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「5分だけですよ?」5分小説『冬眠中のピアノ曲』

冬の日。

私が家のコタツでぬくぬくしていると、どこからか踊るように飛ぶ蝶が現われた。

一瞬妖精かと見違えたが、そのくらい綺麗だ。

いきなり押しかけてきたその美麗な蝶は、なんだかえらそうに言う。

「あなた、ピアノはできて?」

「ええと...弾けた頃もありましたけど。」

私は自信なく答える。

また弾けたらいいな、とはよく思うのだけど。

「はあ...まあ、いいわ。

あなた、私と一緒に来なさい。」

と言うなり、虹色の蝶はドアをすり抜けて消えた。

なるほど。そうやって入ったのか。

どうせ暇だったので、私は蝶について石畳の道を征く。

両手にそびえる家々の窓から、オレンジの光がもれている。

でも外の空気は凍てつくようでうっすらとだけ白い霧も出ている。

厚手のコートを着てきたのだが、それでも寒い。

「ねえ、どこまで行くの?」

「すぐ分かるわ。」

蝶は氷のような冷たい声で即答する。

なんだか、せっかくついて来たのに邪険にされている気がする。

それに、蝶は人通りのない道を選んでいるようで、だんだんと道は荒くなってくるし、何回も階段をおりたため日は差し込みずらい。

蝶はひとつのドアの前で不意に止まると、こちらを振り返る。

「さあ、この先よ。」

「え?私から入るの?」

この先に何があるのだろう?

黒い梶の木のドア。

その上にあるボロボロの木の看板には、『ネムリソウ』の文字。

もしかして、このお店の中に、なにか恐ろしいもの...人さらいとか、殺人鬼とか、そういうのがいるのだろうか?

この蝶が私を騙して、連れてきたとか?

ドアひとつあるだけなのに、想像は止まらない。

「...いや、あなたから入ってよ。」

「どうして?」

蝶の言葉は相変わらず冷たい。

そのうえ不思議な圧があって、そうせざるをえない気がしてくる。

...私は胸の前で小さくお祈りをすると、ドアを開けた...

ドアの先は、不思議な酒場だった。

暖色の木で出来た店内。石造りの暖炉と飴色の炎。食欲をそそる肉とあぶらの匂い。賑やかで柔らかな笑い声。

そしてなにより驚いたのは、お客さんだ。

ジャケットを着たくまに、紳士服のかえる、ダッフルコートの若いトカゲ。

「…...冬眠中では?」

この問いにはくまさんが答える。

「あんたここは初めてか。

ずっと寝てたら暇になるだろ?

だからたまにはこの店で集まるのさ。」

「あんたがピアノ奏者さん?」

不意に、近くにいた賢そうな顔のねずみに声をかけられる。

キッチリした服装からして、この店の人だろう。

「そうよ。」

蝶は私をさえぎるかのように鋭く声を出す。

「ではこちらへ!お客さんがみんなうずうずしてますからねぇ。」

手を引かれ、ピアノの前まで連れてこられてしまった。

お客さんたちの視線がいっせいに集まる。

私はカチコチに固まりながら、椅子に座り、少しいろみがかった白い鍵盤に指を置く。

それから後ろを振り返り、お客さんを見る。

...少し話しながらも、私とピアノを気にしている様子が見て取れる。

わくわく、うずうず。

そんな波を目に見えて感じるようだ。

……まあ、上手くいかなかったら私も料理とお酒を頼めばいいや。

それで、いい休日だったってことにして。

...私はそう思い、ぎこちない手つきでピアノをひき始めた...