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好きとか嫌いとか、苦手とか、得意とか。

先日、友人と話していて「奈菜は、料理嫌いだもんね~」と言葉をもらった。笑いながら「そうだね~」と返したものの、違和感が残った。

「この違和感、なんだろう」と考えてみたくなった。

確かに子どもが生まれてから、特に仕事を再開してからはさらに、いかに時短で料理を作るかというマインドになっている。
夕方が近づいてくると「ああ、今日のご飯何にしよう…」「冷蔵庫には一体何があったんだっけ…頭が回らない…」と明らかに負担になってはいるし、最近は早炊きでお米が炊ける36分の間に作れるおかずしか、基本的に作っていない。

でも、私は本当に料理が「嫌い」なんだろうか。

そう考える時に思い出すのが、子どもが生まれる前、夫と二人で暮らしていた時のことだ。当時は今よりも自由に使える時間があって、そういえばコトコト煮込む料理をよく作っていたっけ。レシピを調べて食材を買いに行って料理を作ることも多かった。そして、その時間は、私にとって楽しいものだった。得意、とは言えるほどではなかったかもしれないけれど、多分、苦手でも嫌いでもなかった。

子どもが生まれてから7年間、料理をすることの優先順位は明らかに下がってはいるのだけど、でもそれは、嫌いになったわけではないような気がした。

私の環境が変わったことでちょっと距離ができてしまっただけで、きっと料理をすることが嫌いになったわけじゃない。でも、この数年で私の中で「料理を作る時間が満足に持てない」→「時短料理がうまく思い浮かばない」→「私は料理が苦手」というセルフイメージのようなものが作られてしまったかもしれないと思う。セルフイメージ通りの言葉を口にしていたら、周りにも「料理が苦手、好きじゃない」という感じで伝わっていたのだと思う。

他のことでも、こういうことってたくさんある気がしている。
例えば、私は育児にとても悩んでいた時期が長くて(今も度々悩みますが…)ずっと自分は母親不適合者なのだと思っていた。そのセルフイメージは、どんどん自分を追い込むことになりかねない。現に、その頃の私を一番責めていたのは、他でもない私自身だったから。

でも、ある時、どうにも限界で実家に双子を連れて帰った時、両親や兄夫婦や甥っ子に囲まれて、二人の赤ちゃんに対して見守れる大人が5人もいて、私はそれだけでとても安心できた。私一人だけでお世話をしている時はいつも泣いてばかりだった双子たちは、当時3歳だった甥っ子に遊んでもらってご機嫌だった。そして、その様子を見て、いつも難しい顔ばかりしていた私は、自然に双子に笑顔を向けられた。

その時に思ったことは、セルフイメージは、自分を取り巻く環境によっても大きく変わるのではないかということだった。「他の人にはできるのに、自分にはできない」「どうして私はこれができないんだろう」と思ったりもするけれど、自分の性質がどうということだけではないように今は思う。

私は周りに大人がたくさんいることで安心感を覚えたけれど、もしかしたら、周りに干渉されず自分のペースで自分らしい育児をすることが安心につながる人もいるかもしれない。

その時の環境や状況によって自分へのセルフイメージもきっと変わってくるから、セルフイメージに苦しくなったら、そのイメージ自体を疑うようにしている。もしかしたら、自分が自分だけの思いで勝手に作り上げてしまったものでがんじがらめになってしまっているだけかもしれないから。

料理に関しても、多分、私は今後また、ライフステージの変化と共に料理との距離感が変化していくんだろうなと思う。今は「またいつか近づきたいから、ちょっと待っててね!」の心境なのだ。またコトコトと煮込み料理を作る未来の私をイメージすると、何だか幸せな気持ちになる。

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