見出し画像

TOEICクロニクル

今となってなぜ受けるのか分からなくなってしまったTOEICを受験するため、新宿西口へと向かっていた。

試験会場に向かう途中、証明写真機に立ち寄り受験票の写真を撮り、プリントした。コンビニでハサミとレッドブルを買い、ハサミで証明写真を切り取り受験票に貼りつけた。歩きながら、車にガソリンを注ぎ込むようにレッドブルを体に流し込んだ。昼食も済んでいる。時間にもまだ余裕がある。極めて順調だ。朝取り組んだ模試では、目標点を超える結果が出ていた。

「今日はいけるかもしれない。」

根拠のない自信が今日はあった。

試験会場に着き、簡単な瞑想を行い心を落ち着けた。スニッカーズをかじった。これで、脳の体力も問題ないはずだ。あとは落ち着いて取り組めば、自己ベストを更新できるはずだった。

試験が始まった。リスニングからだ。しかし様子がおかしい。音声がうまく耳に入ってこない。何となく音がぼやけて発音が掴みにくい。一体何が起きているのだろうか。

後に知ったことだが、TOEIC愛好家の間では、後ろの席は不利だということは周知の事実らしい。僕の座席は、200人規模の会場の右端最後列だった。それを知らない僕は「なぜだ。うまく聞き取れない。まずい。」と試験前の落ち着きから一点、頭の中があせりの感情で埋め尽くされていった。その間にも、音声は無慈悲に進行していく。一度焦るとどんどん後手に回る。3問目あたりでもうダメだと絶望感に包まれ、このまま帰ってしまおうかという考えが頭をよぎった。

しかし僕はもうすぐ27歳になる大人だ。自分で自分をコントロールする術は身につけている。焦る自分を俯瞰して「焦るな。落ち着け。」と言い聞かせた。そうして少し平静さを取り戻すと、先ほどより音声が聞き取れるようになってきた。ペースを取り戻した。高校受験から数えれば、すでに10年以上もこうした試験のプレッシャーと闘ってきたのだ。この程度で慌てる自分ではない。数多の受験戦争を勝ち抜いてきたのだ。僕が考える試験の本質は、いかに準備するかということではない。本番当日、いかに弱い自分に打ち克つかということなのだ。

…と、思考が捗り、また数問聞き飛ばしてしまった。しかし思考というのは不思議なもので、「余計なことを考えるな。集中しろ!」と思えば思うほどに、良からぬ思考が浮かんでくる。高校受験を控えた中三の冬、「試験中にエッチな考えが浮かんだらどうしよう。」という不安に苛まれていたことを思い出した。なぜだか分からないが、大事な試験であればあるほどに、余計なことばかり浮かんでしまうのだ。「余計なことを考えたらダメだ。」と思うと、今度は「余計なことを考えたらダメだ!」という思考で頭が埋め尽くされてしまう。思考の無限連鎖だ。こういう思考は一度出てきたら滅することはできない。付き合わずに傍に放置しておくのが吉である。

京都大学の入学試験の国語には、漢字の書き取り問題があった。10/100点の配点があり、点数を稼ぎづらい京大の入試においては、ここを取りこぼさないことは合格の必須条件であった。僕はその漢字書き取り問題を間違えた。トイレで正しい漢字を検索して、何で思い出せなかったのだと絶望的な気持ちになった。トイレの壁を殴ったのは、後にも先にもあの時だけだろう。

だけど結果的に早稲田に入れて良かったとも思う。3ヶ月ほど前、久しぶりに早稲田にいくと、卒業時には工事中であった「早稲田アリーナ」という大型体育館が完成していた。巨大なホールを囲む観客席の一つに腰掛け、錚々たる早稲田の卒業生を思い浮かべながら、自分も将来何かの分野で大成して、そこに名を連ねて未来の早稲田生に尊敬されている姿を想像した。

アリーナといえば最近奇妙な夢を見る。ふいにそのイメージが僕の脳内を覆っていった。

僕は巨大なスタジアムの通路階段を登っている。空は暗く深い紫色に覆われている。振り返って見下ろすと、はるか下に緑の芝生のコートが見える。おそらくサッカーコートだろう。コートを見下ろすと恐ろしい気分になるのは、このスタジアムの客席がものすごい傾斜でそそり立っているからだ。階段を一つ踏み外すとあっという間に転げ落ちてしまいそうで、想像すると全身の毛穴がギュッと縮まるような気がした。その階段を、ひたすら上へと上がっている。なぜ登っているのかは分からない。

最上階に近いところまで上り切ると、スキージャンプの滑走路があった。雪は降っていない。緑の人工芝の上を滑走するスタイルだ。僕は、スキー板を履いて、その滑走路を急降下する準備をしていた。なぜ飛ぶのかは分からない。しかし、滑走路を前にして、飛ばないという選択肢は用意されていないようだった。男だろ、飛べ。と周囲の皆が無言の圧力をかけているように感じられた。飛ぶしかなかった。そのプレッシャーの中でも、僕はできるだけ遠くに飛ぶことを目指していた。遠くに飛ぶことこそが正解で、それ以外は全て失敗だった。他の選択はない。滑走路を前にして、誰が決めたわけでもないはずなのに、できるだけ遠くに飛ぶことが当然のルールになっているようだった。

「失敗して転べば怪我どころじゃすまないだろう。」という気持ちと、「なんだかんだ今までもやってきたじゃないか。自分ならできる。一番になれるんだ。」という自信が入り混じり、独特の高揚感があった。そして意を決し、息を止めて滑走路を滑り出す。どんどんとスピードが上がる。ほおに当たる風が痛い。少しずつ傾斜が緩やかになる。滑走路の終わりが近づいてきた。いざ離陸ーーー

いつもこの辺りで夢は終わっていた。

気づくと僕は、新宿西口の路地に立っていた。あたりはほとんど夜の暗さになっていた。ふと空を見上げると、大きな雲がいくつかの紺や紫色で塗り重ねられ、その雲の下を、紅色の曲線が筆でなぞったかのようにはっきりと走ってどこまでも続いていた。その力強い美しさに思わず息を飲んだ。

その時、つむじ風が開いたシャツの内側へと吹き込んできた。風は、僕の体を暖めるでも冷やすでもなく、ただただ僕の体を包み込み、やわらかい綿のようになって僕の周りにまとわりついているように感じられた。僕は立ち止まり、その感覚を楽しんだ。家にはまだ、帰りたくなかった。

しばらくはこうして、何も背負わず、どこにも属さず、何にも縛られない、自由な自分でいる時間を楽しんでいたかった。

僕はもう、なぜ新宿にいるのかさえ思い出すことができなくなっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?