと社会。安全な世界はどこにあるのか

【記事の結論】
 現段階でトイレは施設管理人の意向によって利用方法が決まります。トイレは非常にプライベートな場所なので、そのことがこの問題を複雑にしています。


1.性別不合とトイレの問題はメジャー

 性別不合を持つ人にとってトイレはとても大切な問題です。一般人からすると悩みの種にすらならないトイレですが、性別不合を抱く人たちにとっては大きな悩みの種で、実際に病気になってしまうことがあります。

 教育業界でよく言われるマズローの欲求の5段階説があります。教育業界では、普通、一番上の自己実現欲求に焦点が当てられますし、指導しにくい子ども達を見つけると、その子は「承認欲求が満たされていない」と判断する事が多いです。

 私の個人的な考えでは、安全の欲求に対してすら学校は応えられていないと思うのですが、教育業界では、下層の欲求を軽視する雰囲気が根強くあります。

 トイレの問題は、生理的欲求という一番下の段階で、この説で言う所のもっとも重要な部分です。なので、せめて学校はこの問題に真正面から全力で向き合ってほしい。

2.トイレってどういう場所なのか

 性別不合とトイレの問題が複雑化している原因は、トイレがとてもプライベートな空間だということが関係していると思います。

 例えば、幼児は親のトイレに付いてきてのぞき込むし、トイレの扉を閉めて欲しくないと言ったり、一緒に入りたがったりという行動を取ります。
 うんちやおしっこについても良く分かっていませんし、自分の性器についてもまだいまいちよく分かっていない事が多いでしょう。

 それが成長とともに、トイレはのぞき込んではいけない場所だということを学び、排泄や性についても段々分かってきます。そして、人にとってかなり深い部分でプライベートなことだと理解していきます。

 これが自立にとって大切なことでもあります。

 別の視点からも考えてみます。

 トイレでの排尿時、人は副交感神経が優位になり、リラックスした状態になります。そうかと思えば、排尿失神などもよくある事です。つまり、排尿時は本来的に人は油断しています。なので、トイレは自分にとって安全が確保された場所である必要があります。

3.ちらりと顔を見せる虐待というトラウマ

 私は性別不合の方の人権については、比較的擁護の立場であると思っていますが、過激派ではありません。なので、現実をよくよく捉え直しながら最善を求めます。そうなると、両方の視点が必要になります。

 トイレは、生理的欲求を満たす重要な場所ですが、そもそも非常に高いレベルでプライベートな場所ですし、安全の確保が絶対に必要です。

 女性である元男性(MTF)の女性トイレ使用を拒否するのは、主に一般女性だと思っているのですが、誤解があればすいません。

 ただ、この女性たちが極端に嫌がるのには何か理由があるのだと思いますし、それを理解しないことには歩み寄れる部分もなにも見つからないと思っています。

 私はそれを自分の専門性から考えています。

 他人の家庭は覗き見る事ができませんが、性的虐待はかなり高い頻度で起きていますし、それをそれと自覚しないで行われている事もかなり多いと思っています。

 例えば、父親が娘の着替えをのぞくことも該当します。セクハラ的な発言もそうです。それは確実に女性の心をむしばみます。そして、虐待を受けているという自覚を持てずにいた女性が、ある時、ふと気づいて、気づいたことによって深く傷を負う事もあります。

 軽度なトラウマも数を重ねれば深い傷となります。
 軽度だったがゆえに自覚が深まらないまま、傷が深まっていきます。

 そうすると、無自覚な部分で危険に敏感になります。そして、攻撃的な言動や拒絶的なふるまいなどに発展する事があります。

4.トイレから社会へ

 トイレから始まったこの話題ですが、性別不合の問題は、社会に安全が必要だと言う結論を持ってくることができそうだと考えています。悪人を見つける事はできないけど、見つけたとしてもどうすることもできない。ただし、確実に世界が安全だと言う信頼がむしばまれていく。

 世界は誰かにとってはとても危険な場所であることがあるのです。

 なので、突然現実的な話をしますが、トイレの利用については、トイレが設置されている施設の管理人の意向によって決まりますので、現実的にはその人に請求する事がよいと思います。

 学校であれば校長ですね。校長に直談判しても良いのですが、会議は教頭や教員で行われると思いますので、担任や教頭に請求する事になると思います。そこで、「今できる最善の策」を引き出す事が大切だと思います。

 「今」は過渡期です。性別不合にとってみれば縄文時代くらいかもしれません。なので、当事者の希望が100%叶う事は実質難しいものだと思います。

 ただ、私は、叶ったらいいのになと思っている派です。

 最後までお読みいただきありがとうございました。