見出し画像

サウンドスケープ 消える音の原風景

        ~なくなっても残るもの、それは絶対なくさない。~

おはようございます。お元気ですか?

今日は矢張り自分の感じていることを書いてみようと思います。
いつか自分の歴史についても書けたらと思っているのですがとりあえず、ちょっとだけ。
私はカリフォルニア芸術大学(CalArts)で現代ピアノを勉強していました。ピアノにマイクを入れたりグラフィックになっている新しい楽譜を弾いたり主にアメリカの現代曲を勉強していました。そのうち、この後どうなるのかその勉強がしたくなり運よくイギリスの大学院に呼ばれることになったのでそこでNew VirtuosityとInteractive Computer Musicというリサーチをしました。20年以上前ですね。
そのころ、ヨーロッパではサウンドデザインに作曲家たちが夢中になっていてサウンドスケープやサウンドインスタレーション、サウンドスカラプチャーなどのを新たな音楽世界を模索していました。当時お世話になっていた先生方は今でもこの分野ではパイオニアとして活躍されていますが、あのころはまだ学会でしか話されていないようなちょっとマニアックな分野だったと思います。 ただこの時の勉強は自分の基盤になっていると思います。 新たな芸術には哲学が一番大事なんですね。 だからヨーロッパに行けとアメリカの教授たちからアドバイス受けたんだと後で思いました。

 音楽とは何か。伝統って何か。時間と空間のコンセプトとは何か。 コミュニケーションとはつまり何なのか。

音楽家だけでなく、舞踏家、作家、役者、哲学者、一緒になってのディスカッションが朝から晩まで続きます。
  ” 伝統っていったら必然的にシェークスピアって思っちゃってた。” のアクターの言葉に ”え??当然、バッハでしょ!” とすかさず言い返すミュージシャン。 夜はキャンドルに色々な地方から集めたワインとチーズで明け方まで話し合います。 イギリス人、スコットランド人、アイルランド人、イタリア人、スペイン人、ギリシャ人、フランス人、ドイツ人、、、。サッカーの話をしていたのにそこから戦争の話になっていったり、なぜイギリスだけ食べ物がまずいのか真剣に話し合ったり、、、。 懐かしいな、、、。

そして
国が違っても、あの時の友達みんなと共通していたのは自分の育った町を愛していた事。 

ランドスケープが壊されれば、当然音の原風景も失われていくのです。
そして、その音への思いは個人の記憶、経験、生活とつながっているので
あの時、あの場所で、あの人がいたからあった音の大切さを思うのです。

だから、なくなる豊島園のサウンドスケープ。今日も地元だから聞こえる音を探して録音しながら歩きます。







この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?