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【松陰神社】GWに訪れたい「革命の香り」がする街、山口県・萩(The Little-Known Japan Vol.1)

ゴールデンウイーク(GW)もいよいよ中盤に差し掛かってきました。今年は新型コロナウイルスが5類に移行してから初めてのGW。最大10連休になる長期休みを利用し、旅行や遠出をされる方も多いのではないでしょうか?

JTBの調査によると今年のGWの総旅行者数(推計)は2332万人で、うち国内旅行は2290万人にのぼるといいます。

旅行産業が本格的に復活するなか、問題視されているのが「オーバーツーリズム」です。公共交通機関は満席で高速道路は渋滞、やっとの思いでたどり着いた観光地は大混雑……。せっかく連休でリフレッシュするつもりが、かえって疲れてしまってはもったいないですよね。

そこで、こちらのnoteでは「The Litte-Known Japan」と題し、私が実際に行ってみて良かったと感じた、あまり知られていない国内の穴場の旅先スポットを不定期に紹介して行きたいと思います。

人混みを避けてのんびり旅をしたい、他人が知らない秘境を旅したいという方はぜひ覗いてみてください。第1弾の今回は、私が大好きな偉人・吉田松陰ゆかりの地「山口県・萩市」を紹介します。

維新の志士の恩師、吉田松陰の故郷へ

2023年11月、だんだんと冬の肌寒さを感じる季節に吉田松陰のゆかりの街、山口県萩市を訪れました。

吉田松陰は幕末の思想家・教育者。留学を夢見てペリーの黒船に密航を試みるも失敗し萩に幽閉されたことや、「松下村塾」にて木戸孝允や高杉晋作、伊藤博文など明治維新をけん引した偉人を多く育成したことなどで有名ですよね。最期は安政の大獄で処刑されてしまいます。

きっかけは覚えていませんが、以前より「尊敬する偉人は?」と聞かれると必ず吉田松陰と答えるほどの大ファン。私は18歳まで淡路島といういわゆる地方で過ごしており、人生の大半を萩で過ごした彼に親近感も覚えます。

NewsPicksの番組でご一緒した起業家の方々が日本の革命、イノベーションとしてたびたび吉田松陰の功績や言葉などを引用していたのも、理由のひとつとしてあるのかもしれません。

そんな吉田松陰が人生の大半を過ごした萩はどんなところなのか。彼の足跡をたどるべく、仕事の合間に旅へ出てみました。

享年わずか29歳──。若き幕末の偉人たち

新幹線で広島駅まで行き、在来線に乗り換え新山口駅へ。そこからさらにバスに乗り換え1時間半ほどすると萩へたどり着きます。山口宇部空港や萩・石見空港から車で訪れることもできます。

電車やバスに揺られている間ずっと聴いていたのはポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)」。吉田松陰について紹介する回を聴いていると、ある事実に衝撃を受けました。

彼が生涯を終えた年齢は、わずか29歳。つまり亡くなるまでのわずかな期間に、日本の運命を支える重要人物たちを多く生み出したのです。

彼の教え子たちが維新を成し遂げた時の年齢も、ほとんどが20代。当時日本の未来を作ったのは若者だったのですね。

変革を起こすために年齢や経験値はさほど関係がないのだなと痛感するのと同時に、現代の日本社会を動かしているのは常にご年配の方のような気がしてなりません。当時と反対の状況に、松陰は何を思うのでしょうか。

そうこうしているうちに、車窓から見える街並みが現代的な建物から伝統的な日本家屋に代わってきました。自然豊かなのどかな風景が広がり、まるで江戸・幕末の時代にタイムスリップしたような気分です。バスを降り、早速お目当ての松下村塾がある松陰神社へ──。

吉田松陰の教え子たち

「親思ふ」松陰神社で見つけた、松陰の人間らしさ

多くの偉人のゆかりの地でありながら松陰神社はさほど混雑しておらず、参拝者がじっくりと拝観を楽しんでいました。境内のいたるところには松陰が遺した言葉を記した石碑が並びます。

中でも目立っていたのが、処刑が決まった松陰が家族に向け書いた遺書の中で詠われた和歌が彫られた石碑でした。

「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」
ー私が親のことを思う以上に親は私のことを思っていてくれている、それが親心というものだ。
今日私が処刑されるという知らせの手紙をどのように思っておられるのだろう。しのびないことだ。

松陰が処刑されたのは彼の家族がいる萩から遠く離れた江戸(現在の東京)。彼の遺書が家族のもとに届いた頃には彼はすでに処刑されていたそうです。勉学や革命への情熱のまま、無茶ともとれる言動をしていた松陰でも、家族を想い詫びる気持ちがあったことに、教科書や本では学びきれない彼の人間らしさを感じました。

小さな学び舎が生んだ革命家たちの、現代に通ずる志

境内の中心部には、質素な日本家屋が。この一見小屋のような建物こそが数多くの偉人を輩出した「松下村塾」です。広さはたった50平米ほどの平屋で、門下生が学んだ講義室は8畳の一室。こんな小さな学び舎から日本の革命家たちが誕生していったとは……

間取りも愛らしい

松下村塾をはじめとした萩の観光スポットは、地元ガイドの方が案内をしてくれます。私の担当をしてくださったのは、NPO萩観光ガイド協会の坪井さん。山口弁を交えた優しい口調で、松陰の教えとともに松下村塾を案内してくれました。松陰神社を巡るなら、NPOガイドの方に案内してもらうことをオススメします。

ガイドの坪井さん曰く、松陰は身分や階級にとらわれず学びたい人はすべて塾生として受け入れたそう。お世辞にも恵まれた教育環境とは言えない学び舎に、身分は違えど維新を志す若者が集った松下村塾。偉業を成し遂げるためには、生まれ持った地位や才能、環境ではなく、誰を師(メンター)とし、誰と一緒に学ぶかが重要なのですね。

「松陰先生は門下生に、『重要なのは結果ではなく、挑戦をしたという事実だ』と常に言っていたそうです」と坪井さん。成功した、何かを成し遂げたという結果ではなく、結果にたどり着くまでに経た試行錯誤や失敗にこそ価値があるといいます。

NewsPicksの番組でご一緒した、メガネチェーンOWNDAYSの田中修治さんの「成功はアート(再現性がない)、失敗はサイエンス(経験から共通項を見出せる)」という言葉と通ずるものを感じます。

ガイドの坪井さん。黄色いベストが目印です

偉人のふるさと、萩の魅力

萩には松下村塾の門下生の生家・実家が今も数多く残っています。すべてご近所さんで、一日もあれば回り切ることができます。

それぞれに魅力があるのですが、私が特に惹かれたのが元内閣総理大臣、桂太郎の旧宅。彼は明治後期から大正初期に活躍した日本の政治家であり、憲政史上最長の在職記録を持っていました。彼は山口県出身であり、安倍晋三首相が在職最長記録を更新するまでその記録を保持していました。

立派な木造瓦葺きの家と、綺麗に整えられた日本庭園。縁側に座ると鹿威しの音が聞こえる癒しの空間です。係員の方の許可をいただいて少しテレワークをさせていただいたのですが、陽だまりが心地よすぎてついウトウト……。激動の時代を生きた偉人たちもこうして気を緩めるひとときがあったのかもしれません。

一生佇んでいたい縁側

生家めぐりの移動手段は、レンタサイクルを利用しました。風情豊かな城下町を気持ちよく走っていると、ふと河川敷が目に留まりました。覗き込むと、透き通った水の中になんと鯉が悠々と泳いでいるではありませんか!

やせい の こい が あらわれた!

かつて用水路として活用された「藍場川」には現在鯉が放流されています。市内を縫うようにして流れているため、街中いたるところで美しい鯉を見ることができます。街の建物や石橋などと共に城下町の情緒を感じられます。

伊藤博文別邸

萩の定番「モーニングうどん」? 地元民に愛される海鮮居酒屋も

観光地と同列で旅に欠かせないものといえば、「グルメ」。私が萩旅行でいただいたのは山口県のソウルフード「うどんのどんどん」のモーニングうどんです。萩でモーニングといえば喫茶店の小倉トーストではなく、うどんなのだとか!

どんどんは創業50年越えの老舗うどん屋さんで「安い・うまい・早い」でお馴染み。お客様の波を予想し、席に座ると同時にうどんが出てくるスピード感には脱帽です。薬味のネギは食べ放題なのでたっぷりかけて、勢いよくずずっと!もちもちとした触感とだしの香りが口いっぱいに広がります。

モーニングうどん。米粉ドーナツ付き

夜ごはんのおすすめは、ガイドの坪井さん一押しの居酒屋「お食事処こづち」。木のぬくもり溢れる店内のいたるところには船の舵輪や貝殻など海を彷彿させるインテリアが点在しています。

新鮮な魚介類のメニューが豊富で、お刺身やねりものなど、山口県の地酒「獺祭」によく合うお酒の肴を楽しみました。店内は地元のお客様で大賑わいで、観光客の私たちも仲間に入れてもらえたようなアットホーム感であふれていました。

初めて訪れたはずなのに、どこか懐かしさを感じる萩。近代日本の礎を築いた偉人たちのふるさとを巡り、新たな魅力を発見してみてはいかがでしょうか?

面白きこともなき世をおもしろく
もともと面白くもなんともない《この世》を面白く生きるかどうかは、心の在りよう次第だ

構成:大竹初奈

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