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ワーケーション紀行文|熱海編

朝は早く起きて散歩でもしようと思うのだが、結局普段通りの時間になってしまう。

この日のフロントは僕と同じ年齢くらいの男性だった。朝食はまだやってるかと尋ねると、もちろん!と気持ちいい返事をもらえた。ここのホステルの朝食は少し変わっていて、道を挟んで向かいの干物屋から好きな魚を買ってきて、店先のグリルで焼くというセルフスタイルだ。

今日はサバのみりんづけにしよう。慣れない手つきで焼いていると、奥からホクホクのお米と味噌汁を持ってきてくれた。

今日はどちらへ?という他愛のない会話も、僕にとっては豊かな時間だ。なにせ、朝食を食べることもまばらで、ましてや誰かと食べることなんてほとんどない。

今日は、お寺の跡取りという共通点から知り合った水野さんという女性に街を案内してもらうことになっている。水野さんは、東京で編集者として働いていたが、実家のお寺を継ぐためにUターンし、お寺だけでなく、熱海のまちづくりに精力的に関わる素敵な方だ。

明け方まで雨だったが、ちょうど出発する頃には晴れ間が見えた。

前日のテラワーク(お寺でテレワークをさせて頂いた)に続いて、本当に至れり尽くせりして頂き、徒歩圏内のコンパクトなエリアに息づく濃密なコミュニティを紹介してくれた。

まちづくりの事業者からブロガーまで、様々な熱海人が集うコワーキングスペースは、昔からある商店の使われていなかった2,3階のスペースをリノベーションして作った場所だ。どこにでもありそうな商店の裏口を上がると、全く異世界に思える、吹き抜けの特徴的な作りのフロアがあった。

このコワーキングスペースを作った市来さんは、10年以上前に熱海にUターンし、ここのエリアを再生させた立役者だ。僕が滞在しているホステルのオーナーでもある。東京の集まりで一度お会いしたことがあり、久しぶりに再会することができた。数年ぶりの再会だったが、あっさりとした自然体の挨拶で、居心地が良かった。

「何号室にお泊まりで?」と聞かれたので部屋番号を答えると、音楽の部屋ですね。との返事。確かに、部屋の隅に古ぼけたレコードが置いてあった。聞くと、各部屋にコンセプトがあり、音楽の部屋以外にも色々あり、ストリップの部屋なんてのもあるそうだ。こうした細かなこだわりを聞けるのも嬉しい。宿に戻ったらレコードをかけてみよう。

コワーキングスペースを後にし、コーヒーを調達しに向かった。行きつけがあるらしい。短髪で髪を明るく染めた女性が手を振って出迎えてくれた。

カフェはスタンド形式で、夜はお酒も提供しているようだ。そこまで大きくない落ち着きのあるカウンターで、僕はブレンドコーヒーを、水野さんは「アヤコスペシャル」を注文した。「アヤコスペシャル」は、自分専用の常連ドリンクらしい。ピスタチオとシロップが入っているんだとか。

店長のマイさんは、元々首都圏の企業に努めていたが、昇進ルートに乗ることを提案されたタイミングで、学生時代からの夢であるお店を持つということを実現するため、仕事をやめた。やりたい店を模索する中で、熱海に滞在した際、熱海の人の日常があまりにも身近に、ありありと感じられたという。彼らの日常にいろどりを加えたい、と思い熱海での出店を決めたそうだ。

「1日に3回も立ち寄ってくれる常連さんもいるんですよ。」と嬉しそうに語る姿が印象的だった。確かに、仕事の合間の息抜きにちょっと立ち寄り、雑談しながらコーヒーを飲める場所はとてもありがたいな〜と、東京の家周辺を思い出しながら妄想する。

そんな話をしていると、通りがかりに「おはよう〜!」と笑顔で挨拶してくれるおじさんが通って行った。あの人は?と聞くと、「あの人がその常連さん^^」と教えてくれた。あまりに柔らかい笑顔だったので、なんだか胸にこみ上げてくるものがあった。最後にこんな風に挨拶したのはいつだっただろうか。

その後街の中をゆるりと歩いてホステルまで戻り、水野さんとはここでお別れした。「じゃ、ここからバトンタッチね!」と、フロントの男性におもてなしのバトンタッチをしてもらった。

朝に朝食を準備してくれた彼は、元々関西で働いていたが、今年の4月から熱海に移住してきたらしい。まちづくりに関わりたいと考え色々と調べたが、一番ピンと来たのがここだったそうだ。

この宿の成り立ちや、現在の取り組み、これからやってみたいことなどたくさんお話ししてくれた。オススメのご飯屋や居酒屋も教えてくれ、夜にぜひ行ってみてとのこと。しかし、ローカルなお店に一人で入るのはなかなか勇気がいるものだ。一人だからなあ…と呟いてみると「うーん…」と何やら考えている様子。こういう時に、明るく一緒に行きません?と言えれば良いものを、色々と考えすぎてしまってストレートに誘えない。

少ししてから、熱海への来訪者のリサーチをしている人がいるので紹介しますとのこと。詳細はよくわからなかったが、なんでもお願いしますと答えた。

その人との約束は夜だったので、それまでは仕事をすることにした。宿の近くに、かつて三島由紀夫も通った91歳のおじいちゃんが営む純喫茶があると聞き、そこに行ってみたりした。

夜、待ち合わせの時間にフロントに行ってみると、ショートヘアで快活そうな、腕に綺麗なタトゥーのある女性が待っていた。挨拶をして、少し話をしていると、僕と同じ歳らしいことがわかった。

「もしご飯食べてなかったら、熱海案内しますよ!」と提案してくれたので、オススメの居酒屋に行ってみることにした。旅先で地元の女性と飲みに行くなんて、おしゃれな小説みたいだな、なんてちょっぴり嬉しく思いながら、日が落ちてすっかり暗くなった熱海を散策した。

7席ほどのカウンターのみのこじんまりとした焼き鳥屋は、個性的な大将と女将さんがウリらしい。カウンターには、おそらく大将が書いたと思われる格言のようなものがいくつか貼られている。「どうせ生きるなら笑顔で!」みたいなことが書いてあった気がする。

その女性は、元々介護の仕事をしていたが、辞めて国内外を転々とし、熱海にたどり着いたらしい。いつかは自分のゲストハウスをやってみたいそうで、将来住みたいと思える場所を探し中なんだとか。熱海じゃなく?と聞くと「熱海はわたし的には住む場所じゃないんです。もーっと自然がたくさんあるところがいい!」と話していた。

熱海をもっと面白い場所にしたいとのことで、街に3日間立って、熱海に来る人をひたすら観察したことがあったらしい。そこでの気づきや熱海に来る人のことを教えてもらった。今の熱海の課題ってなんだと思う?と聞いてみた。すると、少し考えて、「面白い人にもっと出逢いたいなぁ」と答えてくれた。

熱海はカップルやグループでの訪問が多く、ゲストハウスならではの交流がなかなか生まれにくい。多様な価値観を持った人がもっと訪れて、街の人と交流して欲しいとのこと。

「わたし、面白い人と話すとめっちゃワクワクするんだよね!すごく刺激になって、自分も頑張ろって思えるんだ。」

嬉しそうに語る彼女に、それならワーケーションをもっと打ち出すべきだよと僕は言った。

一通り食事を楽しんでくつろいでいると、彼女が時計を気にしだした。どうしたのと尋ねると、今日は花火大会があるらしい。そういえば前日そんなようなことを聞いていたが、すっかり忘れていた。せっかくなので、二人で行ってみることにした。お店を出ると、女将さんが、楽しんでねと丁寧にお見送りをしてくれた。

熱海の花火は海から上がるらしい。砂浜や桟橋からみるのが熱海スタイル。人数制限をしているのか、開始直前に行ったが砂浜でゆったりできる場所を確保することができた。普段は30分間やるそうだが、コロナのこともあり、普段と同じ発数を15分間で打ち上げるらしい。花火の密である。

一つ目の花火が上がると、思わずその大きさと近さに息をのんだ。こんなに近くで花火をみたのは久しぶりだ。次々と花火が上がる。

最後のクライマックスの花火が止むと、静けさの中に波の音が聞こえた。空にはたくさんの星が見えた。

そういえば、大きな空がみたいと思って海街でのワーケーションを選んだんだった。本当に広くて、綺麗な空だった。

まさか砂浜で花火を満喫できるとは思わなかったと感謝の言葉を伝えて、二人で宿に戻った。商店街に面したこの宿のテラスはバルのようになっていて、行き交う人たちがふらっと立ち寄ることができる。地元の人やまちづくりコミュニティの人が集っていたので、一杯飲んでから部屋に戻ることにした。ここでも色んな人に出会えて、本当に豊かなコミュニティができているのだなと感じた。

結局閉店まで居てしまい、みんなとお別れして部屋に戻った。階段を登る途中で、焼き鳥と花火に付き合ってくれた子に、しっかりお礼を言わないままお別れしてしまったと少し後悔した。

まだ寝るには早かったので、レコードをかけてみた。部屋にやんわり染み込むような優しい音で、ジャズが流れた。もちろん、レコードで曲を聞くなんて初めてだ。

外では先ほどまでの賑わいが嘘のように、静かに鈴虫が鳴いていた。

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