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名刺がわりに英語の訛り

 以前シンガポールを旅した時、タクシードライバーの方が中国っぽいアクセントのある英語で話しかけてきた。かなりきついアクセントだったけど、話している間に彼の言っていることがほぼ100%分かるようになった。
「フェイウォンを乗せたよ。つい数週間前にね。君が座ってるまさにそこに座ってたんだ」
 その頃フェイウォンの「恋する惑星」を観て憧れていた時だったので、とんでもなく素敵なニュースに胸が踊った。

 同じくシンガポールでインド出身の方のタクシーに乗ったこともある。家族と一緒に乗ったので、英語が話せる私は必然的に運転手さんの隣。このタクシーのデコがすごくて、ダッシュボードに写真や小物がてんこ盛り。思わず私は「これ、あなたの家族?」と尋ねた。そこから彼のノンストップおしゃべりが始まった。
 インドアクセントの強い英語…正直1mmもわからない。どうしよう。めっちゃ笑いながら楽しそうに話している彼の顔を見ながら、なんとか聞き取れないものかと私も引き攣った笑いで頷きながら全力でリスニングしてみた。すると...数分したら彼の英語パターンがわかってきて、だんだんぼんやりしていたモザイクみたいな画像がクリアになっていく感じで彼の言っていることが意味を持ち始めた。彼は家族の話をしていた。一人一人の子どもの話をしていたのだ。

 「英語の発音が悪くて全然わからん」なんて言ってる人もいるけれど、会話ってそもそも「聴きたいかどうか」「何がなんでも聴く必要があるかどうか」じゃないかな。そう思った。

ネイティブよりも多い英語第二言語人口

 世界の英語人口は15億人と言われているけれど、英語が母語のネイティブはその中のたった20%程度。もう実際体感している人もいると思うが、私たちが勉強や仕事で関わる人たちは非英語ネイティブばかり、ということになる。私が今まで出会ってきた人たちも、韓国・中国・スイス・デンマーク・ロシア・インドネシア・ブラジル・オーストリア・ドイツ・リトアニア・ウクライナ・シンガポール・イスラエル・パキスタン・モルディブ…と様々。英語の便利なところは、その全然違う国から来た人たちと普通に話せること。さながらドラえもんのホンヤクコンニャクだ。

 そして当たり前に、その全ての人たちの英語にはそれぞれの国と地域のアクセントがあった。私はその言葉を聴くのが大好きだ。その人の歩み、歴史がこもったその言葉から、その人の温度が伝わってくる。そんな気さえする。

カタカナ英語恥ずかしい

 日本人の方にとっての「英語が話せるかどうか」の基準って、その人が発音も雰囲気(身振り手振りでネイティブっぽい)も、また文法的にもきちんと正しく話せているか…などなど、ほんと厳しい。国民総厳しい英語の先生みたいだ。中高生時代に先生にされてきたことを、腹いせにみんながお互いやってるみたいなイメージね。
芸能人が頑張って英語話したり歌ったりしてても「あの人の英語力も大したことないよね」なんて言っちゃったり。
 また、書店の語学学習書ベストセラーには必ず「この英語、間違ってる」「ネイティブはそれ、使わないよ」みたいなのがランクインしてる。そんなの流行りすぎたら、怖くて英語使えないよ。

 それはなぜだろう...と考えていたけど。ある時、今日本で売れているものは「人に馬鹿にされない」ものだと聞いたことを思い出した。要は「人に馬鹿にされない」ことを自分の最優先だと考えている人が多いってこと。
多くの人が苦手意識を持っている「英語」に関して、馬鹿にされる前に馬鹿にする。そんな気持ちが働くのかしら、とも勘繰ってしまう程。

 「間違ってはいけない」「正しくなければいけない」と言われ過ぎて、英語にもそのルールが適用されているんだろうな。ネイティブみたいな発音に憧れるのは良いけど、苦手意識や間違ってはいけない意識に覆われていては正しい英語を覚える心の余裕もなくなる。今多くの日本人の上にこの暗雲が垂れ込めているので、誰も英語が上手にならない。そして自分は英語習得を諦めているにも関わらず、英語で話そうとしている人や積極的に英語を使っている人を笑ったり変わり者扱いし、間違い探しをする。

 カタカナ英語、日本人英語を笑ったり恥ずかしがったりする人もいるけれど、私は英語のアクセントってその人の年輪みたいなものだって思ってる。英語を聞いたらこの人のバックグラウンドが分かる、みたいな。
 私の英語はアメリカとニュージーランドアクセントもちょっとありつつ...ベースはアジア。アメリカ人の友人にそう言われた。まさにその通り。子どもの頃はアメリカの教材で習ってるからアメリカ発音の影響は大きい。ニュージーランドに1年住んでいた時の名残と…一番長く住んでいる日本。私が長くお世話になった先生は日本人だったし。そんな私の歴史が言葉に乗ってるなんて。素敵なこと。

 学生時代、一番海外に行ったり来たりして活躍していた教授の英語は私にはカタカナに聞こえた。それでもスムーズに海外の大学の先生方とやりとりをする姿は、かっこ良かった。「カタカナ英語カッコ悪い」って言って英語を全然使わない人より、ずっとカッコ良かった。

 そんな私たちに朗報。こちらの動画を是非ご覧ください。
めっちゃ興味深い。日本人の英語、海外の人にはどう聞こえてる?

日本にずっといて、日本人同士でああだこうだ言っている間にも英語のニーズは高まってる。何より英語が話せたらほんとに楽しい。

 私は英語を学ぶことで世界が広がって、この小さな自分の周りの「日本人の英語恥ずかしい」とか「ちゃんと言えてない」から早く解き放たれてくれ、そう思いながら英語を指導している。
「間違ってもいいんだよ」ではなくて「間違いなさい」と言っているのはそのため。私は間違っても絶対彼らみたいに笑ったりしないから。そして変な間違いをすることって実は自分の殻を破って英語の世界に招かれる近道だったりするから。

 日本人にとって、英語は自慢出来る「スキル」であり「ファッションアイテム」なのかも知れない。いわゆる贅沢品だ。
 でも目を外に向けると「生きるために、学ぶために、英語を話す」人たちで溢れてる。その人たちは「アクセントが」とか「間違いたくない」なんて言う前にまず話してる。話しながら整えてる。ダイヤの原石を話しながら磨いていく様に…その英語はどんどん磨かれていく。私たちが小さな世界で足を引っ張り合っている間にも、世界ではそんなことが起きている。

 だからね、私は皆さんの英語学習を応援しているんだ。この小さな世界を飛び出して自分の殻を破って、目の前がパァッと明るくなる感じを味わって欲しいから。人のこといろいろ言わなくても、人と比べなくても、あなた自身の中に素晴らしいものがたくさんあるって気付いて欲しいから。

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