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MBA留学の番外編2 Home Birth Project in SG

こんばんは。Masamiです。明日1/31の長女10歳誕生日を控え、日頃子供や妻から受ける温かなエネルギーに感謝しながら、私にとって大きな家族プロジェクトであった第3子の出産について公開します。


以前読んだ本の中で『一番身近な人を幸せにできないで、どうして第三者を幸せにできる?』というフレーズがあり、正論だなぁと思いながらも、自分が何かに没頭すると、しばし夫婦間のコミュニケーション不足を発生させてしまうことを経験してきました。

第3子の出産では、妻とより向き合い、これからに向けて家族関係を強固すること、将来、身内も他人も幸せにできる人になるために、行動する決意をしました。

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はじめに。
22歳という早くから子供を授かった私にとって、子供の存在は私の行動力の原点です。まだ経済的に自立していないときに子供を持つことは、ためらいもありましたが、今では、その境遇を跳ね返すために自身が取って来た行動に後悔するものはありません。子供から学び、また子供のために学びを深めています。今や9歳となった長女と、少し年の離れた4歳の長男は共に助産院で生まれており、いずれも私は出産に立ち会っています。

2018年1月。妊娠の判明
シンガポールで妻の妊娠が判明しました。妻の希望はシンガポールで99%以上が選択する病院での計画出産ではなく、これまでと同じように、なるべく自然に近い形で出産できる方法でした。
計画出産では、お医者さんのスケジュールに合わせて出産日が決められ、その日になると母体に陣痛促進剤を打ち、麻酔のもと無痛分娩が行われます。非常に効率的であり、最新鋭のテクノロジーで少ない母体への負担も少ないのでしょうが、違和感を覚えました。ただし、シンガポールには助産院というものはなく、また、最初に診察を受けたジャパニーズクリニックでは、自然分娩の希望を伝えると「ここでは病院以外の出産の選択肢はない」と言い切られたほどで、前途多難でした。帰国出産の選択肢も考えましたが、こちらで小学校に通う長女のこともあり、やはりシンガポールで産む選択肢にこだわりました。

2018年3月。バースプランナーとの出会い
なかなか話のわかるドクターに会えない中、日本人でバースプランナーを営むアンデルセンのりこさんと知り合いました。初めてお会いした日から、我々夫婦に対してヒヤリングを丁寧にしてくださり、想いに同調してくださいました。のりこさんもシンガポールで病院以外の出産についてバースプランをした経験はなかったものの、我々の希望でバースコーディネーターとなっていただくことになりました。そして、彼女のネットワークで探していただき、見つけたのがThe Company for WomenのDr. Laiです。Dr. Laiは唯一シンガポールで“自宅出産”に対応するドクターであり、助産師に相当するDoulaと契約することで、我々が希望する出産が実現できる可能性があるとわかりました。
まさか、自宅で出産することになるとは思っていませんでしたが、他に選択肢はなさそうです。家族プロジェクトと称してこの可能性に賭けることにしました。

2018年4月。慣れないコミュニケーション
あまり英語の得意でない妻に付き添い、Dr. Laiとの診療やDoulaとなるGinny, Keidi, Eveらとコミュニケーションを開始しました。Doulaとの普段のコミュニケーションは主にWhatsupというチャットアプリ上で行われますが、妻はこのコミュニケーション手段に悪戦苦闘しており、私もチャットグループに入ることで他のメンバーに妻の状態を伝えていました。また、顔を合わせたことのない人々に対して、会話をするのは心地良くないということで、積極的に面談を求めにいったりしました。

2018年5月。ヘルパーさんどうする?
子が生まれてからの体制を整えるべく、お手伝いさんを雇うことを真剣に考えました。私は住み込み ヘルパーさんの雇い主になる為の講習に通い、シンガポールで住み込みヘルパーを雇う資格を取りました。しかし、それほどヘルパーさんに対して十分と言える住居スペースを提供できないこと、私がいない時のヘルパーと妻の間のコミュニケーションの行き違い、プライベート空間がなくなってしまう、片付けなどで子供が甘えてしまう、料理の味付け・・・等懸念から、雇わない方針に決定しました。炊事洗濯は私でカバーするという決意をしました。

2018年6月。日々のウォーキング開始
家に篭りがちの妻を安定期に入ったので体力作りと気分転換を兼ねて散歩に誘いました。1日4kmという目標を立てて、約1時間近くの公園を歩きます。リズムよく彼女が歩けるように、私は彼女の分の水筒を持ち並行
して歩きます。そして、適宜水分補給を促します。シンガポールの公園は木々が高く、自然と視線が高くなり、猫背ではなく肩甲骨が開いた状態になるところが良いところです。日差しも、木陰のおかげでさほど気になりません。
またこの時期にBirth Planというものを夫婦で作り上げました。どんなお産にしたいか、コンセプトは、場所は、雰囲気は、照明はどうするか、子供達にはどうして欲しいいか、生まれたすぐの赤ちゃんのケアをどうしたいか・・・等です。こういった時間は大切だと思います。
ただ、6月中旬から私はノルウェーへの交換留学で家を2週間以上留守にしました。その期間も毎日継続して妻は歩いており、離れた中でお互い励ましあっていました。

2018年7月。夫婦の関係性を深めるSpinning Baby Exercise
お腹が大きくなり、腰痛を訴えることが多くなりました。子宮の中の胎児のポジションが悪い時、例えば胎児の頭が母体の恥骨あたりに当たると、大きな痛みが伴い動くことが困難になります。そこでDoulaに教えてもらったSpinning Baby Exerciseを取り入れました。毎晩寝る前に妻に4つのエクササイズ(全体で約10分間)を施して、胎児を理想的なポジションに戻します。腰痛が緩和するように腰を揺すったり、お腹の重みが緩和されるよう、お腹を布で気持ち釣り上げてリズムよく円を描くように揺さぶります。日常生活で歪んだ身体とそれによって位置が変わってしまう胎児を理想のポジションにもどするのです。このようなエクササイズや、そもそも毎日胎児の位置に意識を向けるというのは、前の二人の出産の時には実施しておらず、お産の深みを見ました。
またこのタイミングで、全ての料理担当を引き受けました。毎朝6時に起きて、家族の朝食と小学校の長女のお弁当を作ります。インターンシップのない日に家事をまとめて実施し、夜の授業の前に夕食を作り、授業に向かいました。

2018年8月。予定月
生産期となってからも、なるべく妻が身体を動かすように誘いました。Spinning Baby Exerciseの実施は、もはや1日寝る前の1回ではなく、3回、4回と痛みが生じたら実施するようにしました。エクササイズをすれば、痛みが緩和されるので、このエクササイズの効果は素晴らしです。
予定日が8月20日で、8月6日−8日に帰国を伴う出張で私が不在になったタイミングはひやひやしましたが、万が一陣痛が来ても、のりこさんとDoulaで全力で対応すると誓ってくださいました。そのおかげで、妻も落ち着いて過ごすことができたようです。

2018年8月14日。出産日当日
早朝5時にお印が来ました。まず、サポーター陣営にXdayが来たと一報を入れました。インターンシップ先への出社を取りやめ、長男の幼稚園にはお休みの連絡を入れ、出産体制を整えました。7時ごろ、のりこさんが到着し、妻のサポートを。その15分後DoulaのKeidiとEveが到着し、出産場となるリビングの環境設定を。私はいつも通り、妻と子供達に朝ごはんを作りました。陣痛間隔は狭まっているものの、妻は話をしたり、朝ごはんを食べたり、シャワーを浴びられるほどの余裕を見せていたので、まだかかるかなと思っていましたが、Dr.Laiが到着し、子宮口の大きさの確認すると7cmとのこと。息んで良いということになり、事態が急展しました。
長男、長女は各々の好きな場所に位置取り、母親を見守ります。

息みをはじまると、まもなく破水が起こり、妻は痛みを逃すマッサージを受けながら臨戦体制に入りました。第3子ということもあり、話に聞いていたよう胎児はスムーズに産道を移動し、ドクターは会陰が切れないように、スピードをコントロールします。股から胎児の頭が見えたところで、私はドクターの横に位置取り、彼を受け止める準備をしました。最難関の肩の通過を終えて、私の手に赤ちゃんが降りて来ました。まだ赤というより、紫色の肌の彼は泣いて最初の呼吸を始めようとします。彼の産声と同時に、私は彼を母親のお腹の上に移しました。カンガルーケアです。
しばらくすると、役目を終えた胎盤が出て来て、準備したボールに受け取りました。私はへその緒をカットしました。

産後の処置を受けている間、私は妻の希望の一つである胎盤クッキングに挑戦しました。シンガポールでは(もちろん日本でも)胎盤を食べることはほぼありませんが、長女を産んだ際にお世話になった助産院では、助産婆さんの旦那さんが、胎盤を調理してくだり、その経験と味が共に非常に印象に残っているのです。
グレープシードオイルと塩で簡単に味付けし、十分火を通したものを妻に提供しました。
出産は8時59分であり、5時のお印からわずか4時間で完了しました。母子共に健康で、子供達にも特別な経験となりました。

後日談
「こうしたかったっていう悪いところが一つもない、完璧なお産でした」
この一言は、妻が私とバースコーディネーターを務めたアンデルセンのりこさんに伝えた言葉です。出産後の笑顔が物語っています。

生まれてからすぐ、赤ちゃんが家にいるという不思議な環境ですが、赤ちゃん、は兄弟に見守られながらすくすく育っています。

こうしてHome Birth Projectは無事完了しました。
Home Birthを通じて得たサポーターの皆さんも私達家族の大きな宝になっています。

以下写真

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自宅に到着したDr. Laiに診察を受けている様子。妻の手を握る子供達。

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バースコーディネータ(兼通訳)のりこさんに腰をさすってもらっている様子。それをみる長女

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出産直後のカンガルーケアの際にとったチームの写真。左からDoulaのKeidi、妻、アンデルセンのりこさん、DoulaのEve。

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妻の出て来た胎盤を調理する自分

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じっくり焼いた胎盤と、妻の好物の食事

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出産直後に調理した胎盤を食べてもらっている様子

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生まれたその日から兄弟に見守られながら眠る赤ちゃん

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私のプロフィールMBA総括。MBA振り返りシリーズ初回


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