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暮らすように過ごした宮古島の旅。

この夏、私は弾けるような旅ではなくて、味わうような旅をしてみたかった。行き先は、7年ぶりの宮古島。前回は駆け足だったこの島で、暮らすように旅をしてみたかったのだ。

「旅が自分の中で変わった」と感じた瞬間があった。以前は旅に行く直前まで根詰めて仕事やら家のことやらを頑張って、ご褒美だ!とばかりに旅に出ていた。でも最近、そういった弾けるような旅の仕方が自分に合わなくなっていると感じたのだ。もっと日常に近い、日常の延長のような感覚で旅をする方が今の私には合っているような気がした。

旅でも日常でも予想外のことは起きるもので、今回も然り。でも、日常と地続きのような、それでいてスパイスのような新鮮さを感じた印象深い旅になった。

とはいえ、何度乗っても胸が高鳴ってしまう飛行機!

宮古島に着いた日は、双子の娘たちは元気いっぱいだった。翌日、さあ海に行こう!という時に「なんか、気持ち悪い…」。双子の一人が南の島に来て胃腸炎症状がでてしまったのだ。幸い大事には至らなかったが、元気いっぱいなもう一人が出かけられず不満気味。そこで、夫と交代で、子ども一人ずつと過ごすことにした。

普段はなかなか子どもたち一人一人と向き合う時間をとれていないのが悩みでもあった。久々に一人一人とたっぷりおしゃべりをしたら、子どもも喜んでくれたけど、私自身がとても満たされた気持ちになったのだ。
「2人共にたくさん愛を注がなくちゃ」ときっと双子が産まれた時から思っていて、でもうまくできなくて結局子どもたちに怒って、落ち込んで…を繰り返しているので、一人一人とちゃんと向き合えたことが嬉しかったのは、母である私の方だったように思う。

胃腸炎だった子が復活した日、やっと家族みんなで海に行った。

新城海岸。ビーチグラスや貝の飾りがとても可愛かったです!

透き通る海で泳いで、浮き輪でゆらゆらして、海を見ながらゆっくりご飯を食べた。体調不良で海がお預けになった分、みんなとても嬉しそうだった。
邪魔にならないようにそーっとそーっと、ウミガメを家族で眺めた時間を、私はきっと忘れないと思う。6歳の子どもたちの心は、どんなことを感じたのだろう。

帰るギリギリまで海に浸っていたかった次女。

実は、今回の旅では体調不良に続き、台風6号にあたってしまった。宮古島が暴風域に入っていたため2日間宿泊先に缶詰めになったけど、これまた味わい深い時間になった。その前の数日海で遊んでいた双子にとって、ステイの時間がアウトプットの時間になっていた。

昨日見たウミガメを描く!と夢中で描いた絵

感覚が残っているうちに海で見たウミガメの絵を描いたり、行きたかったマンゴーカフェには行けなくなったけど、買っていた生マンゴーを使ってアイディアを出し合ってオリジナルマンゴーパフェを作ったり。
想定外のことが起こった時に、気持ちを切り替えるのが私は得意ではない。でも、今回の旅では「これを、どう捉えてどう過ごす?」と自らに問う場面がたくさんあった。それを問う時に答えとして持っていたかったのが、「光の方へ」という思いだった。そんな光をいとも簡単に感覚で見つけてしまう子どもの心を、私はいつも眩しく思うし、尊敬している。

パイマガマビーチからの夕日。

この旅では、雲の形がじわーっと変わっていく様子をぼーっと飽きずに眺めたり、雨が降っていなければふらっと海まで行って朝食を食べたりもした。特別なことではなく、なるべく日常にしていることを宮古島での過ごし方でやってみたかった。空を見上げることも、食事をすることも日常にもあることだけれど、流れる時間と心に取り込まれる空気はとても新鮮だった。

絵画のような海。海を見て、空を見て、たくさん深呼吸した。


宮古島への旅を終えて自宅に戻った時、子どもが「なんか、うちだけど知らないうちみたいな感じがするね」と言った。旅から帰ると、私もその感覚になることがある。特に今回は、これまでの旅よりも日常に近い過ごし方をしたから、強く感じたのだと思う。

「うちだけど知らないうちみたい」と双子の一人が言った時、「それが旅するってことだよ」ともう一人が言った言葉に吹き出しながらも、妙に納得してしまった。すっと日常から旅に入って、旅の感覚を味わいながらまた日常に戻るような、日々と地続きの旅をまたしたいなあと思うのでした。


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