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教育方針と学力の関係、その先の話

「子はいつか親を超えていく」
小さい頃、祖父が父の出版した本に目を通しながらそう言っていた。

「我が子がある環境の中で、浮くのか沈むのか馴染むのか。そこを見極めて適切なフォローをする。それが親の務めだ。」

そんなことも言っていた。

我が子は長女、長男、次男と3人いるが、それぞれの個性はまるで違う。(すぐ兄弟だとか夫婦の子とわかるぐらい顔は似ている)
それゆえ画一的な関わり方などないが、一番上の長女への教育方針について整理しようと思う。

彼女には「勉強しなさい」とは僕はほとんど言ったことがない。逆に、こういう勉強がしたいと言われたら、何のために??と聞く立場を取っている。

人を育てるには、本人の内側に目的や理由を作ってあげることが大切で。親の僕が意図する方向に育てたいなら予め用意した答えを与えても良いが、彼女と僕の視点や物事の見方は違うので、自分が用意した答えには拘らないようにしている。仮説検証を楽しむ感じ。予想外の答えほど面白い。

では、どのタイミングからそうしたのだろうか?

彼女の場合は、幼稚園の時のうたの合唱コンクールでの立ち振る舞いを見たときからだろうか。もともと、ピアノを習わせようと河合音楽教室を利用し始めた年だったが、その年のコンクールはピアノは習いたてだったので、おうたにしましょうかと提案されたことがきっかけだった。

歌については、妻が大学まで合唱をやっていたこともあり、妻からのフォローが受けれたことも大きかったのかもしれない。舞台の上で緊張して、うまく歌えない子もたくさんいる中で、長女は見事に表現豊かに歌い上げた。西日本大会まで出場することになった。

このあたりから、僕は彼女の学力以上に”表現力”を伸ばすことを考えるようになった。合唱団のクリスマスコンサートを鑑賞して、彼女の内側のモチベーションを高めた上で入団させたり、その道の環境に触れさせたことで、レベルの高い先輩方に触れることができたことが大きかったかもしれない。

練習の合間に勉強をする中高生、大学生の団員の姿を見ている。

結果として、中学生になったいまは、全教科平均で90点以上を出し、オール5をとる。そのような勉強法を自ら確立している。わからないことがあれば私にも訪ねにくるが、私はちょっと意地悪であり、「IQ200のお父さんに何か質問??」と調べればわかるウソで負けず嫌いの心をくすぐる。すると、瞬時に何がわからないか整理する過程で、自己解決するパターンがしばし発生する。

この、「〇〇だったらどういう風にアプローチするだろうか?」という自問自答のスキルは非常に役立つ。本を読むことで、トレースするのは著者や登場人物の思考そのもの。たくさんの本を読みながら、様々な人格や考え方を持つキャラクターを内側に宿し、対話ができるようにする。

社会にて多様性の恩恵の享受をするには、まず自分自身の多様性を認めるステップが必要で、いろんなことを経験し、その結果様々な感情を持つ自分を自覚する中で、そのプロセスを深めていく。

私が3人の子供達に対して、意識しているのは上記太字の内容であり、その結果、それぞれがぞれぞれの個性をより発揮する場所を見つけながら”道”を極め、私を超えていくのだと思っている。




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