見出し画像

交換ノートと、頭の良くないカピの話

小学一年生になった頃、すれ違い生活の中でもコミュニケーションを取ろうと、義行は私との交換ノートを提案して来た。

平仮名を覚えたての私は喜んで応じた。

画像1

画像2

画像3

それにしても「声が低くておっかない」って、今の私も言われていること(汗)

画像7

画像4

とっきどき、能里も書いていた。


日記を読み返すと、あのボロ屋での家族の日常が、まるで頭の中で8ミリビデオが流れているかのように再生される。

日記によると小さい頃の私は、まるで犬ころのように義行に懐き、愛され、思うがままに嬉しさや寂しさをぶつけることが出来ていた。


犬ころと言えば、ある晩酔っ払った義行は、家族の許可も無しに白い小犬をもらって来た。

紀州犬と柴犬の雑種だったその子犬は、「大川家で飼う犬は先祖代々『カピ』という名前なのだ」という証拠も無い理由で、そう名付けられた。

初め動物嫌いだった能里は、カピの破茶滅茶な動きに相当参っていたようだった。

縁側でずっと居座る猫に、乾電池を投げつけようとしたり、近所の塀に居た蛇を掴み放り投げたりと、動物への接し方がちょっと独特な能里であった。

まだ小さいからと家の中で飼い始めると、六畳四畳半の狭い家中を、家具にぶつかりながら白目をむいて駆け回り、こたつのコンセントは食いちぎられた。

なのでそんな奴は、数日で外に追いやられた。

カピみたいな薄汚れた白色の犬小屋は、歩いて30分ほどの轟町に住む義行の父・種義じいちゃんのお手製。

種義は名は体を表していて、種を蒔き、家の庭で畑作りをしていた。そしてカピの散歩を時々してくれた。

カピは多分、頭があまり良くなかった。

美顔なのだが、散歩をすると誰彼構わず舌を出してハッハハッハと飛びつこうとするし、他の犬のウンコを見つけると嬉しそうに背中に擦りつけたりしていた。

でも私はちょうどその頃、生まれるはずの妹が天国へ行ってしまい寂しかったので、カピが来てくれて本当に良かった。

画像5


画像6

これが交換ノート最後のページ(涙)

交換ノートには、少しずつ興味の対象が父親ではなくなって行く様が記されており、それに対して寂しがる義行のつぶやきが切なくて、読んだ時そこら辺にあった柿ピーを、思わず口に放り込んだ。

始めた頃は毎日のように更新されていた日記は、馴れ合いのカップルのメールのように徐々に感覚をあけ、三年生の途中まで続いたようだ。

それにしてもこのノートが存在してくれて居て良かった。

こんなにも愛し愛されていたという事実が、私はあまり愛されていなかったという間違った思い込みを暖かく満たしてくれたのだから。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?