人生の目的が『人に自分の言うことを聞かせること』の切ない結論

自分の心のままに怒りをぶつける

理由は判明してる。

誰だって人生うまく生きていきたいし
揉め事も少ないほうが良い

だけど人と生きていこうと思うと必ずうまくいかない事にぶつかる。

そんなときどうするか-----------



学校の勉強も
部活や習い事も
いろんな経験も全部
こんなときどうするかの為の
学び=攻略法になってる。



その経験や知識は
感情とは関係なく、人にずんずん降り積もるもの。
それが気が付かないうちに自分のものになる。


だけど人間が持ってるもので
もっと手っ取り早く取り出せるものがある。

それが感情。
気持ちは言葉にのせて伝えることもできるけど
もっと速度を速めて出すこともできる。
なんなら考えなくても出せる。
とても優れたものである。

ただこれは一方通行で使う場合と双方向でのやりとりでは扱い方が違い、テクニックがいる。
コミュニケーションを必要とされる場は、
学校の勉強と同じで、難易度はどんどん上がっていく。
だから、感情も学ぶことが大切。

一言で【コミュニケーションの取り方が大事】と言っても、感情の出し入れを怠ると計算間違いを起こしてしまうこともある。

海外では演劇を教育の一環として学ぶ所もあるようてす。

私自身も10代の頃はコミュニケーションに難があったと自覚していて、社会に出て苦労した覚えがあります。
それを多少なりとも楽にしてくれたのが、演劇(お芝居)です。


もう世間ではバレバレなので私もどこかで聞いたことがある言葉を言わせてもらうと
【世の中の大人が皆正しいことを言うと思ったら大間違い】

すごくくだらないと思う先入観の一つ
「年上の言うことは絶対」
「大人は偉い」
「先生は間違わない」
「〇〇←(肩書き)は偉い」

思想と云われかねなくもないけど

自分にとって正しい、信じたいことって

万人に共通するものじゃなくていい


その判断は相手が握っていて良いでしょう。
しかも、言う側も必ず正しいことを言ってると信じ込まず相手とコミュニケーションを取ってく。
間違えたら、謝る。そして認める。


自分の言うことを聞かなくて怒る大人!
数多く見てきた。
正直、私自身にもそういう過去がある。
愚痴を言うことだってあった。

謝るのは若いほうから?
未熟だから謝る?


情けないことです。


コミュニケーションを怠った結果陥る
最悪のシナリオへの第一歩。
怒りを相手にぶつける。

自分より相手が下だと
自分の話を聞くべき相手だと
やってやってるんだという意識がそうさせるのか。。。

じゃなきゃ絶対にしない行為
それが、相手に対して怒る。

手っ取り早く自分の不快感を相手に分からせようとする。
初対面の人にはしない。
先輩にはしない。


●直接威圧的態度を取ること
または
●間接的(面と向かってではなく)に
威圧的、高圧的な言動をとること

これ、理解が出来ない。


コミュニケーション放棄


若い人の専売特許のごとく言う、
自分より若い人へ向けてのその態度に
ほとほと嫌気が差しています。

私は絶対にそんな年長者にはならない!

私にも尊敬している年上の方々がいます。
頭の中に浮かんでくるたくさんの尊敬する方々は、どれだけ考えても記憶を辿っても、高圧的・威圧的だと感じる一面もなく、
色んなシーンで、色々な形の導きかたをしてくれました。
何よりダメなことはダメ、良いと思うことは素直に良いと表現されていました。

どんなものにも相性、好き嫌いはあるけれど
初めから、
違いがあること、
間違えること、
完璧ではないことを念頭に置いておけば
次は融和性を図れる。

初めから排他的であると
自分にとっても相手にとっても
そのスタンスは一生変わらないまま。


若いから、経験がないから、出来ないから、知らないから、やらないから、
歳だから、女だから、男だから、
上手いから、下手だから、
社長だから、新人だから、


良いものをいいと言えて
だめなことをダメですとちゃんと説明できるそんなコミュニケーションが取れる人間になれるよう、私はこれからも学び成長していきたいと思ってます。








本当のコミュニケーションを取らずに形作られた関係は
閉鎖されていく。。。



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