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誰かや自分の不安や大変さを奪わない。

「ああ、またやってしまった…」
夏休み中で子どもと一緒にいる時間が増えた最近、私はこう呟くことが増えた。

我が家の双子はどちらかというと赤ちゃんの頃から繊細なタイプだったと思う。特に双子の一人(長女)は、小学生になったこの春から、さまざまなことにおいて気にしたり、不安に思うことが多くなった。

夏休みの宿題で朝顔の観察が出されているのだけれど、観察日記を書く時に長女の「どうしよう」の不安の気持ちが爆発してしまった。
もらってきた記入カードには、朝顔の絵を描くスペースの他に、観察して気づいたことを文章にして書くために二本、文章用の直線が引いてあった。長女は大きな文字で書き始めたので途中で文章が収まらなくなったのだ。

「上の線のところに二行書いて、ぜんぶで三行にしたらいいよ」と私が言っても、「線に沿って二行にまとめなきゃならないのかもしれない、文章が長くなって三行になったらダメなのかもしれない、どうしよう!」となってしまっていた。

「いや、気づけたことがたくさんあるんだから、長くなってむしろいいんじゃないかな?」と私がいくら言っても「先生に怒られないかな」「これで間違ってないかな…」
「じゃあ、小さい文字で書き直す?」と言っても「これ以上小さく書けない!」と泣き出す長女に「大丈夫だから!」と思わず強めに言ってしまった。

そして、すぐにはっとした。

「大丈夫だから!」と押し切るように言われたところで、この子は安心なんかしない。人が不安や大変だと感じる気持ちを奪ってはいけない。それは、誰かの不安も自分の不安も。

時間をかけて私はこのことに気付いたんだったとはっと立ち返る。
人が感じる気持ちも、そして自分が感じる気持ちも、強引に奪い取ってはいけない、そして、奪い取りたくない。
でも、うっかりすると、いつもすぐに感情で反応してしまう。

私はすうっと深呼吸をして、長女と目線を合わせた。
「ほんとにごめんね、ママ間違えた。間違えてないか不安なんだよね。じゃあ〇〇ちゃんが安心した気持ちになるにはどうしたらいいかな?ママと一緒に考えてみよう?」と言ってみた。

すると長女は目に涙をいっぱいにためて「三行になってもいいか先生に確かめたら安心できる」と言った。そして、こんなやりとりをした。
「明日は学校に行く予定だから先生はいるね。自分で先生に聞けそう?それともママが連絡帳で書いた方がいいかな?」
「自分で聞けると思う。でも、うまく先生に言えるか不安」
「じゃあ、何かあったら先生に話しやすいかな?」
「うん。この観察カードを持っていって見せながら先生に言ってみる。」
「でも、それでもうまく言えなかった時のために、ママに連絡帳にも書いておいてほしい。もし言えなかったらそれを見せればいいって思ったらがんばれる」

長女は、ちゃんと自分で「自分が安心できるにはどうすればよいのか」を分かっていた。安心できる方法は、きっと人によってそれぞれだ。だから「自分にとっては、どうなのか」を考えることが大切なのだと思う。

最初の「どうしよう!」という不安の感情がばっと出てくると、私も思わずその感情の方に反応してしまうのだけど、一緒に心の中に降りていくことで、ちゃんと自分の答えを見つけられるのだと思った。きっとそれは、大人でも子どもでも。

翌日、学校から帰ってきた長女は満面の笑みで「自分で先生に言えたよ!三行も書いてがんばったねって言われた!」と報告してくれた。長女の表情からは安堵感と共に「自分でどうするかを決められた」という自分への誇りのようなものを感じた。

日々こうして子どもたちと関わる中で、よく思い出す言葉がある。
以前子育て中のお母さんにインタビューさせていただいた時のこと。そのお母さんは、育児で大変さを感じ育児サポートを利用していたけれど、自分が利用してもいいのか、もっと自分一人で頑張らなければならないのではないかと思っていたとのことだった。その気持ちをお世話になっている育児サポーターさんに話した時、こんな言葉をもらったという。

「あなたが大変だと感じるなら、それは大変なんだよ。大変だって思っていいんだよ。」

不安や大変さに蓋をしてしまうと、後から大きな反動がくることは私も幾度となく体験している。でも、家族などに近しい人には甘えてしまう部分もあるのか、気持ちを切り上げるようなことを思わず感情で言ってしまうことがある。でも、本当はそんなことをしたくはないのだ。

大切な人の不安や大変さを奪わないために、まずは私自身が、自分が感じるどんな気持ちも奪わないようにしたい。

何度も消しゴムで消して書いた観察日記。


*自分を見つめて受けとるお手紙朗読ブランド 「voice seed」を運営しています*


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