今早急に必要な力と、環境

 私が気が合う先生仲間と話しているといつも出てくるのは、「受け身の子が多い」という話。本当に今増えている。学力はさほど伸びていないけれど、更に自分で考え判断することが困難な子が増えている。否、どんなにクリエイティヴな子でもそれを発揮する場が全くなく、むしろそれを押さえ込まれる状況がある、ということに最近本当に疑問を感じている。日本の教育は一体どんな人を育て、どんな未来を描こうとしているのか。教育改革や「自主的な」という言葉ばかりが先行して、全くその気が見えてこない。
学力も考える力も行動力もない人を育てて、一体何が産まれるというのか。

 残念ながら、それを作り出しているのは文科省だけではなく、社会、学校、家庭、全ての場所だ。私たちの中に未だ残ってくすぶり続けている「言われたこと失敗せずにすれば良い」「みんなと同じ様にできればOK」という感覚が次世代にも迷惑をかけている。

 どこから聞いてきたのか、中学生だけでなく最近は小学生からも「塾に行かないと、成績が落ちる」と聞かされる。私は丁寧に話す。「塾に行ったら自動的に成績が上がるの?」「いや、僕たちがちゃんとやらないと」模範的回答。でもその言葉を本当に考えて自分ならどうする、というところまで考えているとは思えない。言われた通りに言っているだけだ。

 私の教室では、幼児から中学1年生まで英語を教えている。以前は2年生や3年生も見ていたのだけれど、受験まで手取り足取り教えることに違和感があり、子どもたちが「自分に必要なものを自分から取りに行く」ことも意識して、中学生は1年生の間に単語の覚え方や長文の読み方、英語の感覚を持ちながら中学英語にも対応していくことを伝え、送り出すことにした。
後の2年はその応用をして過ごせば良いということ。

 授業中に話を聞かない、集中出来ない子に関しては「今自分から取りに行く練習しよう」と言う。人が何か口に入れてくれるのを待つんじゃない。欲しいものを取りに行こう。私は今までの経験上、あなたたちに必要だと思うものだけを、ここではたくさん投げる。だから、好きなだけ持って帰って。そしてここを、自分の弱点や自分に合った学習法を見つけ出す場所として大いに活用して欲しい。それが出来たら塾に行かなくても夜中まで勉強しなくても良い力が備わるから。だから全部は教えない。自分で見つける。質問にはどんな質問にも何度でも答えるから。それは保証する。

 そんな環境に慣れていない子どもたちに、なかなかすぐにその言葉は響かない。でも言い続けることで、子どもたちの中からポロッと本音が出る。
「僕、集中出来ないんです」
それでいい。
 自分のことを知って、それにどう対処していくのか、人に助けを求めたっていい。一番辛いのは、周りに合わせて自分が気になっていることに蓋をしてごまかしながら生き続けること。自分を見つめて、弱音吐いて、方法を探して、また歩きだそう。

それが「生きる力」だよ。
 

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