今日の空気がうまかった

坂本龍一が71歳の誕生日に出したアルバム『12』は、日付が曲のタイトルになっている。曲を作った日が、そのままタイトルになっているのである。まるで日記を書くように、その日の音楽を記録していったのだそう。それもほとんど一筆書きで。坂本龍一が過ごしたある一日の感性が、そのまま曲として譜面に写され、保存されている。

かっけ〜〜〜〜。洗練されている。

翻って自分の生活をみれば、我が脳内は情報・タスク・損得勘定などに埋め尽くされて、感性のかけらもはたらく隙間がない。

たぶん、普段はそれでいい。
だけど、ふとした瞬間に、切ない気持ちになるんだ。実は毎日、取り返しがつかないほどに勿体無いことをしているのではなかろうかと。
美しさが際限なく広がる世界が目の前にあるのに、小さな部屋に閉じこもって完結してしまっているのではなかろうかと。

今日はその「ふとした切なさ」を感じたので、気分を変えて外に出て作業をすることにした。
といっても近所のカフェだけど。町屋を改装した、天井が高くて、小さな庭がある気持ちのよいカフェだ。

本を読みながら、東ティモールの深煎りコーヒーを1時間半くらいかけて飲み干した。

外に出ると、少し雨が降ったようだった。土や草木が雨水を吸って放つ、独特の自然の匂いが空気に混じって薫っていた。外は、来たときよりも寒くなっていた。きゅっと体が縮こまるような寒さが、なんだか嬉しかった。

「今日の空気うめえ。」と思った。

チャリで走りながら、何度か吸って吐いて、空気を味わった。胸がスーッとして気持ちよかった。サウナの交互浴をしたあとみたいなかんじだ。

町屋が並ぶ細い路地、少し空気の抜けた自転車のタイヤが道路を踏んでじゃりじゃり鳴らす音が、しんとした冷たい空気に響いて心地よかった。

細い路地の向こう側から、おそろいのウルトラライトダウンを着たじいさんとばあさんが歩いてきた。丸まった背中もおそろいだなと思った。なんだか尊いと思った。

「あー、今、この瞬間だけは、坂本龍一になれてるな。」と思った。

この瞬間だけは、坂本龍一と同じ空気を吸っているんだ。
この瞬間だけは、僕も坂本龍一であり、ブッダであり、道元なのだと思った。

こういう瞬間が、10秒でもあればいいんだ。

ひらけた道に出ると、空もきれいだったので、写真も撮った。

これだけで、今日は間違いなくいい日になった。


このまま終わってもいいが、雑考を。
禅が「マインドフルネス」としてビジネスの文脈で編集され、集中力や思考のキレを高めるエクササイズとして広まって久しい。
脳科学の研究では、マインドフルネス瞑想によって、脳の「島」という部分が育って大きくなることが明らかにされている。まさに、脳の筋トレと言えるだろう。

まあ、それはそれでいいんだが、やっぱり「そうじゃなくね〜?」という気持ちがある。

目的ありきでやる瞑想は、目的ありきの世界でやる瞑想でしかない。禅の世界とは全く別物だ。道元が「只管打坐(しかんたざ)」といって、ただ坐る。坐った瞬間に涅槃である。といって語った世界線とは、どこまでいっても重ならない。

目的があった方がそりゃわかりやすいし取り組みやすい。
でも、とりあえず坐って、この空気を吸う。音を聞く。体を感じる。それで十分気持ちいい。満足できる。目的意識があると、かえってそういう気持ちよさが掻き消されてしまうように思う。

ややこしいことは考えず、もっと気楽に、ただ坐る。ただ呼吸をする。
そういう瞬間を作ることの価値が、もっと広まったらいいなーと思う。


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