執行役員を目指した本音の理由【ダークサイド編】

執行役員を目指した理由は以前に書いたが、そこに書いていない本音も記そうと思う。綺麗事だけではない出世というテーマ、もちろん綺麗事も本音だが、リーダーを目指す恐怖を克服するには、負のエネルギーが原動力になったのも事実だ。

嫉妬しそうな自分を回避したくなった

もう7-8年前になるが、女性活躍というテーマの記事を読んでいた。そういうところに出てくるのは、海外でMBAを取得して経営コンサルティング会社に入っているような人が多かった。そしてプライベートのパートナーがいて子供を育てながら華々しい活躍をする、という事例が持て囃されていた時代だ。(もしくはパート職から立身出世したようなサクセスストーリーとか。) そんな記事は常々目にしていたのだが、ある日、はたと思った。「自分の上司にこういう華々しい人が着任する可能性はあるな」と。

私自身は課長職にはなったものの、自信のなさや恐怖を克服できないまま、それ以上を目指す覚悟ができない状態でくすぶっていた時期だ。

ここままいくと、巡り合わせでそういう女性の部下になる可能性がある。世間が羨むようなスペックを全て手に入れた女性のやりとげたい事を、現場で実行する役割になるわけだ。そういう人が更に輝くために泥臭い仕事をする、そんな風な未来を想像した。昔、男性上司のやりたい事を実現するために、面倒な仕事ばかりやらされていた時代の嫌な気持ちも思い出した。利用されてると思いながらも、その人からの評価を渇望して面倒な仕事をこなしてしまっていた時期だ。

もちろん、いずれにしても、別に上司はご本人の欲求に従って活躍しているだけのことだ。世間が羨むスペックを他人が持っていて自分が持ってないからといって、仕事上の立場とは関係ないのだが、平たくいうと嫉妬心が湧くのである。

でも、嫉妬心が湧くのは、単に自分に覚悟ができていないからにすぎない。自分が覚悟を決めて挑戦し、全力で頑張っても望む評価が得られないのなら仕方がない。それであれば、モヤモヤすることなく向き合えるだろう。他人のスペックなんか気にならずに、協力しあえるはずだ。自分が勇気が出ないからこそ、嫉妬心が湧いて苦しむことになる。嫉妬心は圧倒的な差がある存在には発生せず、小さい差があるだけの対象の方が燃え上がるという。恐怖心が克服できない一点が差だとしたら、この先きっと嫉妬心に苛まれるだろう。これから先の人生で、そんな展開にぶち当たる可能性が少しでもあるとしたら、それは嫌だ、と思った。突然、すとんと心が定まったのだ。

他人に嫌われる恐怖を塗り替えてくれたもの

ずいぶん前から新米管理職向けの本をいろいろと読んでいたが、その中によく書かれていたのは「これまでの同僚が部下になるときの疎外感」の話だ。友達感覚を変えられなくて利用されたり、嫌がられる指示が出来ずに自分が仕事をかぶる、という失敗事例が紹介されている。これは私にとっては一番恐怖心を掻き立てられるものだった。嫌われる恐怖を強く刺激されるのだ。

本には処方箋として「同じ職階の人と新たにネットワークを作ろう」と書いてある。確かにそれは有用だ。ただ、嫌われる恐怖感を克服できたのは、「権力を握る人の法則」という本に書かれていた話の方だった。

それは、人間は権力をもつ人を好きになる心理がある、というものだ。単に自分の保身のために好きになるわけではない。人間は権力の傘の下で安心感を感じたい欲求や、勝者に自分を同一視したい欲求がある。スポーツで強いチームのユニフォームを着て熱狂的に応援するのはそのような欲求の現れなのだ。

確かに自分や周囲の人の反応を振り返ってみても、嫌な上司の良いところをなんとか見つけようとしてしまう。「人としては好きなんだけどね」と枕詞をつけてしまう。そう簡単に権力者は嫌いになれないものなのだ。

更に、人間は命令されて嫌々ながらやった事でも、実行した後はそれを正しいと思い込もうとする。認知的不協和というやつだ。なので、部下が嫌がることを命令して実行してもらったとして、それで嫌われるわけではない。嫌なことを実行した、という事実が不快なので、嫌な事ではなかった、と後から塗り替えてくれるのだ。

これも確かに自分や他人にもあてはまるな、と思った。嫌がる人を何とか説得して実行してもらったのに、後からそれを誇らしげに語ったり、他の人に勧めたりする。そんな例も思い出した。

こうした綺麗事でない人間心理を知ることは、恐怖心の克服にとても役に立った。もちろんそれを知ってやりたい放題するつもりもないし、そういう性格であればそもそも悩んでいない。これを知って、自分の中にある恐怖心を克服するだけの事である。

動機と行動を切り離してもよいのでは

嫉妬するのは嫌だ、利用されるのはうんざりだ、こうしたダークサイドの動機を真正面から認めたのは意外によい効果があった。ドラマや漫画のヒーローやヒロインのように、動機は常に清く正しく美しく、無私の心で奉仕する、自分の欲求を剥き出しにせず、奥ゆかしく、でも素晴らしい実績を出すから、言わなくても周りが評価して引き立ててくれる、そんなドラマのような展開を期待してたことも自覚できた。そもそも、これだけ責任感を持って奉仕しているのだから、それが評価されないのは、自分のいる環境がおかしいのではないか。それでも、一縷の望みにすがって、自分の願う世界になることを期待してとどまっている。自分から勇気を出さなくても引き立ててもらえる世界を期待していたわけだ。今から振り返ると恥ずかしいのだが、「権力を握る人の法則」を読んでこんな自分に気付くことができた。

心境が変わったからと言って、特段性格がガツガツしたとか、嫌らしい雰囲気になったかというと、そこまではないはずだ。むしろ立候補する積極性が増しただけだと思うし、他人から見ると何も変化はないかもしれない。

それでも、自分の中では本当に大きな変化だった。おかげで、他人のスペックを気にすることもなくなった。どんな動機で行動しようと、行動の内容が真っ当であれば、それでいい。そんな割り切りが出来て、そこから、自分の望む処遇を掴むための行動をとれるようになった。やったことは「昇進のためにどのように自分を変えてきたか」という記事に書いたが、特段、いやらしいふるまいをせずとも、戦略的にポジションを狙うことができたと思っている。



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