執行役員を目指した本音の理由

とある方から「なぜ執行役員を目指すと決心したのか」という質問をもらった。若い人はおそらくそれを聞いてやる気をだしたり、高揚感を味わったりしたいのだろうが、残念ながら、私の本音はそういう類のものではない。そもそも、「やりがいのある仕事ができれば、出世は求めない」と思う方だったのだが、長い会社生活で現実に直面するにつれ、「出世を頑張った方が後悔しなくて済むだろうな」という、消去法的な選択の仕方をしたのが実態である。もともと成長意欲が高く責任感も強い性分なので、自然な欲求にまかせていると探求心の赴くまま突き詰めてしまい、ついワーカホリックに陥るタチだ。それがプラスに働くのが大部分なのだが、ストレスという形でネガティブに働くことも多かった。その気質を変えられずに、結果的に出世を目指したという話である。高揚感は味わえないと思うが、会社生活のリアルな側面を知るという観点で読んでいただけるとありがたいと思う。

上司のやりたいことを実現する役割にうんざりした

プレイヤーとして中堅の時代は、探求心が高じて実務能力は高まっていたので、不確実で複雑な仕事ばかり割り当てられることになった。変革プロジェクトの推進役や、コーポレート案件で役員5~6人を説得にまわるような仕事だ。当初は難易度の高い仕事を割り当てられるのが誇りだったが、人事評価ではたいして評価されなかった。あとになって「権力を握る人の法則」という本を読んで思い知ったが、特定の業務の実行力が高すぎると、上司はその部下を使わないと成果が出せないので、部下が新しいポジションを狙うのを歓迎しない、という心理があるという

確かに、年々仕事の複雑性が増してプレッシャーも強まる一方、私自身がやりたい業務を理解してもらうにはかなりの労力が必要だった。私も多くの人と同様、「頑張っていれば、上司は見ていてくれる」と信じる方だったし、重要な仕事を割り当てられている事実にすがって自分を納得させてきたのだが、いつしか、責任感や献身性を利用される立ち位置からは抜け出したい、という気持ちが生まれてきた。

それまでは、「やりがいのある仕事ができれば、出世は求めない」と思っていたが、成長意欲が高いと、良くも悪くも、スキルは向上するし、視座も自然に上がっていってしまう。似たような案件を繰り返していると、「上司が●●だけでもしてくれたらうまくいったのに」と思ったり、上司の説得や教育にうんざりするときが来てしまう。次第に、「やりがいのある仕事をしたければ、出世したほうがいい」と切り替えた方が自分のためになるのではないかと思うようになった。

これは、成長意欲が高くて観察力がある人には、いつか訪れる分岐点だと思う。上司の行動を批判してストレスをためる優秀な人は多いが、「だからこそ、自分が上司のポジションに上がってより良い仕事をする」という選択肢を受け入れない人も多いように思う。人間と組織への観察力が優れていることは良い管理職になる条件だが、むしろストレスを増幅させることに使ってしまうのだ。まさに私はそういうタイプだったのだが、ストレスであちこち体を壊したりして、さすがに自分の中でも決着をつけることができた。

「ヒト・モノ・カネ」が整っていないところには限界がある

そんなこんなで、出世を頑張ろうという心づもりはできたのだが、強烈な動機付けで執行役員を目指そうと思ったのは部長になってからだ。部長になればなったで、できることは格段に増えた。チーム編成やプロセス設計、仕事の進め方など、課長だった時に「こうすればもっと良くなるのに」と思うことは、たいてい実行した。特に、社内のスタッフの人手不足に対して、手持ちの予算を付け替えて外部のパートナーを受け入れたり、業務支援ツールの導入を進めたのは効果が大きかった。部長になると、こういう規模でヒト・モノ・カネを動かすことはできる。上司も「結果さえ出してくれればいいので、どうぞ」というスタンスに変わっていく。

ただ、人員の増強や、事業部の中の部門の編成のような課題には取り組みにくい。特に難しいのが、採用枠を作って人員増強をすることだ。もちろん人手を足してくれという要望は上司にしてみるが、どういう理屈があればOKになるのか、まったくブラックボックスだった。どう考えても人手不足なのに、どうして人員追加ができないのか、やれる方法は本当にないのか、不思議で仕方がなかった。それ以外にも、部門の編成上の課題で業務がうまく回らないこともあった。例えば、ある部長が(成り行き上)部署を3つ兼務している状態になって、メンバーがうまく動けなかったり、いろいろな事情が重なって組織編成の歪みが大きくなった。こういう事業部単位の課題を解消するのは部長の力では難しい。

こういうレベルでの改善点は、経営に近いところで「ヒト・モノ・カネ」を動かすということなのだが、「ヒト・モノ・カネ」を全体最適のために調整するという仕事が放置されていると、自分とチームメンバーが骨を折って歪みを支えることになってしまう。執行役員が仕事を放置したり、仕事の出来が悪ければ、それを執行役員よりも格段に給料の安いチームメンバーが(大体のケースは善意で)支えざるをえないのが組織の現実だ。だったら、現場の実情を知っている自分が昇進して、真正面から取り組んだほうが、組織のためになるのではないか。それが執行役員を目指した直接の理由である。

「そんなに組織の課題が見えているなら、ご自分がリーダーになったらどうですか?」

ビジネススクールで「組織行動学」の講座を受けた時に、講師がこのような話をした。その講師の方も、若手のころに会社を変えようと奮闘したことがあるが、周囲のメンバーに「あなたがリーダーになってくれた方が自分たちは幸せになれるはず」といわれて、腹をくくったという。私自身は、自信がなくて昇進を断ったこともあるし、長いことリーダーになる覚悟が持てなかったのだが、この話がずっと頭から離れなかった。
自分のキャリアを振り返ると、若いころに全力でやった仕事が、たまたま雑誌で取り上げられるくらいには成果を出した成功体験があり、「突き詰めて全力でやれば、できるんじゃないか」という強固な思い込みができてしまった。実は達成感の中毒になっている気もしないでもない。それに自然に湧いてきて止められない探求心が合わさって、自分の行動を形作っているように思う。その気質を曲げられないとしたら、組織の中のどの役割が一番自分らしくいられるか。組織のリーダーに合う性分であれば、それを受け入れるというのが、もしかしたら周りのためにもいいのではないか、というのが私なりの結論だ。
実際、執行役員になってみたら、周りから「のびのび仕事をしている」と言われるし、自分でもこの役割が心地よく感じる。自分らしくいられるのが、たまたまこのポジションだったというと謙遜に聞こえるかもしれないが、先入観で選択肢から外さなくて良かったなというのが今の実感である。

▼この心境にいたるまでの葛藤について

いただいたサポートは、他のクリエイターの方へのサポートに使います✨