人
その夜は、古くて狭いビジネスホテルの部屋にいた。
明日は仕事だ。関西テレビ『サタうま!』のロケで、美浦トレーニングセンターへ行く。
トレセンの朝はすこぶる早い。
早く寝なきゃ。
私はいそいそと準備を始めた。
お気に入りの、赤い千鳥格子のコート。 確か20代前半に買ったものだが、34歳の現在も大好きで愛用している。 明日のロケは、このコートを着るつもりだ。
しかし家を出る直前、私は見てしまった。
無数の毛玉が出現しているのを。
気に入って長く着用しているために、よく擦れる肩や袖口には、いつの間にやら毛玉が大量発生していた。
「えらいこっちゃ!」
慌てて毛玉クリーナーをカバンに放りこみ、家を出た。
さてと。毛玉でも取るか。
私は、おもむろに毛玉クリーナーをコートの上に転がした。
『ジジジジジ』
音を立てながら、毛玉が取れていく。
大事にしてきたコートなので、毛玉が取れたところは新品みたいだ。
やり始めると、全ての毛玉を取らないと気が済まなくなってきた。
『毛玉を取るって、おもしろいわぁ。』
夢中で毛玉を取っていると、携帯電話が鳴った。
部屋の時計は、深夜0時を指している。
こんな時間に、一体誰だ?
画面を見ると、俳優の宮川一朗太さんからだった。
「もしもし?宮川さん?」
「奈々ちゃん!お誕生日おめでとーっ!」
宮川さんの明るい声が聞こえた。
「あーっ!!!私、お誕生日?ありがとうございます!」
「ほらほら。奈々ちゃんのことだから、どうせ一人でサビシイお誕生日を過ごしているだろうと思ってさ(笑)」
おおぉ。悔しいが、正解だ。
「ひぇーっ!エスパーですか?!ピンポーン大正解!明日トレセンでロケだから、一人淋しくビジネスホテルにいるんですよー。」
「やっぱり〜(笑)んじゃ、イイ馬券情報あったら教えてね。ロケ頑張ってー!」
相変わらず、ええ人や。
不覚にも毛玉に没頭している間に歳を重ねてしまったが、宮川さんの心温かい電話のおかげで、救われた。
翌日のロケは、毛玉の取れた新品同様のコートを着て、無事に終了。 その数日後、私はレギュラー出演している文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』へ行った。
「六車は今週、何してたの?」
生放送が始まってすぐに大竹さんに聞かれた。
「それが聞いてください!私ね、ビジネスホテルで深夜夢中になって毛玉を取っていたら、宮川一朗太さんから電話がかかってね。何と自分の誕生日だったんですー!」
「オマエ、それは淋しすぎるだろ。」
「そうなんですよ。電話がなければ、誕生日にも気づいてなかったかも。」
「ったく、オマエは悲しい女だなぁ〜。」
苦笑いの大竹さん。 ひとしきり私の男日照り話で盛り上がり、いつも通り楽しい放送が終わった。
「お疲れ様でしたーっ!」
番組を終えてスタジオを出た瞬間、目の前に大きな花束が飛び込んできた。
35本の真っ赤な薔薇の花束。
大竹さんのマネージャーさんが、笑顔で差し出している。
「え?これ、、、」
「大竹から、お誕生日のお祝いです。」
「えぇーっ!大竹さん!肉体関係もないのに、いいんですか?」
「オマエは、バカだなっ!」
そう言いながら「もらっとけ。」と言わんばかりに目を細める大竹さん。
宮川さんといい、大竹さんといい、世の中には何と優しい人がいるものか。
どこからともなく声が聞こえてきた。
「いいですか?『人』という字は、支え合ってはじめて『人』になるんですよ!」
あぁ、金八先生。
本当に、その通りです。
人は一人では生きていけない。
思わず『人』という文字を手のひらに書いた、35歳誕生日の思い出であった。
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