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まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(後半)

1991年 市民から出演者を公募し、千葉市政70周年記念市民ミュージカル『夢のワインランド』を成功させる。

このミュージカルのオーディションを受け、私のクラスメイトの女子が出演した。その子から「先生の事務所にエロビデオがあったよ。」とニコニコしながら告げられ、まだウブかった私は大ショックを受ける。でも私も実は、義行の事務所でエロ本を発見したことがあった。大の大人がそういったものを所有しているのは当たり前のことだけれど、実の父親の好きなエロジャンルを知るというのは、うら若き乙女にとっては辛いものだったよ(涙)

この公演を機に、市民オペラや青少年ミュージカルが千葉市で行われるようになったのは、義行の「千葉の文化を変えたい」という強い思いがあったから。劇団がその「核」となったである。

以降、千葉市民・県民参加型のオリジナルミュージカルを次々に製作。


生涯大学の講師として地元学を教えたり、50代後半からは千葉大学教育学部の非常勤講師として表現学を教えていた。


また『千葉氏顕彰会』なるものに中心になって関わっており、亡くなる少し前は2016年11月に行われる予定だった『第一回千葉氏サミット』を成功させるべく、もう限界だった体を動かしていた。

そう、義行は全てを一人で抱え込みこなそうとするところがあった。多忙とストレスのはけ口は、酒だった。


2016年 6月初旬。「胸が苦しい」と妻に訴えた。

その一ヶ月くらい前から体調はかなり悪かったことが、後に見た義行の携帯の、愛人らしき人に向けたメールから判明した。

病院嫌いの義行は、もうほとんど身体が機能していなかったのに「何か大きな病気が見つかったら怖いから」という理由で、友人である整形外科の先生の所へ、なんと自転車で行ったらしい。

結局、限界と感じたその6月初旬、妻・能里にSOSを出し大病院へ。

即入院となった。

もう歩くのも辛いらしく、「入り口に置いてあった車椅子に素直に座った」と能里は笑って私に話した。

心臓が一番おかしく、肝臓も腎臓も全部悪かった。

色々な検査も出来ないほどの心拍数で、入院した翌日にはICUに移り、人工呼吸器が着けられてしまった。

一ヶ月ちょっとの入院だった。

途中少し回復傾向にあったものの、ガクンと落ちたらもう駄目だった。


たくさんの人に囲まれてきた人生だったけれど、最後の一ヶ月、一緒に過ごしたのは家族だけだった。


義行の歴史、ざっと書いたが、やっぱり後半は少し気持ちが辛かった。

本当に話したいことはヘンテコ家族のエピソード。

これから書くのがとっても楽しみ。

#家族  #エッセイ  #コラム  #劇団  #劇団ルネッサンス  #千葉  #父の話







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